私がちょっと目を離した間に母の体が吹っ飛んだ

私が中学生の時、妊婦だった母と買い物に行った。
久しぶりの買い物で和気藹々としてたんだけど、
私がちょっと目を離した間に母の体が吹っ飛んだ。

私の視点からでは曖昧なんだけど、警察から聞くには、
車椅子に乗った小さい男の子が、
急に車の前に飛び出してきたため母がその子を逃がすために飛び出たらしい。
母が突き飛ばした子供は無事で、
母は子供を庇ったために即死した。
もちろん腹の中にいた赤ちゃんも。

父と母はラブラブだったので、
まず最初に父が狂った。泣いて、
母のそばを離れなかった。
小学生になる妹は泣きじゃくって、私にすがりついた。

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目の前で母に死なれた私は、親戚の目も同情の言葉も
責められてるように感じて、精神的に修羅場。
けど父は狂ってるし、妹は面倒みてなきゃだし、
私まで泣いたら終わる気がして最優先で走り回った。葬式とか。
祖父母は手助けはしてくれたけど裕福ではなかったので、
特に援助とかはなかった。

とりあえず葬式の事務的なことは私が担当して、
父には喪主として出てもらった。
葬式には別々で「事故を起こした運転手」と「母がかばった子供一家」が来た。
「運転手」は土下座で謝り、保険だけでなく一生をかけて償う、
と言ってきた。私はなにも言えなかった。

「子供一家」は母親が泣いて、子供も泣いてた。
車いすが飛び出してきたのは母親が目を離したさいの不注意だったらしい。
車いすの子供が母親を驚かせてやろうとしたんだって。
その段階で、「お前らのせいで!」って心の中は修羅場。
でも怒りをぶつけるわけにもいかずに、黙ったままでいると、
お金が顔面に投げつけられた。
投げつけてきたのは、一緒に来ていた子供一家の祖父母。
もの凄いふじこられて、阿鼻叫喚だったのは覚えているけれど、
なにを叫ばれたかは覚えてない。
祖父らしき人に殴られて、蹴られて、意識が吹っ飛んだ。

父と妹は私が受付をしている間、喪主用の別室に居たので、
後からこの騒動を聞きつけたらしい。
で、父が回復して、被害届を出し、後のことは父がしてくれた、とは聞いた。

その後、私が高校生、妹が小学生になると、私がバイトで家計を手助けした。
父は教職についてて、家に帰れるのは遅かったので、妹の面倒は私がすべて見た。
宿題も授業参観も運動会も学校をサボっていった。
学校の先生には事情を話していて、成績さえ良ければお咎めなしだと言われて、
バイトしながらも成績だけは必至でキープ。
青春だっていうのに「バイト」「妹」「金のため」「父のぶんまで」
「母のぶんまで」「家事」「姉として」とかしかなくて毎日が修羅場。
だいぶ経って、数か月前。
ボランティアに行った時、母が助けた子供と再会した。
私は子供のことは覚えてなかったけど、母親のことは覚えていたのですぐに分かった。
向こうも忘れることはできなかったらしく会釈して、少し会話した。

私に暴力をふるった祖父母は父親の両親で、議員(フェイクあり)だったらしい。
ただでさえ孫が障がいを持ってるってのに、そのうえ!となったらしかった。
あの後すぐに離婚し、シンママになって子供を育てたらしかった。

話している最中(といっても母親が一方的に話すだけで私は相槌も打てなかった)
母親が土下座して私に謝ってきた。
あの時の子供も車椅子に座ったまま、頭を下げてきた。
「今更謝られても」とか「この人らは悪くない」とか
「結局は母が自分で選んだこと」とか考えてて、修羅場。

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もし、また後の親子と再会しても私には何も言えないので、
もうボランティアに行くこともないだろうと思ってる。

それに今、私は結婚してて、妹も高校生。
父はのんびり気ままに独身(未だに母さんラブ)だし、
今の生活を壊したくない。
母のことは未だに会話にのぼるくらいだけど、
あの事故を会話することはできなくて、一生向き合えないと思う。
そう思って、家族に黙ってることも悶々としてて、修羅場。

ちなみに我が家では、お腹の赤ちゃんには一切触れられてない。
葬式とかの際や、親戚たちにもその子について色々言われたけど、
認めてしまったら本当に母や事故のことに収拾がつかなくなりそうで、
話にのぼらない。
ただ多分妹も父も個人個人でその子については何かしら思ってると思う。
良い感情ってわけでもないし、もちろん悪い感情でもないと思う。
姿形がなかっただけに、なんて言えばいいのかわからない。
ただ天国で母と一緒にいてくれたら、とは思う。

金銭切迫の理由としては色々あります。
後だしごめんなさい。父と弁護士さんが担当してくれてたので、
ここは私も詳しくない。
・母がやろうとしていた事業の違約金
・母の家族(私にとっての祖父母)にお金を渡した。
・二馬力でローンを返そうとしていたこと。
(事情があってセキュリティの強い、安心なマンションに住まなければならなかった)
・連帯保証人(父友人)
あと公立の学校がとても治安悪く、
父母が私立の学校や塾に行かせたのもあると思います。
私は高校で辞退したけど、妹は私立で小中高・大学に行かせたかったので金も欲しかった。

祖父母がふじこった意図は分かりませんが、たぶんスレのみなさんの予想通りかと。
母親が庇った子に対しては複雑としか言いようがないです。

母のほうがしっかりしていたので、父が頼りないのは慣れてます(笑)
式後もやっぱり回復するまでに時間がかかりましたからね…。

えっと、母親代わりといっても完璧にできたわけじゃないので。
バイトがない日に大量につくって冷凍しておいたり、
洗濯は深夜にやったり(防音だったので苦情なし)、
父も妹も手伝ってくれたりと「完璧な母親代わり!」と誇れるわけじゃないです。
ただ当時高校生でやりたかった部活も諦めたりで、
結構いろいろ犠牲にはしてきたんですよね…。

葬式の受付は私がメインでやっていたのではなく、
それでも近親者が一言お礼を言わなければならないと祖父母に指示されて、
私が行きました。
もちろん祖父母も挨拶まわりのようなことはしていました。
地方で違うのかもしれませんが…。

親戚以外の人も手伝ってくれていましたが、
父職場の同僚などといった関係性だったのかは分からないので外しました。

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