この家を売ったお金の半分を私に下さい。その先はあなたの自由にすればいいです。

実家の父が倒れて介護が必要になったとき、
父を引き取りたいと夫に申し出て大喧嘩になった。

ふたりで建てた戸建て、
いつか親の世話を
しなきゃいけなくなった時のためにと
部屋は余分に造ってあったので
まさか反対されるとは思わず

私は仕事を辞めるけど、
金銭的に迷惑はかけないことを
申し出て引き取りを相談したが
夫から了解を得られなかった。
今更他人に入られて
窮屈な生活をしたくないと。

建てたころから気持ちが
変わってしまったのは仕方がないし
これまで自由に暮らしていたから
窮屈になるってその気持ちは分るけど、
母が亡くなった時に
何もできなかった後悔があったので
父の介護は精一杯やりたくて
説得したが理解してもらえなかった。

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そんな時、父は一人娘に迷惑を
掛けたくないと言い老健に入ると言い出した。
ずいぶん悩んだが、
結局は引き取っても父が
気疲れするだけだと思い受け入れた。

それから2年、洗濯物や雑事で
週1~2回顔を出す日が続いたが
ある時父がインフルエンザに罹り
高熱が続いてると老健から呼び出しがあった時に
たまたま同じタイミングで義父が
自転車で転んで怪我をし
病院に連れて行ってほしいと
義母から電話があった。

私はすぐに夫に電話して、
そういう事情なのであなたが
連れて行ってあげてほしいと言ったら
大事な会議があるので無理だから
老健で話を聞いてから連れて行けばいいだろう
と言われた。

ところが老健に着くと
入院させたほうが良いとのことで、
付き添っていかなければならなくなった。
義実家にその旨伝えると
「困った」を繰り返すばかり。

父の病状を気遣う言葉なんて一言も出ず、
それどころか
「一人娘さんなんか貰うんじゃなかった」
と言われたことがささった。
これまで何度も義実家のお手伝い等
してきたのに何故今更そんなことをと。

その後しばらく父は入院し
退院後は老健に戻ったものの、
目に見えて弱っていった。
そして退院してすぐに
誤嚥性肺炎で再び入院、
それから数日で息を引き取った。

この頃から夫に対する気持ちは
急速に冷めていった。

父の介護に一切ノータッチだったのは
別に構わない。
そりゃあ一緒に心を
砕いてくれたらとは思うけど。

でも何もしてくれなかったのに
葬儀の時には
「一人娘の嫁を貰ったから義親の面倒を見るのは当然」
「精一杯やったから悔いはない」
「肩の荷が下りた」
などと言ってるのを聞いてしまい
腸が煮えくり返った。

そして父の三回忌が終わって間もなくのこと、
今度は義父が脳卒中で倒れ麻痺が残った。

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身体の大きな父を高齢で小柄な義母が
介護することは厳しく、
夫がこの家を売って実家を
二世帯住宅に建て替えて同居したいと言い出した。

私は反対したが
「そうするしかないって分かるだろ?
おまえも仕事辞めてもいいし」と言われ

「そうするしかないのなら、
この家を売ったお金の半分を私に下さい。
(資金を半分出したので当たり前)
その先はあなたの自由にすればいいです。
離婚しましょう」と言った。

どうせ同居して自分が
面倒を見る気なんかないくせに。
私が介護することが
当たり前にしか思ってないくせに。

これまでだって、
私の両親どころか自分の親のことも
私に丸投げだったくせに。

なにグッドアイディアみたいな顔してんのよ。
ばかみたい。
夫への憎しみが
次から次から湧いてきて止まらなかった。

慌てた夫がもう一度よく考えよう
って言ってきたけど、
もう夫の何もかもが嫌だった。
義両親の介護もまっぴらごめんだった。

長い間話し合いをしたが離婚の決心は固く、
その間も一切義実家には行かなかった。

夫の親族からは
批判もされたけどどうでも良かった。
(だけどただ一人仲の良かった
義従姉だけは分かってくれていた。
彼女も同じような扱いを嫁ぎ先で受けてたから)

正式に離婚した時、
知命之年になっていたが
全く後悔も不安もなかった。

両親が遺してくれたマンションと
預貯金はひとりでもどうにか生きていけるように
こんな夫と別れても不安がないようにと
最後のプレゼントだった気がする。

今はパートで働きながら
身軽な熟年離婚仲間たちと楽しんでいる。

年をとっての離婚は不安だろうとか
寂しいだろうとか言う人がいるが
全くピンとこない。

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