自分語りがはーじまーるよー
スペック(当時)
高3女
スイーツ(笑)脳。あくまで当時。
家族構成は会社員の父、パートの母、一才違いの妹。
全ての始まりは、高三の春、
左顎の下部にしこりができたことだった。
できものは直径3cmくらいで、触っても痛みはなく、
ただ存在するという感じ。
ゆとりな私はしこりのコリコリ感を楽しんでいたwwww
大事だとは思っておらず、母に相談し、
昔から診てもらってる町の先生のところに行った。
町医者のところでは、検査設備も整っていなかったこともあり
1週間後くらいに隣市の病院に行くことになった。
大きい病院で担当してくれたのは、
20代後半?の女医さん)で、
クールビューティーな感じ。
付き添いの父がデュフフしており、
きれいな女医さんって本当にいるんだなぁと思ったwww
とりあえず、色々な可能性が考えられるが、
腫瘍も大きいし、最終的には切ってみないとわからない。
と言われたので、一週間後に手術となった。
人生初の手術は全身麻酔で、
あっという間に終わった。
そのとき生理だったのだが、
終わったあとに股間を見たらナプキンが換えられていたんだが
誰が変えてくれたんだろう・・・
その後2日ほど入院し、傷口の状態を確認して、
とりあえず一時的に退院した。
腫瘍は検査に出して、結果が出たら電話します、
また来てください、と言われた。
10日くらい経って、
クールビューティー先生から電話がきた。
このころには、季節は秋になっていた。
J( ‘ー`)し「なんか別の科でまた診察を受けないといけないんだってー」
私「あっそうー」
その週、学校を休み、午前中にT先生のところへ。
「今回の腫瘍は、悪性腫瘍とのことでした。
血液内科の先生がいますから、治療はそちらになります」
当時は悪性腫瘍がなんなのかもわからなかったゆとりだが
なんとなくいやな予感がした。
その時はまだ、
血液内科って何wwwwかっこいい名前www
来週学校行ったら友達に自慢するばいwwww
くらいの余裕はあった。
血液内科の先生は夕方になるとのことなので、
その間、ご飯を食べたり、
なんだろうねー?と言い合ったりしながら
17時くらいに待合室に行った。
が、いつまで経っても呼ばれない。
19時くらいになっても
呼ばれないので、さすがに飽きて
また来ればいいだろうと思ったので、
看護師さんに「日を改めても良いですか?」と聞いたところ、
「先生に確認します」と言われた。
戻ってきた看護師さんから、
「すみませんが、もう少々お待ちいただきたいとのことです」
と言われたときにもまだ、
ちっめんどくさいなー
明日休みだからいいかーwww三連休おいしいですwww
くらいに思う察しの悪いアホゆとりだった。
20時を回りさすがにおなかがすいてきたころ、
診察室に呼ばれた。
その先生は、父と同い年くらいで
眉毛が異様に長かったので、眉毛先生としよう。
眉毛「耳鼻科で結果は説明を受けてますか?」
私「えっと悪性腫瘍ということは聞いています」
眉毛「正確に言うと、その中でも高悪性度のものになります」
私 「はぁ・・・・」
J( ‘ー`)し 「入院は、必要なんでしょうか」
眉毛「若いから進行も速いでしょう。
すぐにでも入院してください。半年くらいになります」
そこでやっと、事の重大さを悟り始める。
半年って・・・・
高校卒業できるのか?まずは来月の遠足・・・
もう遠足に行く服買ったのに・・・
お正月はかまぼこ食べまくる自分的イベントが・・・
クリスマスはケンタのチキン・・・
受験はどうなるんだろう・・・
まさか、全部無理だったりして(笑)
いやいや(笑)
2秒くらいで↑のようなことを考えていた。
遊ぶことと食うことしか考えてないと
いうのがおわかりいただけるだろう。
眉毛先生はとても良い人だった。
動転する母と私を相手に、改めて病気のことや、
治療方法の説明をしてくれた。
ほとんど覚えていないのだがw
入院が嫌で嫌で悲劇のヒロイン()を気取って泣いている私に、
眉毛先生が言葉をかけてくれた。
それだけはっきり覚えてるので書かせてください。
