友人Aはとても優秀で美人な人だった。その子供が中度レベルの天使だった。

友人Aはとても優秀で美人な人だった。
都会の大学に通いそこで出会った人と結婚して
キャリアも積んで、35歳で第一子を出産した。
その子供が中度レベルの天使だった。
Aは出産後から2ヶ月くらいは私に電話で常に育てる自信がない。
捨てたい。いらなかった。医学の進歩が憎い、
仕事をどうしよう、などばかり言っていた。
その時は連絡は電話ばかりだった。

スポンサーリンク

2ヶ月過ぎた辺りからラインやブログで障害がある子供だけれども
成長が嬉しい。今は仕事よりも育児が生き甲斐!
という内容ばかりになっていたようだった。
今までは電話での連絡ばかりだったのに。

その後忙しくなってきたのか連絡も減ってきた。
ここ3ヶ月は連絡がなかった。
特にSNSなども私はやっていないので見ることがなかった。

子育てが生き甲斐と言っていたAだけれども、
仕事を退職するわけでもなく少し違和感はあった。
どう考えてもキャリア共働きで子育ては無理なレベルの障害だった。

スポンサーリンク

そして年末、年賀状の話から知人経由でAの子供が事故タヒしたことを聞いた。
喪中葉書が来たらしい。
噂では熱が出てしまい薬を飲んだAが
薬の副作用で寝てしまっている間に掛け布団が顔にかかってしまい
窒息タヒした、と。
不幸な事故だった。
Aは病院にいって薬なんかもらわなければ、
私のせいでと憔悴していたと。

出産した後も何時間もAの電話に付き合った。
私は喪中葉書はおろか子供のタヒの存在も知りませんでした。

警察はAのラインのログやブログなどから
子供に対してとても熱心だったこともあり
当然事故としたでしょう。
私もブログを見てみましたが
熱心に子育てをしているように見えます。
生後2ヶ月辺りから。。。

私への連絡に愚痴がなくなったこと、
電話ではなく残るラインになったこと。
子育てを頑張ると言っていたのに仕事をやめなかったこと。
子供がなくなったのが彼女の産休が明けるであろう
2ヶ月ほど前だったこと。現在は復職していること。
なにより私へ子供の訃報を知らせなかったこと。
本当に事故だったのかもしれません。
それでも、私の中でAへの疑惑が消えなくて、
子供の訃報を確認することもできずに年末の年賀状を
どうしようかと寝られない日々が続いていて
心身ともに修羅場状態から抜けられません。

スポンサーリンク