母の葬式で妹が高笑いを始めた

父と離婚して出て行った母が他界したので
姉妹で葬式に参列したのだけど
母が荼毘に付す時に妹が高笑いを始めた

母方親戚や再婚相手とその子供皆ギョッとはしていたけど
誰も諫めなかった辺り母の人柄だなあと思ったけど
その後妹が一人暮らしの家へ帰るまで
延々と子供時代に母にされた酷い扱いの数々、
それを見ていながら何もしなかった
父と私に対する呪詛をずっと聞かされ続けた

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母は今で言う毒親で借金癖があり男癖の悪い最悪な人
事故で他界する直絶まで親戚中に金をタカり
再婚相手の子供(男の子)にお金を稼がせようとした
何処に出しても恥ずかしい鬼畜だったので
葬儀で泣く人も誰一人居なかった

2つ年下の妹は日常的に手をあげられており
私からのおさがりでスカートやふりふりした服は
一切妹にまわさなかった
「二人目は男の子が欲しかったのに」
と母はよく言ってた

妹に対する体罰は子供の私から見ても相当なものだった

妹曰く
私が母が食べていたチョコを
おねだりしたら普通に貰えていたのに
妹は貰えずこっそり1粒だけ盗み喰いしたら叩かれたり

休日公園に遊びに行きたいと言っただけで嫌味を言われ
友人から借りて練習して
自転車に乗れるようになったと言ったら
「姉は乗れないのに」と叩かれ
真冬に父が帰ってくるまで玄関前に閉め出され
同じ団地に住んでいる同級生に見られ
以降腫れもの扱いを受けた事もあったそうで

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「お前は可愛くないしいくら頑張っても無駄
何の才能も無い嘘吐きで最低な人間だ」と
ずっと言われていたらしい

姉の私は愛玩子と言うより発達障害を持っているので
過保護に育てられたと言った方が正しいかも
その発達障害も子供の頃は学校側から言われていたのに
頑として母が認めず検査も受けてなかったので
大人になってから正式にわかったものだけど
子供の頃から人付き合いが苦手で大人しい子だったと思う

そんな私と対象的に活発でチャレンジ精神豊富で
友達作りに励み目立つ妹に矛先が向いて
たまたま免れていただけなのかもしれない

両親が離婚したのは
妹がまだ10歳かそこそこの頃だったけど
酷い扱いをよく知らなかった父に対して
癇癪を起こすようになって
今度は父に叩かれるようになってた
(これは教育の範囲内だと思うし
妹も理解はしている様だけど
父は力加減が出来ない人だったらしい)

せめて私が両親が離婚する際に
母の妹への仕打ちをはっきり父に伝えられていれば
父や私に知識があり適切な対応を
妹にしてあげていればと今更になって思う

精神的に不安定なまま
妹は今日まで生きてきた事を
あれだけ間近で酷い扱いを見てきた癖に
母がしんで妹が笑いながら全部ぶちまけるまで
理解しきれなかった事を
今更になって凄く後悔している

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