眉毛「僕は患者さんには楽観的な言い方は
しないようにしています。このまま放置したら
確実に亡くなります。
これが80歳の方だったら、辛い治療はせず、
残りの時間を楽しく生きるような方針にするでしょう。
でもあなたは、まだ17歳なんです。
これから何十年も生きなきゃならないんです。」
そして、土日明けの月曜日からの入院が決まった。
診察室を出るとき、母が先生に
「お願いします。お願いします。助けてください。」
といいながら泣いていて、それが何よりも辛かった。
よくわからない責任感で私が泣けなかったwwww
とにかく、しばらく学校には行けないことは
はっきりしていたので、家に帰る車の途中で、
何人かの友達に電話した。
話していると電話口で友達のほうが
泣いてしまうので、途中から友達への連絡はメールにしたw
こんな状況なのに、泣いてくれる友達がいて、
自分は幸せだと思った。
どうでもいいけど、母が動転して事故とか
起こさないかすごく心配だったw
私が幼稚園のころの話だが、味噌汁にシャンプー
混入してしまったり、結構どじっこなところがあるからww
帰宅して、妹と父に説明し、土曜日は家族で過ごし、
日曜日は昔から通っていた教室のピアノ発表会だった。
病気のことを話さなければならない相手がいた。
一人は、ピアノの先生。もう一人は、幼馴染のT。
Tとは、ひとつ年下で、ピアノがめちゃくちゃうまい男の子だった。
家はちょっと離れてるけど、
ちょいちょい遊んだりする不思議な関係。
こいつとは後に色々あるんだけど、それはまた別の話w
私「T、ちょっといい?」
T「何?」
「私、ぶっちゃけ、癌になった。入院する。」
「え!?癌!?」
「ちょっ何気に声大きいwww」
「ごめん。でもどういうこと?」
病気の説明を色々として、半年くらい入院になることと、
できたらお見舞いに来てwとお願いした。
そして月曜日から入院生活が始まった。
最初の一週間は、病気がどれくらい
進行しているか、転移はあるか、などなどの検査をする。
その後は、クリーンルームへ移動し、
抗がん剤治療をする。とのことであった。
クリーンルームに行ったら家族以外の面会はNGと言われた。
この時点で心が折れそうになり、友人にメールした。
私「なんか今週しか会えないみたい」
友達「マジで?ちょっと今あんたのことで会議してる」
私「会議って何?」
友達「いいから。金曜日までは会えるのね?」
いつも5人くらいのグループで遊んでたので、
みんなでお見舞いの計画でも
立ててくれてるのかな?とwktkしている自分がいた。
金曜日、やはりみんなでお見舞いに来てくれた。
先生に早退許可をもらったらしい。
お勉強はあまりできない子だったけど、高校は本当に楽しかったから
久々に会えてうれしかった。
その手には千羽鶴があった。
私「えっwwwちょwww」
友達1「クラス全員で折ったからwww」
私「受験の大事な時期にwww」
友達2「ちなみに他のクラスの友達も折ってたからwww」
友達3「折り紙の裏に応援メッセージとか書いてあるから!
強力な念がこもってるよ」
5日で1000羽。
なんていうかもうね・・・
感涙した。
私が通ってた高校は、
90%以上が大学に進学する中の上くらいの進学校で、
秋口なんて本当に大事な時期なのに
授業そっちのけで折ってくれたことが、
ありがたくて申し訳なかった。
折ってくれた人の中には、普段あまり話さない男子や
ぶっちゃけ私は嫌われてるんじゃないか?って思っている女子もいて
よかった・・・千羽鶴折ってもらえる程度には嫌われてないんだ
とか、変な安心をしたりもしていた。
ちなみに、このことを母に話したら、
複雑ながらも喜んでくれていたようだ。
中学のころ、1年間んくらい軽いいじめにあっていたことがあり
高校では友達ができたことを喜んでくれてたのかもしれないw
それはそれで複雑wwww
今はやはり病弱な子ですが気持ちは超元気です!
今は普通に元気に暮らしてる。
一般的に、若くして癌=死ぬ、
人生終了ていうイメージがあるだろ?
