許せなくても、お金はお金です。必要なときには必要です。  もらっときなさい

舅が死んで初めての彼岸だった。
舅は屑だったと思うが、なぜか死ぬ2年ほど前に覚醒した。
お金は有り余るのに、人は誰もいない、とどっかで愚痴ったら、
その話を聞いてくれたどっかのばあさんに、
「あなたは可哀そうね、
人にやさしくできなかったのは
誰もあなたにやさしくしてくれなかったからなのに。
可哀そうな人生だったのね」
とさめざめと泣かれて、
初めて自分のやったことをじっくり振り返ったんだそうな。

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泣いてくれたばあさんに、自分のしたことを語って、
ばあさんに泣かれて一緒に泣いてたら自分のしたことが
いかにひどいことだったかわかった、すまなかった、と。
今更許してくれ、と言ってもたぶん無理だろうから、
せめて自分が死んだ後に息子(夫)に
遺産を受け取ってほしいと手紙がきた。
(絶縁して連絡先も教えていなかったので、親せき経由で)

『夫は10年前に死にました。今わの際の言葉は
『あいつ(舅)にだけは連絡するな。葬式にも絶対呼ぶな』でした。
あなたが殺し損ねた長女は3年前に幸せに結婚して、子供も生まれていますが、
絶対にあなたには会いたくないといっています。子供も会わせたくないと。
あなたが知らない孫があと2人いますが、
性別も教えたくはありません。
二度と連絡はよこさないでください』
という手紙を送り返した。

舅から来た手紙と、
あまりに遠くて顔が全くわからない娘と孫の写真を、
その中に何故入れたのか自分では判定不能。
写真は背景を入れようとしてあまりに遠くから撮った失敗作。

それから2年、もやもやしながら孫可愛い、と、
家に残った下の2人の子供を大学に送り出しつつ仕事して、
の毎日を過ごしていると弁護士さんがやってきた。
舅が死んだ、遺言で遺産は私と孫三人に残す、
とわかりやすい形(ほとんど現金)にしてあったので受け取ってほしい、と。
速攻断った。遺産は被災地に寄付してくださいとか、
人でなしの遺産管理なんてあなたも人でなしの仲間とか言ってしまった。

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しかし、弁護士さんは穏やかな人で、
晩年(弁護士さんと知り合ってから1年ほど)の舅がどういう人だったか、
どれほど人生に悔いていたかを話した後、
「許せなくても、お金はお金です。必要なときには必要です。
もらっときなさい。そのあと寄付して(故人の意思とは違って)
残らなくてザマーミロというのはあなたの自由ですから」
という現実的なアドバイスをもらった。
何の因果か、本当にそのあとに多額の出費が重なって
遺産を使う羽目になった。
正直助かった……。

舅が死んだのを発見したのは通いの家政婦さん。
性格の悪い舅が嫌いだったが、
ここ数年(多分覚醒した後?)
少し変わってねぎらったりしてくれるようになった、
「帰ります」とあいさつしに行ったらいつもなら
「お疲れ様、次回もよろしく」
みたいな返事があるのにないから様子を見に行ったら死んでいた、と。
死因は聞いてない。

件のばあさんに連絡を取って、
「あんたが余計なことして舅を覚醒させたから、
こっちが迷惑している」と言おうと思ったけど、
ちんまりした小さいばあさんが涙をぽろぽろ流して
「つらかったわね。がんばったわね」
と労ってもらったらなぜかこっちも泣いてしまった。
ちょっと負けた感があったけど。
遺産の一部を受け取ってもらおうと思ったけど、
「お金には困ってないから」と受け取ってもらえなかった。
裕福なうちでみんなに大事にされているみたいだった。
こんな風になりたいと思った自分に、また負けた感……。

彼岸に墓参りもいかなかった今、
線香の一本も手向けるべきか自分の心中が修羅場。

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