今年は俺を育ててくれた叔父の新盆です

今年は、叔父の新盆です。

今年の5月にガンで亡くなりました、四十二歳でした。
俺は現在二十八歳、都内の病院で看護師として生きています。

実は、俺は七歳の時に叔父に引き取られ、
育ててもらいました。

実母は、叔父の妹、十八歳で俺を生んだけど、
ほとんど放置、子供心に覚えてます。
お風呂も入れてもらえず、ご飯も食べさせてもらえず、
暗い部屋で一人で何時も水を飲んでいた、テレビも見た記憶がない。

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たまに帰ってくる母は、煙草吹かしながら
コンビニのおにぎりをポンと投げて、それを犬猫みたいに慌てて食べてました。
辛いとか、苦しいとか思ってなかった・・・、そんなものだと思ってた。
何で叩かれるのか、何で怒られるのか・・・分からなかったけど、泣いてました。
毎日、毎日泣いてました。

そんなある日、知らない男の人が部屋に来て、
母と思いっきり言い合いをした後、
俺を肩車して、ファミレスに連れてってもらった。

ハンバーグとか、プリンとか初めて食べた・・・。
その男の人は、俺が食べている間、ずーっと頭を撫でてくれてた。
食べ終わって、店をでるとき、俺はその人のズボンを握って放さなかった。
これを放したら、ダメだって思った、何故か思った。
道を歩いてもずーっとズボンを握り、放さなかった。
叔父さんは、俺を抱っこしてくれた、
そして俺を引き取ってくれたんだ。

叔父さんもまだ二十歳の若い看護師だった、
叔父さんに連れられて叔父さんの務める病院の寮に入り、
新しい下着、新しい服、買ってもらった。

春から小学校って、俺知らなかった、学用品も何も全部買ってくれた。
毎日お風呂に入れてもらった、洗濯した下着に子供パジャマ。
夏休みは海水浴に連れてってもらった、林間学校も行った。

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叔父さんには、二度怒られた事がある。
一つは、母親のこと、俺はあんな母親は親じゃないと言ったら、殴られた。

「由○子は、お前を俺にくれた恩人だ、そしてお前を生んでくれた人だ」

って。
二つは、高校を卒業して働くと言ったとき。

「俺はお前を大学を出させる義務が有る、
大学を出たら自分の好きにしていい」

叔父さんは、俺のために働いて働いて、
結婚もしなかった。

自分の物は何も買わないで、全部俺の学費や俺のために金を使い。
叔父がガンで亡くなった時に俺名義の預金が出てきた。
叔父は死後は、献体登録し、俺に以後の苦労をさせないつもりだった。

そうは行くか、俺は叔父の髪の毛で葬式やって、新盆やってる。
葬式の時もそうだった、新盆の今も。
色々な人が来る、俺の知らない人も一杯来る。
「世話になった。」「恩人だ」「あんたが息子さんか。」
大金を包んで「申し訳無い」と土下座する人もいる。

叔父さん、あんたいったい何をこの世でやってたんだ。
妹のガキとは言え、そのガキを大学まで出して、
恩を擦り付けるだけ擦り付けて、
俺を人間として育てて、恩返しの出来ない状態にしやがって。
見てろ、俺も看護師としてあんたみたいな馬鹿野郎になってみせる。

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