自分も入院中、某芸能人の方の訃報が流れたり、
インターネットで亡くなっちゃった方の闘病記とか読んで
それだけで自分ももしかして・・・と思っていた時があったんだ。
だから自分が治ったという話を書いて、
今闘病している人やその家族がいたら、
自分なりに勇気付けられたらなーと思ったんだが
やっぱおこがましいなorz
バーキットリンパ腫 です
一週間ほどの検査を経て、
・転移はない
・つまりステージ1。
(ステージ1~4だか5だかまであって、数字が高いほどやばめ)
・来週からゴリゴリ抗がん剤を入れる。
・この病気は再発するとしないとでは天国と地獄ほど違う。耐えれ
こういうことになった。
ちなみに髪の毛は、エクステ()をつけていて、
せっかくバイト代で美容院行ったのに超もったいなかったが
闘病するためにばっさり切ることにした。
バリカンを使ったのは後にも先にもあのときだけだ。
あと、胃カメラはもう二度と飲みたくない。ゴボゴボ!
ってなった。ゴボゴボ!って。
いよいよクリーンルームに移動し、抗がん剤治療が始まった。
ちなみに腕からじゃなくて、じょうみゃく?どうみゃく?
の太い血管から薬を入れるために
鎖骨の下辺りへ点滴の管を刺してたんだが、それらを固定するために
肌に直接糸で縫いつけたんだが
あれがすごく痛かった・・・
副作用で、よく吐き気とか言われてるが、
自分はゲロの匂いが苦手なので出ないように祈ってた。
以下、お食事中の人は注意。
抗がん剤を入れ始めて30分ほどした後から、一気に気持ち悪くなった。
そのとき、当時好きだった人と電話でしゃべってたんだが
しゃべってる途中で吐きそうになり
しかし、スイーツ()だった自分は吐く事を悟られたくなかったので
「ごめん眠くなっちゃったから寝るね☆電話ありがとう☆」
などと都合のいいことを言い
トイレにダッシュし思う存分吐いた。
夕食で食べたものが全部出ていた。
これは・・・と思ったが、嘔吐は1回では終わらなかった。
その日から数日間、ハイパー嘔吐タイムが始まった。
とにかく出るわ出るわwww30~1時間ごとに吐く。
寝ていても吐き気で起きる。
自分は本当にゲロの匂いが苦手だ。
妹の嘔吐臭でもらいゲロスキルを発動するレベル。
本当に嫌だったが、洗面器に吐くと処理も大変だし
一時的に我慢しても結局吐いてしまうので
催しそうになったらダッシュでトイレに行き、
思う存分吐くスタイルを取ることにした。
個室ということもあり、トイレまでの距離が近いことも幸いし
トイレダッシュスタイルが失敗したのは、闘病中1回だけという
意味不明な自慢をしておきたいと思う。
2日ほどして、嘔吐がおさまった。
しかし、次の副作用が始まった。
抗がん剤は、悪いがん細胞をたたくのはもちろん
良い細胞もたたいてしまうものらしい。
そのため、一時的に白血球が低下して、熱が出たり、
感染症にかかりやすくなるらしい。
そのため、クリーンルームに隔離するとか。
(医学的なことはわからないのでこんな説明になってしまう。
誰か間違ってたら訂正よろ!)
自分はこの高熱もなかなか辛かった。
とにかく40度台まで熱が上がる。
最高41度。
42度になると、たんぱく質が固まって脳が・・・
とかいう話を聞いたことがあり
超gkbrしていた。
眉毛先生に、とにかく高熱がつらいことを訴えると
「解熱剤をあげましょう」
といわれ、解熱剤をもらった。
そうすると、30分くらいで熱が下がるのだが
数時間するとまた上がってしまう。その繰り返し。
また、一日に使える解熱剤の数も決まっており
夜中に効果が切れてしまったときは一晩中うんうん言っていた。
それが5日間くらい続き、
治療が始まった当初は楽勝wwwww
というテンションだった私の心は折れた。
このときには完全に悲劇のヒロインモードになっていた。
17歳なのに学校にも行けず遠足も行けずバイトも
遊びも行けずピアノも弾けず生ものも食べられず
こんなクリーンルームとかに閉じ込められてるアタシカワイソウ!!
