母が亡くなった。涙なんか一粒も出なかった。
最後の最後まで腹を割って話せなかった。
亡くなった今もやっぱり母に対する憎しみが残ってる。
リアルじゃ言えないので吐き出させてください。
小学校の高学年ぐらいの頃から、
時々フラッシュバックのように思い出す映像があった。
2階建てのコーポに住んでて、玄関を入るとすぐ左側にお風呂とトイレがあって
右側に台所、奥に和室が2つ、・・・ってところまで映像として覚えてて
コーポの真ん前にある雑草だらけの空き地で
近所の子供たちと缶蹴りして遊んでる。
でもアルバムにはその頃らしい写真が一枚もない。
母に聞いても戸建にしか住んだことは無いって言うし、
父に聞いても「前世の記憶か?」って茶化される。
なんだろうってずっと思いながら、中学卒業間近のある日。
ひとりで田んぼのあぜ道を下校してる時に、不意に思い出した。
そのコーポに母ではない女の人が住んでた。
一緒にお風呂に入ったし、手作りのお菓子を食べた。
そしてそこには父もいた。
その瞬間、思い出してしまった。
私、小学校に上がる前に父と、母じゃない女の人と、
私と、3人で住んでた時期があった。
そして叫ぶように泣きながら玄関を塞ぐ女の人を父が殴るように振り払って、
父は私の腕を掴んで引っ張って玄関から出た。
腕が痛くて痛くて泣きながら離して!って叫んでる自分。
あの女の人はたぶん父の愛人。そしてあの記憶は多分ふたりが別れた時のものだ。
まるでパズルが一瞬でピシッ!と完成したような感覚で思い出した。
父と女の人が出会った経緯も別れた経緯も、
母とどんな話し合いで再構築したのかも、
そこらへんは全く何も分からないけど、私が生まれた時の臍の緒は見た事があるし
生まれたてを母に抱かれた写真も残ってるから、父と母と私は間違いなく親子なのだが
私が小学校に上がる前に両親の間で修羅場があったことだけは間違いないと思った。
そして、思い出してから何か腑に落ちないことがあった。
母は冷たい人だった。私の友達や近所の子供や親戚の子たちには優しいのに
私にだけ冷たかったの。
その日の学校での出来事を話しても「ふーん」って感じだったし、
いい成績をとっても褒めてもくれない。
進路のことで相談しても「好きにすれば」としか言わない。
母と父との関係も変に思えた。会話は最低限だし、あまり笑わないし。
そんな感じで、思い出してからずっと家の中が息苦しかった。
そんな空気から脱出するために都会の大学を目指して勉強して勉強して、どうにか合格。
大学の寮に入り、最初の2年はGW、盆、暮れと年3回は実家に帰っていたが
大学在学中に父が亡くなると、母と二人きりの空間が怖くて
一周忌が終わってからは正月以外は帰らなかった。
母からも帰ってこいとは一度も言われなかったし。
就職が決まった時、会社に提出する書類の中に戸籍抄本があって、
もしかしたら何かわかるかも知れないと期待して取り寄せ、
届いた戸籍抄本を確認したが
そこにはやっぱり私が両親の間に生まれた長女であることしか
記載されていなかった。
間違いなく両親の子である事実はホッとするよりも、
だったら何故あんなに冷たいんだろうと
余計に苦しくなった。
このままモヤモヤして生きるのは嫌だと思い、
初めて貰った賞与(正確には“寸志”だったけど)で
母を温泉旅行に誘い、そこで思い切って疑問をぶつけようとしたが
旅行の誘い自体を蹴られてしまった。
「行くなら友達とでも行きなさい。私は興味ないから」と。
もうダメだ、母とは分かり合えないと思ったが、
ふと思いついて伯母なら何か知ってるかも知れないと思い
訪ねてみることにした。
母方の祖父母は既に亡くなっていたから、
伯母は母の唯一の肉親になっていた。
伯母に用件を言うと、しばらく考え込んだあと
「聞くと辛いと思うよ」と言われた。
何を聞かされても、このままモヤモヤしてるよりはいいから、
覚悟は出来てるからって言って
知ってることを教えてほしいと頼んだ。そして聞かされたこと。
あの女の人はやはり父の愛人だったようだ。
母の元に戻ってきてから、
私は「〇〇のおばちゃんはクッキー焼いてくれたよ」
「〇〇のおばちゃんは△△に連れて行ってくれたよ」
「〇〇のおばちゃんとは今度いつ会えるの?」
などなど、愛人のことを無邪気によく話していたそうだ。
母は最初は何も知らない子供の言うことだからと我慢していたそうだが
あまりに私が愛人に懐いていたことがショックで、
もうどうしようもないぐらいに
私のことが憎くなってきたらしい。
伯母に「ごめんね。妹を許してやって」と言われた。
私には許すも許さないも、そんなことを言ったとは全く覚えていない。
ただ、あの女の人に対して悪感情を持っていなかったのは事実だったから
そうなるともう、母に対して何も言えなくなってしまった。
悩んで悩んだ結果、母に手紙を送った。
伯母から聞いたこと、子供だったとは言え
母の気持ちを深く傷つけてしまって
ごめんなさい、と。
でもその手紙の返事は来なかった。
それで余計に実家に帰れなくなってしまった。
あれから10年経って、伯母から知らされた母の死。
その10年の間に私は結婚し、子供を授かった。
夫も家庭に恵まれなかった人で、私の気持ちをよく理解してくれる。
ふたりで話し合って式は挙げず入籍だけにした。
結婚したことは報告だけはしようとしたが、電話番号が変わっていて
新しい番号を知らされていなかったことが母からの絶縁の意思表示だと理解し
それ以降一切連絡はしなかった。孫が生まれたことも。
伯母に聞けばわかるんだろうけど、そこまでする気になれなかった。
何故そこまで私を拒否するの?
父と母の問題で振り回されただけの、
まだ小学校にも上がっていなかった子供の
私の言葉がそんなに許せないの?
そう思ったら、それまでの母を求める気持ちが
一気に憎しみに変化した。
お櫃の中で眠る母の顔は険しかった。
まだ60代半ばのはずなのに眉間と額に深く刻まれた皺。
死化粧を奇麗に施してもらっててもそれは隠せなかった。
葬儀は私と伯母夫婦だけで済ませた。
子供には私の親はもう死んでると言ってあるし、
夫には子供を見ててもらって、私ひとりで帰省した。
伯母にはずいぶん非難されたが、遺骨はお寺に預けてある。
自宅に持って帰るつもりはない。
このあとどうしようかまだ決めてもいない。
こんな黒い気持ちを抱えたまま、子供をちゃんと育てられるんだろうか。
子供は可愛いし、この子の為なら命を投げ出してもいいとすら思える。
何故私はこの子のように愛しい存在になれなかったんだろう。