お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだよ

抜歯して部分入れ歯を使うようになった。それがきっかけで昔を思い出した。
私の母は恩着せがましい人だった。
浮気ばかりして同時進行に複数の愛人を持つような父と離婚しないのは、
「お前(私)の就職や結婚に差し障りがあるから、お前の為に我慢した。」
といつも私に言っていた。

私が小学生の頃、母が私のブラウスにアイロンを当てていて、
母は自分の額の汗を示して
「お母ちゃんはこんなに汗をかいて
お前のブラウスにアイロンをかけているんだよ」と大声で私に
言ったこともあった。母はトイレを掃除したら
「トイレを掃除してきた」、
ゴミを集積所に持っていったら「ゴミを出してきた」等々、
あらゆる家事を行ったらそれをやった事を父や私に話し、
私の母へのねぎらいの言葉や称賛が不十分だと怒った。
父が不在の時には私を殴った。

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そんな母のお気に入りの話の一つに
「お前を産んだから私(母)の歯が悪くなった」と言うのが
あった。母は歯を磨くたびに「お前を産んだから~(以下略)」と私に言った。
あまり頻繁に言うから私の方から
「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだね」
と言うようになった。
私がそう言うと母は満足げにニコニコ顔になった。

ある日、母と買い物に行った時、近所の人に会った。
その人は歯医者の帰りで母は
「私も歯医者に行かなければいけないのだけど、
なかなか行けなくて」
とその人に話した。そこで私はすかさず
「お母ちゃんは私を産んだから歯が悪くなったんだよ」と言った。
そう言ったら母もその人もニコニコしてくれると思って言った。

しかし、その人はビックリした顔をした後、
黙って母の顔をまじまじと見ていた。
母は何も言わなかった。私はニコニコしながら母を見上げていたが、
なぜ母はニコニコしてくれないのだろう?と不思議だった。
何か良く分からない言葉をその人が低い声で
母に言った後、その人と別れた。

帰り道、母は無言だった。私は家に帰ったら
母に殴られるか怒鳴られるに違いないが、
何故かが分からないから「どうしよう、どうしよう」と、
心の中がものすごい修羅場だった。
だが、意外にも母は私に対して何もしなかった。
そして、それ以降、母は私に「お前を産んだから~」の話をしなかった。
私も母が歯を磨いていてもその話はしなかった。
しかし、その後もそれ以外の恩着せがましい事は言い続け、
称賛も求め続けていた。

後年、私は結婚して子供を産んだ。そして私も歯が悪くなった。
でも、子供に対して母のような事を言う気にならなかった。
むしろ、この子が元気に生まれ育つのだったら、私の歯でも骨でも何でも
使ってくれてよいと思った。そして、
母は私を産みたくなかったのだとはっきり認識した。
本当はそれは既に分かっていた事だけど、
はっきり分かった時は少し悲しかった。

それから長い年月かけて私は少しづつ、
母に言い返したり、母を否定して自分で自分を癒してきた、
絶縁はしなかったが、私は高齢の母を引き取って同居するのも、
「毎月、1週間程帰省して私(母)の世話をしろ」と言う母の要求も断った。
母はまだ要支援1だから自分で生活できる。
しかし、母曰く「お前の為に」母は老人ホームに入居した。

今もなお母は私に感謝と自分への称賛を求める。
「私(母)が歩いてトイレに行けることをお前は感謝すべきだ」と私によく言う。
「この年(90歳)で生きていて寝たきりではない事はスゴイ事だ」と
称賛を求める。
私は母の他界を一日千秋の思いで待っている。
母が永遠に生きて私の寿命の方が先に尽きる気がする時、
心の中が修羅場となる。

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父が浮気を繰り返したのは、あのような母と一緒に過ごしたくなかったからだと
思います。そして、父の浮気が母の異常な承認要求を掻き立て、それがまた、
父が家庭から遠ざかろうとする・・といった悪循環がうまれたと思います。

私は両親の事で心の中に澱のようなものが溜まって苦しくなると、おーぷん2chで
吐き出させて頂いています。皆さまのレスを読ませて頂き、やっぱりあの人たちは
異常だったのだと自分に言い聞かせています。それがなければ私はとうに狂っていたと
思います。PC画面の向こうの見えない方々に感謝しています。

母は公務員で共働きだから家は経済的には豊かでした。
だから、離婚しようと思えば
できたのですが、
「お前(私)の為に我慢」し定年退職しました。
私には腹違いの兄がいましたが、
兄は母と折り合いが悪く高校を卒業後、家を出て
いきました。幼い頃は兄とは仲が良かったですが、私の結婚式で母が兄に
出席しても目立つなと言ったらしく、
それ以降は疎遠になりました。私がその事実を
知ったのは何年も後で取り返しがつかないまま、年月が経ちました。

私はお見合いで結婚し、子供を産んでから
両親に疑問を持つようになりました。学生時代、
母は私が恋愛をするのを全力で阻止しようとしたのですが、
私が26歳を過ぎると突然、
「なぜお前は誰とも結婚できないのだ」
「お前は女らしくないからだ」と怒り出しました。

両親の様子を見ていた私は全く結婚する気はなかったのですが、
父と母に毎日毎日、
責めたてられお見合いをしました。しかし、
結婚する気がない私がお見合いをしたとて、
お相手もそんな私を見てお断りされることが続きました。
両親は私がお相手に断れらたら激怒し、
「こんな良い人を捕まえられないお前がおかしいからだ」と怒っていました。

ある時、紹介してくれた人の事を両親が気に入りませんでした。
どこか気に入らなかったのか
良く分からないけれど、「こんな人を紹介するなんて」
と仲人さんの陰口を言っていました。
しかし、その人が私は一番良いと思って結婚しました。

今でも母は夫の事を気に入りません。
夫とは穏やかな日々を過ごさせて頂いています。
「母が居なくても私は困らない。居ないほうが心が安らかだ。
だから私は極力、母も父も死んだと
思って暮らそう」と日々過ごしています。が、時折、
母が永遠に生きるような気がするのです。
長文を書き、申し訳ありませんでした。
そして、ありがとうございました

この「自発的に」が私の幼い日々の命運を握っていました
母に言われる前に私から手伝い、母の労を労わないと母は怒り狂いました。
仕事から帰って来た母に毎日「お仕事お疲れ様」的な事を一生懸命言わないと
母が帰宅するまでに私がやっておかなけければならない家事の出来具合を叱責されました。
進学やクラブ活動を選ぶのも、母の望む事を母より先に「自発的に」言わないと
何時間も「お前は何も分かっていない」と叱責されました。

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