という発想で、家から車で40分くらいかかる距離を
2日に1回お見舞いに来てくれる母のことや、
仕事が終わってからお見舞いに来ておもしろい話をしてくれる父のこと、
病院から5分くらいのび●くりドンキーでバイトを始めてくれて、
バイトの日はほぼ毎日来てくれる妹のこと、
相変わらず受験で大変なのに手紙をくれるクラスメイトのこと、
毎日外の世界のことを話してくれる友人のこと、
ほんとうに何も見えなくなっていた。
1週間くらい泣いた。
ティッシュをびりびりに破ってみたり、
眉毛先生や看護師さんたちにわがままを言ったりなど
入院中の黒歴史である。
しかし黒歴史はあるときをきっかけに終わることになる。
あるとき、病室にクールビューティー先生が現れた。
後出しになってしまうが、手術前に少しだけ話したとき、
クールビューティー先生は、
自宅と同じ町内の、中規模な病院の院長先生の娘さんと聞いており
同じ町内に住んでいることを知っていたので、
勝手に親近感を持っていたりしたw
「1ちゃん元気ないんだって?
そろそろクリスマスだからクリスマスプレゼント持ってきたよ」
「1ちゃん眠れないことを気にしてるって聞いたよ。
眠れないときは携帯電話でもいじったらどう?
最近ゲームとかあるんでしょ?あっ本当は携帯電話NGだけどねww」
「1ちゃん、元気になってまた耳鼻科に遊びにきてよww」
そう言うクールビューティー先生の手には、
サンタクロースのキーホルダー人形があった。
クールビューティー先生と話したことは
実はそこまで大げさなことじゃないんだけど
クリーンルームという狭い世界で鬱になってた自分を
確実に変えてくれた、と思う。
これは私の推測だが、医師から患者に個人的にプレゼントを渡すというのは、
若手のクールビューティー先生にとって本当は規則に反することだったのかもしれない。
けど、クールビューティー先生は全くそれを感じさせず、
私に言葉をかけてくれた。
それが本当にうれしかった。
そこからは鬱モードになるのをやめ、
絶対に生きる!絶対にクリーンルームから出る!という気分になった。
気持ち悪いくらいに変わった自分を見て、
看護師さんは「1ちゃんいい子になったねw」と言ってくれた。
眠れなくて辛い日には、携帯で風来のシレンをやって暇をつぶした。
また、同じ病気の人から借りた漫画を読んだりしていた。
色々あったが、抗がん剤→吐く→高熱→副作用なくなる、
という経過を経て
治療の1クール目が終わった。
抗がん剤治療は全部で6クールあり、基本的には1クール目と同じ
抗がん剤→吐く→高熱とか色々→副作用なくなる(白血球復活)→また抗がん剤、というサイクルで
基本的に2週間に1クール(体調がなかなか復活しないときは3週間で1クールとか)行った。
自分は少しずつ治療に慣れ、
妹の持ってきてくれたハリボーグミを無駄食いしてはトイレダッシュゲロコンボを決め
「レインボーゲロが出たよ!」とはしゃぎ
味の薄い入院食にえぐえぐ言ったり、たまに将来を悲観して
泣いたりしながら過ごしていた。
ここで、入院中に仲良くなった闘病仲間を紹介したいと思う。
まず、暇つぶしの漫画を貸してくれたお兄さんは33歳子持ち、奥さん妊娠中と聞いた。
「江戸前の旬」を全巻貸してくれたので、江戸前さんと呼ぼうw
江戸前さんは信用金庫勤めで、接待のゴルフ中に倒れたことで病気が発覚したとか。
私は、両親に守られて過ごしていたが、彼は奥さんや子供を守る側だった。
闘病は本当に大変だろうに、それを全く顔に出さない人だった。
「泣いて病気が治るんだったらいくらでも泣くけどさぁwwwそうじゃないじゃんwww
だから俺はグルメ雑誌とか見て過ごすわけww
退院したときにいっぱい食えるようにな!!!」と言っていた。
そんな明るい江戸前さんが私は仲間として好きだったし、
元金融業界にいた父ともよく話していたようだ。
私と違ってクリーンルームには入らなかったので、
途中からあまり話せなくなってしまったが
私の誕生日には、看護師さん経由でお菓子をくれたりした。
江戸前さんの明るさに救われていた部分も多々あった。
次は、自分と同じバーキットリンパ腫に罹っていたお兄さん。
当時24歳くらいのやんちゃそうな感じで、
同じくクリーンルームに入っていた。
クリーンルームに、共有の電子レンジがあり、色々と食べていたのだが
お前食うの速いなwwとかからかわれたりしていた。
同じ病名ということもあり、会えば話をしていた。
病室のテレビは基本的に有料(テレビカードを買う)のだが、
お兄さんはPCを持ってきて、PCでテレビを見てるから
料金はかからないと自慢された。
自分のPCを持っていなかった自分は、ちょっと悔しかった。
まぁ、江戸前さんもテレビお兄さんも死んじゃうんだけどね。
二人以外にも、看護師さんをよくからかってるおじいちゃんや
物静かな白血病のメガネのお兄さんがいて
お互いに副作用が~とか、不謹慎ネタを言い合って過ごしていた。
