俺は子供のころからあるバンドのファンだったんだ。
90年代バンドブームを牽引した大御所バンド。
いっとき解散したけど10年位経って復活したんだな。
その頃には俺も社会人だったから精力的にライブやら新譜やらとおっかけてた。
そしてもれなくボッチだったけど、SNSでファン同士が知り合っては
ライブ後に打ち上げとかオフ会とかやっていたんだ。
そんな状態の中、ひとつのファングループが生まれた。
もともとは、余ったor欲しいライブグッズを
交換するような目的だったけど、
だんだん普通に友達感覚になってプライベートなことも話すようになっていった。
10人くらいいて全国に散らばっていたから
普段みんなと会うことはなく、
ライブの打ち上げで会うしかなかった。
その中に一人、同じ県民がいた。
初めて会ったのはそのバンドのイベントで沖縄に行くときの、
行きの空港だった。
最初に交わした言葉は挨拶の後、「ビール飲むよね?」だったな。
ある程度SNSで会話してたからだいたいの素性はわかっていた。
もちろん、酒が好きだということも。
そのイベントではそれくらいしか接点が無く、
特に意識もせず、普通に過ぎた。
まだ肌寒い、しかし沖縄はあったかい、
3月の頃だったなぁ。
その後もライブや飲み会とかで顔を合わせることはあったけど、
特に意識はしていなかった。
まだ、ただのライブ友達だった。
しばらくしてまた大きなライブイベントがあり、一緒になった。
遠方開催でいわゆる遠征してたから、3日間ほど一緒だった。
そのときの打ち上げでは人数6人だったから必然的に話す機会も増え、
地元に帰ったら一回飲みに行こうよ(二人で)、と誘っていた。
ちょうどその頃、地元でビールフェスみたいなことをやっていたから気になっていたんだ。
そうして向かえたそのビールフェス。
そのビールフェスこそ、
今後の生き方を決定付けたといっても過言じゃないな。
あまりにも楽しくて話も弾み、5時間くらいそこにいたわ。
そしてそこで、もうひとつの共通趣味を見つけることになる。
嫁は航空関係の仕事をしてた。空自関連も携わっていたし、
もともと飛行機好きもあって航空際にも出入りしていたそうだ。
俺はと言えば、陸海空問わず好きだったし、
戦争映画も見るようなやつ。当然食いつかないわけがない。
そうして、じゃぁ今度航空際行こうよ、と言う話になって解散した。
その翌月にはまた地元で嫁のしっているレストランで飲み、
その後ロックバーで飲んでいたら終電を逃した。
俺は一人暮らしだし、繁華街からそこそこ近いとこに住んでいたから、
まぁうち来る?って感じで初めて連れ込んだ。
ただ二人とも酔ってて眠かったし、初めての来訪でいきなりはまずいだろ…とも思ってて、
翌日普通に帰っていった。
その頃は、もうグループ内で俺たちが頻繁に会ってることは
バレバレで冷やかされてたな。
そして待ちに待った航空際。
二人で初めての遠出。
車内ではもちろんバンドのCD。
あのビールフェスから2ヶ月くらい経っていて、
段々意識してたな。
年上だったからしっかりしてるし、
でも面白いところもあるし、何よりお互いボッチだったし。
航空際は天候は微妙だったけど、素晴らしい日だった。
ライブでもそうだけど、
同じものを見て一緒に感動したり楽しんだりできるって、
かけがえのない時間だよね。
遠方だったから帰りは夜中になってしまい、
車窓から眺める月が綺麗だねとか言いながら帰ってきた。
そして翌日にはまた一緒に出かけた。
同じグループの友達が隣県に住んでいたから訪ねてみようってことで。
その人にも散々冷やかされて、
もうなんだか公認の仲みたいな感じ。
そうして1週間後、
嫁は再び我が家(小狭い1K)に遊びに来たんだ。
ライブDVDを見ながらビールちびちび飲んでいたら嫁がくっついてきた。
そうしてついに、俺のパトリオットは発射されしまったよ…
実は特に、「付き合って欲しい」とか言ってない。
ただもう言わなくてもそんな状況だったし、
好きだったし、発射されてるし。
そして晴れて付き合うことになって
同じグループからは冷やかされたり祝福されたりして。
翌月には初めて外泊旅行にいって盛大にもげたり。
別の航空際にもいったし、
もちろんライブもいったし、飲みにも行った。
嫁は実家住まいだけど自由に外出できたから色んなとこに行ったわ。
年末年始は、嫁家はいつも家族が集まって鍋を囲むということで、
義実家初訪問となった。
嫁いでいた義理妹も帰省していたからご挨拶。そして義母にも。
