母が事故で急逝した時に日記のようなものを
見つけてしまった時。
日記(というよりやり場のない気持ちを
書きなぐっている感じ)の内容
・なぜだかわからないけど(私)の事が
好きになれない、というか嫌い
・生んでしまったからにはきちんと育てなければいけない、
嫌っていると気付かれてはいけない
・上の2人と態度が違うと嫌っているというのがわかってしまうので
(私)にどこまで厳しくして良いかわからず
つい(私)を甘やかしてしまっている気がする
・早く巣立って欲しい
・帰省が終わった、態度には出さなかったと思う。
などなど
ケンカもしたこともあるけど、
普通の親子だと思っていた。
風邪をひけば看病してくれて、
金銭面でも差別されたこともなかったし、
進路など相談に乗ってもらったこともあった。
どこにでもいる母親だったと思う。
私が結婚して家を出るまで邪険に扱われた事もなかった。
結婚後もの帰省も里帰り出産もやさしく受け入れてくれた。
母が亡くなってしまった今となっては真偽を
確かめる事もできないけど、生きていたとしても
確かめる勇気なんてなかったかもしれない。
母のタヒ後抜け殻の様になってしまった父親が元気を取り戻した頃、
「母がタヒぬ前に一度だけ意識を取り戻して、
ノートを見つけたら読まずに捨ててほしいと言っていた
何か心当たりはあるか」
と聞いてきた。知らないとだけ答えた。
日記を読んだ当時は1人で修羅場だった。
母親に私への愛があったかというと、ないと思う。
日記を読むと、愛と言うよりも
「(私)の親として、(私)を一人前に育てなければいけない
その為には親から嫌われていると知られてはいけない、
(歪むから?)これは生んだ親の責任」
という風に読み取れた。
当時はやはり落ち込んで、「どうしてこんな物を残した、
紙切れにでも書いて捨てていればよかったのに。」
と思ったり(この頃からネットで毒親や、
子供を愛せない親など知るようになった)
「嫌いな子に墓参りなどされても嬉しくもないだろう」
と帰省をしなかったりした。
ただ、それで親や兄姉や旦那に心配かけてしまい、
「母の日記を見た事で
この人達を悲しませるのは母は望まないだろう、
年数回の墓参りくらい母は我慢するだろう」
と思うようになった。
ここまでに数年かかったけどね。
だからといって、お母さん大好きー!!!という心境には
なれないけれども、
今家庭を持って幸せに過ごせているのは、
やはり母のおかげだと感謝はできるようになった。
嫌ったり憎んだりするには、母からは色々もらいすぎているから。
母が墓場まで持っていけなかったから、私が墓場まで持って行く。
でもどこかに書きたくて書いてしまうのは、
親子だなぁと思う。
私は母は毒親ではないと思ったのでここに書き込みました。
みなさんの意見、親の責任=愛情というのはなんだか考えさせられた。
母がいない今となっては私の中だけで消化していく感情なので
ここで読んだ事も頭に置いて、
これからも母の事を考えていこうと思う。