あっという間に年末になり、いつもは紅白を見ながら
みんなで年越しすき焼きを食べるのに
この年は病室で一人寂しく過ごした。
元日には両親と妹がやってきて、あけましてー、
とかさっさと退院できるといいねー、とか言いながら過ごした。
そして、1月の2週目から治療の最終クールを行うことになった。
とりあえず、このクールが終わったらもう一回最初にやったような検査をして、
体内がどうなってるか改めて調べるらしい。
ちなみに、1クールごとに脊髄に注射(マルクというらしい)をして、
脊髄にがん細胞がどれくらいいるのか?というのを治療の目安にしていたようだが、
3クール目くらいから、脊髄にはほぼがん細胞はいなくなっており、
自分はいけるんじゃないかと思っていた。
しかし懸念していることが一点だけあった。
もともと左顎の下に3cmほどのしこりがあったが、
手術で切除した際にほとんどなくなり、
治療を行ったことによりしこりが再度大きくなることはなかった。
しかし、5クール目くらいに、大きいしこりがあったごく近くに、
小指の先くらいの小さなしこりがあることがわかったのである。
その小さなしこりが今回の病気によるもので、
最終クールの治療を行ってもなくならないようであれば
また別の治療を考えなければならない。
眉毛先生は、やはり耳鼻科で手術しないとなんともいえないが、
位置の関係上、今回の病気によるものの可能性が高い。
とりあえず最終クールの治療を行い、その後調べる。
と言っていた。
自分はdkdkしながら最終クールの治療を受けた。
副作用コンボには慣れたし、病院にも馴染んではいたが
やっぱり外の世界で暮らしたいし、入院長期化は嫌だった。
そして最終クールの治療が終わったが、
小さいしこりはなくならなかった。
冗談じゃなく、テンション的には
「死ぬかも・・・」くらい、お先真っ暗状態だった。
最終クールの治療が終わり、体調も安定した日の夜
家族全員が集められ、CTスキャンの画像を見ながら
眉毛先生による説明が行われた。
眉毛「えー、治療が全て終わり、血液検査やマルクの結果もよく
1さんもご家族も良くがんばりました。
とりあえず退院はしておkです。」
1&家族「え?いいんですか?」
眉毛「しかし、ここにやはり小さいしこりが残っていますね」
眉毛「これの正体がわからないと、
寛解(血液の病気で言う完治みたいなもの)とはいえないでしょう。
別の日に再度手術をして、調べてみましょう」
というわけで、別の日に手術を行った。
執刀はクールビューティー先生で、再手術にもかかわらず
うれしかったのは秘密。
再手術は最初の手術と違い、局所麻酔で行われた。
左顎の下という位置にもかかわらず、なぜか結構喋れたのだが
麻酔がちょいちょい効いていないのか
「すいません、いたいれす」
「あー!むりむり!今きってるでしょ?おえええ」とか言って、
先生も看護師さんも苦笑していたw
うるさい患者である。
クールビューティー先生「1ちゃーん、しこり取れたよー」
1「どんなれすか?あくにんヅラしてる?」
「お母さんには見せておくけど、1ちゃんは安静ねー、
ちなみに最初よりは悪人ヅラしてないよ」
「ありがとうございまふ」
この手術の結果はやはり2週間くらいかかるらしく
電話がかかってくるまで家で待機していた。
ちなみに、生きた心地は全くしなかった。
そして数日後、クールビューティ先生から電話がかかってきて
結果をお知らせするので、病院に来てくださいといわれた。
クールビューティー先生「1ちゃん、今回はね」
1「(どきどき)はい」
「悪性じゃなかったよ」
1、J( ‘ー`)し「おお!」
「詳しいことはまた眉毛先生から解説があるから、そっちでね(ニコッ」
いそいそと血液内科の病棟へ
眉毛「おめでとうございます、と言ってはなんですが、
この腫瘍は悪性ではなく耳下腺が石灰化したうんぬんかんぬん(以下ry
つまり悪性腫瘍ではありませんでした。本当によかったですね。」
1、J( ‘ー`)し「先生ありがとうございます、本当にありがとうございます」
眉毛「というわけで取り急ぎ寛解ということになりました。
こういう病気は、寛解後5年再発しなかったら完治、という目安があります。
次回は1ヵ月後、その後の最初の1年間は3ヶ月ごと、
2年目は4ヶ月ごと、3年目からは半年毎にきて下さい。」
こうやって私は病気に勝った。
がん細胞には悪いがボッコボコにさせていただいた。
いやボッコボコにしたのは私じゃなく眉毛先生だけれども。
通院は面倒だが、まだ入院してる江戸前さんやテレビお兄さんの顔も見れるから
まぁいいか、と思っていた。
とにかく私は病気に勝った。それが本当にうれしかった。
眉毛先生の言うとおり、最初は1ヶ月後に病院に行った。
再発なし。無罪放免である。
忙しい先生には悪いが、どうしても聞きたいことがあった。
1「眉毛先生、あの、テレビお兄さんって眉毛先生が担当ですよね?