義父は若くして亡くなっていたから仏壇にご挨拶。
義母も義妹もあたたかく迎えてくれて、
改めていい家庭で育ったんだな、と思った。
嫁が義母と一緒に台所に立つ姿は可愛かった。
沢山の料理と酒を振舞ってもらい、素敵な時間だった。
一緒に初詣も行き、元旦の夕方には帰ってきた。
義実家に行ったならやっぱり俺実家にも行くべきよね、
となり、2日には俺実家へ。
俺は遅生まれだったから両親はもう高齢。
俺が選んだ人なら何も文句はないよ、と以前から言われていたし、
元来の腰の低い性格の二人だから、
俺実家でもすんなり受け入れられた。
こうして両実家への初訪問は特に問題なく終わった。
今でも心残りなのは、義父に直接会えなかったのと、
よくある「娘さんをください」が言えなかったことかな。
一応お仏壇とお墓の前では言ったけどね。
新年からは本当に良く遊んだ。
嫁はヨガを習っていたため、俺も誘われて習い始めた。
あっちでライブがあると聞けば誘い、
こっちでイベントがあると聞けば誘い。
よく飲み、よく遊んだ。
5月にはまた例のバンドのイベントで沖縄に行くことになった。
今回は嫁と同室。出発時の空港ロビーで
「去年ここでビール飲む?って聞いたよな」などと懐かしみながら。
沖縄では、嘉手納基地を一緒に見に行ったり、イベント以外にも充実していた。
イベントパーティでは同じテーブルの人たちにも羨ましがられた。
こういうバンドおっかけって女性ファンが多いし、
往年の大御所バンドでは年齢層も高く既婚者も多い。
家庭の事情からなかなか参加できない人も多い。
さらには旦那の理解が得られず、隠れてくる人も多い。
「君たちはそういうこと無くて羨ましいわ」ってよく言われたよ。
また、嫁はウクレレやピアノを弾いていた。
俺もギターを弾いていた。
嫁実家は戸建てだからある程度の音は許容されていたけど、
我が家は賃貸の1Kだから制約が多い。
そもそも昔からの夢だったが、家を建てるなら防音室がいる、
それも理想は地下で、スタジオ並みの設備が欲しい、と決めていた。
それを嫁に話したら、手放しで賛成してくれた。まだ結婚とか
ぜんぜん意識していないものの、
防音室の夢だけは共通していた。
そんなころ俺が入院した。
嫁と一緒にいるときだった。
どうも右半身が痺れる。視界もぼやける。
頭は痛くないけど、歩き方がおかしい。
日曜日だったから、明日にでも病院行って来るよなんて言ってたけど、
段々悪化する。
そこで嫁が救急車を呼び、救急搬送された。
即入院。
自分の体調よりも明日の仕事の代理を頼まなきゃって
真っ先に考えたのは日本人のサガかな。
病気は自己免疫疾患だった。3週間の入院である。
着替えもなければ、家のこともほったらかし、
家賃の振込みもできない。
俺は覚悟を決めた。
嫁に財布と鍵を預けよう。銀行口座も教え、振り込みも代行してもらおう。
もしそれで万が一にも不正があっても、致し方ない。信じるしかない。
そんな覚悟とは裏腹に、嫁はもう本当に献身的に看病してくれた。
毎日仕事終わりには面会にきたし、
我が家の掃除とか着替えの洗濯とかもしてくれたし、
勿論振り込み代行もしてくれた。
休みの日には終日付き添ってくれた。
「君の時間がなくなるよ」と言っても
「ここが私のいる場所だよ」って。
もう本当に感謝してもしきれない。
土曜には俺の両親も見舞いに来た。
嫁にはただただ感謝するのみで、よく諭されたわ。
「命の恩人を大事にしろ」と。
入院に必要な雑貨もそろえてくれたから、
「全部あとで清算するよ」と何回も言ったのに、
結局ご飯おごるだけで済ませてくれた。
そうして2週間もすればだいたい状況は良くなって、
3週間目には退院できた。
嫁はないて喜んでくれた。
そういえば上司がお見舞いに来たときも
ちょうど嫁と鉢合わせになって、冷やかされたもんだw
それから体調も万全になり、いままで同じように過ごすことができる様になった。
毎週末には我が家へ遊びにきては飲み歩いたり新曲を買って二人で聞いたり、
新曲のフレーズを弾けるようになったぜなんて自慢したり。
前も書いたが我が家は小狭い賃貸だ。
駐車場も1台分しかない。
嫁は車で来たほうが便利なためいつも路駐せざるを得なかった。
案の定、取り締まりに引っかかる。
それも3回くらい続いた。
これはさすがにまずい。
かと言って新たに駐車場を契約するのももったいない。
コインPも遠い。
さぁ参った。
もうこれあれじゃんね。家買えばいいんでないの?