元気にしてますか?」
眉毛「あー、あの人はね」
眉毛「亡くなったの」
私ポカーン。
嘘だ。
同じ病気で、同じように先生の治療を受けて
同じように過ごしていたのに、同じ食べ物を食べていたのに
嘘だ。絶対に嘘だと思った。
そのまま入院病棟に行った。
顔なじみの看護師さんに挨拶とお礼をしつつ、
さりげなくテレビお兄さんのことを聞いてみる。
小声で、亡くなったの、と言われた。
他の患者さんもおり、小声の会話になったが
「お線香を上げたい」ということを伝え、
ご家族の方に連絡してもらえるように頼んだ。
まもなく、実家に、テレビお兄さんのお母様から電話が掛かってきた。
母が出て、取り次いでくれた。
1「あ、あの」
テレビ母「ごめんね、あの子亡くなったの」
1「お辛いときに、申し訳ありません。入院中は大変お世話になりました。
お線香を上げさせていただけないでしょうか」
テレビ母は、ご自分も辛いときだろうに快く応じてくれて、ご住所を教えて頂いた。
その次の土曜日に約束をして、電話を切った。
テレビさん宅には、父が連れて行ってくれることとなった
テレビ母は、未だに目が真っ赤だが、笑顔で迎えてくれた。
テレビ母「あなたが退院した後、うちの子はちょっと悪くなっちゃってね・・・
眉毛先生に治療してもらったんだけど駄目で。最後に眉毛先生の判断で外泊させてくれたの。
でも、その時にはもう足腰が弱っていて。自分の部屋には行けなかったわ。
それでも好きなテレビを見たり、笑って過ごしていたの」
「外泊が終わって、病院のベッドに戻った後、しばらくは話が出来たんだけど」
「突然”うっ”て言って、気を失っちゃってね、そのまま」
その後、病院でのあの子の様子を教えてと言われ、ぽつぽつと話した。と反省した。
テレビお兄さんにお線香をあげて、その日は帰宅した。
同じ病名がつき、同じ先生に治療を受け、自分だけが助かった。
自分が現れることでテレビ母に辛い想いをさせてしまったのではないか、
もっと考えてから行けばよかった、無神経だったと反省した。
それから自分は、徐々に回復していった。
高校にはいけなかったが、先生たちのお情けで課題だけで卒業させてもらった。
ちなみに、みんなの卒業式は3月1日だったが
自分だけ、3月の半ばに特別に卒業式をやってもらった。
普段は入れない校長室に、クラスのほぼみんなが集まってくれて、
何かスピーチを、と言われた。
「私は病気にかかってしまったけど、クラスのみんなが千羽鶴や手紙をくれた。
無事こうやって卒業できたのはみんなが励ましてくれたおかげもあると思う。
お世話になった人たちに恥の無い人生を生きたい」
みたいなことを言ったと思う。
ちなみに、お父さんからも一言・・・と担任の先生に言われ
普段は絶対に泣かない父が号泣していた。
私の入院中、父は気丈に振舞ってくれていたが、やはり辛かったのだろうか。
母はいうまでも無く、卒業式の最初から号泣していたw
それからも定期健診には通った。
夏ぐらいには、普通に動き回れるくらい回復していた。
私は社会復帰の一環として、父が働いている会社での
事務仕事のバイトを紹介してくれた。
外出時にヅラが蒸れて暑かったことをなんとなく覚えているw
そして、蒸れたヅラと共に、江戸前お兄さんのお見舞いに行った。
しかし、看護師さんに退院したといわれた。
テレビお兄さんと違って、江戸前お兄さんとはメールアドレスを交換していたので
「退院したって聞きました!おめでとー!」とメールしたが
なぜかメーラーデーモンさんからお返事がきた。
え、ちょ、と思った。
お互い退院したら、江戸前さんの奥さんやうちの両親も含めてみんなで
旨いと評判のラーメン屋にいくと約束していたはずなのに、
忘れ去られていたのかもしれないと思うと悲しい気持ちになった。
そして、バイト中に実家に掛かってきた一本の電話で、
真実を知ることになる。
その日もやはり暑い日だった。
バイトから帰ると、母が泣き笑いみたいな顔をしていた。
J( ‘ー`)し「1・・・落ち着いて聞いてね」
1「え?どしたの?」
J( ‘ー`)し「江戸前さん、亡くなったんだって」
1「まったまたーwwwww」
J( ‘ー`)し「いや、ほんとに。」
「1がバイト行った後に、江戸前さんの奥さんから電話をもらってね。
最近亡くなったって。
電話だから、詳しいお話は聞けなかったんだけど
電話の後ろで、お子さん二人の遊んでる声がして
それでお母さん悲しくなっちゃって・・・住所とか聞けなかったの
1「・・・」
J( ‘ー`)し「1ちゃん、江戸前さんから漫画借りてたでしょ。」
確かに、江戸前の旬は返したが、そのとき発売されたばっかりだった
「クロス・ゲーム」の一巻を借りていた。
J( ‘ー`)し「奥さんね、そのことを知ってて。
それは形見として持っていてください、
そしてそういう人がいたことをたまに思い出してあげてくださいって言われたのよ。」
その後は、父が「江戸前さんの分も生きような」とか言ってた気がするが
あまり覚えていない。
江戸前さんが亡くなってることはどうしても信じられなくて
数回ほど携帯メールをしてみたが、
返事をくれるのはメーラーデーモンさんだけだった。
それから、テレビお兄さんと江戸前さんの死を引きずりながら
私は進学、就職をした。
時折、死への恐怖が襲ってくることはあるけれど
それを乗り越えながら、この前やっと寛解から5年が経ち
幸いにも再発は無く、完治と呼べる状態になった。
実家は東北の山奥だが、今は東京近辺で一人暮らしをしながら、
会社に行っている。
私は病気に勝った。
だけど、逝ってしまった人もいる。
何が運命を分けるのか、あれからずっと考えているけれど
未だにわかっていない。
江戸前さんにはまだ、お線香を上げられていない。
仕事でめちゃくちゃ怒られたときはかなり凹むが
それでも、あのクリーンルームでの経験に比べたら
まだましだよなぁって、また会社に行く気力が沸いてくる。
生きていると色々あるけれど、
私はこれからも生きていきていきたいと思う。
ありがとう。漫画は今でもちゃんと持っているよ。
無理なのはわかってるけどもう一回会いたいなぁ。
今は幸せだよ、自分が普通に働けてることで両親が
かなり嬉しそうにしてくれてることもあるかな。
妹も就職が決まったしね。
自分は断然ラーメン派、油少な目麺固めメンマトッピングで頼む
あごの傷は今でもうっすら残ってるけど
あごを引いちゃえば見えないからあまり気にならないよ。
あっ。
しんみりさせちゃったところ悪いけど、どうしてもはっきり言いたかったことがあった。
1は刺身とか生クリームとかすき焼きの生卵とかいわゆる生ものが大好きなんだが
入院中は、感染源になるかもしれないということで
それらを一口たりとも食べられなくて辛かった。
クリスマスケーキや誕生日ケーキは妹に全て奪われたからな。
けど今はwww社会人になったので自分のお給料で生もの食べ放題ですwwww
マイブームはえんがわですwwwwえんがわえんがわwwww
それだけは言わせていただくwww
ではでは!本当にありがとうございましたー!ノシ