どちらとも無く意見が合った。
どうせ買うなら防音室も作ろう。
金銭的に注文住宅は無理っぽいから、建売でも良いからせめて防音室。
もはや地下室なんて言ってられない。
こうしてその年の暮れごろには家捜しを始めた。
なかなかの良さげな物件を見つけた。
嫁は少し不安だったようだ。
いったん賃貸でゆっくり貯金しながら家捜ししてもいいんじゃないか、と。
防音室は確かに欲しい。でも…と。
俺は、
「いま多少妥協はあるけど偶然にも
条件の良いところが見つかっているなか、
この先また見つかるかわからない。
賃貸は住んでいれば永遠に金がかかる。
それなら早いうちから戸建てを買ってローンを終わらしていったほうがいい。
賃貸では防音室は絶対無理。分譲マンションだって気軽に弾けない。」と説いた。
そして嫁も納得し、いざ契約。ローンも組んだ。
ところで…
一緒に住むなら、やっぱりちゃんと結婚しなきゃだめよね。
いますぐ挙式までするのは無理だけど一応入籍だけでも。となった。
入籍日。
これはもう、俺たちを出会わせてくれたあのバンドの、
記念の日にしよう。
その日は絶対に記念ライブをやるから、
絶対忘れない日になるよ。
そしてライブ当日。
朝1で市役所にいき、茶色の紙を提出し、ライブに向かった。
同じグループの友達も8人くらい参戦してて、
打ち上げはもはやお披露目パーティだった。
そしてグループ外のファン友達たちからもめちゃくちゃ祝福された。
まさに理想的なファン同士の夫婦となった。
翌年には無事に防音室も完成し、新婚生活スタート。
お互いに仕事が忙しくて平日はゆっくりできないけど、
幸せな日が続いている。
4月にやっと、身内だけで小さな式を挙げることができた。
義父の遺影を抱いた義母を見て泣きそうになった。
俺の親父の実家は、昔は三味線のメンテをする商売をしていた。
そのおかげで、叔父も伯母も三味線を弾ける。
親父はオーディオマニアになった。姉もピアノを弾く。
そんな音楽好きな一族に、ウクレレを嗜む嫁が来たわけだ。
話が弾まないわけがない。
俺は俺で義実家にもちょくちょく顔を出した。
よく食事も出してもらっていた。
よくある、嫁姑バトルとか実家義実家の確執とか、ぜんぜん無縁だった。
その点でも恵まれているなと思っている。
結婚してからも、環境は変わったけど基本は変わってないな。
休みにはよく飲み、よくライブに行き、ヨガに行き、
航空際や自衛隊のイベントにいく。
そして価値観とか考え方が似通っている点もありがたい。
やっぱりミリオタだと、政治思想的にも中道右派に寄る。
普通に家で飲みながら、昨今のミサイル問題とか腹を割って話せる。
また、いまはまだ余裕が無いけど、
いつかベイビーが生まれたら
楽器をやらせてあげたいねと言ってる。
俺はあんまり奇跡とか運命とか、信じる派じゃないんだけど、
こんなにドンピシャな人が現れるとは思わなかったよ。
人生のいろんな選択肢をひとつでも違う方向に向かっていたら
巡り逢えなかった。
本当に出会えたことに感謝している。
ちょっとクサくなったけど、そんな馴れ初めでした。
長々と投下してごめん。
そんな嫁はスヤスヤ寝てる。
かわいいw