熊本市内住みの熊本県民ですが、先月の二度の大地震・・・
一度目が起きて今まで経験したことのない揺れでパニック状態、
とりあえず物が落ちて散乱しまくってる部屋から
脱出してスマホでネットに繋いで現状を把握。
避難所に行く選択肢も考えたけど、
夜中の3時頃になって比較的余震も収まってきたので、
とりあえず部屋に戻り不安の中なんとか就寝。
夕方に起きてからはひたすら散らかった部屋の片付け、
その間も常に余震で
アパート全体が揺れまくっている状態で緊張感ハンパない。
夜になってようやく一段落ついたので、
ほっと一息ついてスマホで
2ちゃんねるのスレ巡りをやってた丁度
その頃の深夜1時26分、M7.3の本震
(それまで本震だと言われてた
M6.8の一発目のは実は前震だったという・・・)が襲来・・・
まさか一発目以上の地震が来るとは思ってもなかったので
完全に油断してて、充電中のスマホを握ったまま
部屋の中の物と一緒に右へ左へ上へ下へと、
なすすべもなく洗濯機の中の洗濯物状態のような
揺れが収まるのをただひたすら待ってるだけの状態・・・
正直、これまで三十数年生きてきた
人生の中で初めて本気でシを覚悟した。
ただ、幸いうちのアパートは大きな損壊もなく
部屋の中が玩具箱の中身をひっくり返したような状態で住んだ。
その後も常に大きめの余震が続いている中で、
なんとか部屋から脱出したら、
昨日の一発目ではなんともなかったうちのアパートと
隣の幼稚園とを仕切っているコンクリの壁が、
振動で崩壊して半分ぐらい無くなってた。
外に出てからはとにかく
みんな何をしればいいのか分からない様子で、
部屋着のままスマホ片手で歩道をウロウロ。
家族らしき人に電話してる人がいたので、
自分もとりあえず実家の親に電話。
実家の方もかなり揺れて停電も起きた様子。
しばらく会話してなんとか気持ちを落ち着かせて、
その後とりあえず最寄りの避難所目指して移動開始。
途中で新聞社の社員の人達が集まって
防災用のヘルメットを準備して取材?の打ち合わせやってた横で、
そこのビルの上階の窓のガラスが歩道を飛び越えて
車道の脇に散乱してたりと、
とにかく初めて見るような光景ばかりだった。
その後、知り合いにメールしてその知り合いが
一発目の後から避難してる避難所の方に誘われて方向転換。
至る所で落ちてきた窓ガラスやデカい看板なんかが
散乱している歩道をなんとか通り抜けて、
30分ぐらいかけてようやく知り合いのいる避難所へ到着。
落ち着いてからスマホで情報収集。
巷で言われていたように、こういう非常時には
やたらとデマが広まるっていう話だったけど、
実際2ちゃんねるとが見ると
「動物園からライオンが逃げ出した!」
っていう情報がすでに画像付きで出回ってたり、
イオンモールから出火して大火事とかetc.
極め付きは、熊本以外の日本を含めた
世界各地で大地震が起きたっていう
色分けされた世界地図の画像まであって、
どれを信じていいのか全く分からないような状態。
避難所にある大音量で流されてるラジオに聞き耳を立てつつ、
周りの人達との会話なんかで
なんとか現状を把握しようと必死だった。
それから数日間の避難所暮らし。
水もガスも全く使えない生活っていうのが、
こんなに不自由だということに改めて気付かされた。
食事は基本的におにぎり一個のみで、
最初の2日間は夜は
食事そのものの支給がなしっていう状態だった。
トイレも全く水が流れないので、
近くの川から汲んできた水を大きなバケツに溜めて、
利用する度にその都度使用者が
それを柄杓で汲んで流すっていうやり方。
当然お風呂にも入れない。
三日目になってさすがに厳しくなってきたので、
遠くのなんとか営業出来ているスーパー銭湯まで
自転車で入浴しに移動。
お昼の3時頃に行ったけど、
すでに軽く100人以上が列を作っているような状態・・・
丸々二時間並んでやっと入浴。
そんなこんなでとりあえず水道が回復して
自宅に帰れるようになったので、
自分の避難所暮らしは三日間程で帰宅。
そして未だに頻繁な余震がありつつ今に至ると。
ただ、これでも自分のいる熊本市内はまだマシな方で、
隣の益城町や南阿蘇の地域は被害も甚大で、
南阿蘇なんかは阿蘇大橋や俵山トンネルの崩壊で、
交通ルートが遮断されてろくに救助や支援にも行けないような状態・・・
そして未だに頻繁な余震がありつつ今に至る。
ただ、今回経験出来て良かったことば、
避難所で知らない人同士が積極的にお互いを気遣って、
テントを作るとなればみんな進んで手伝ったりと、
人間が生きていく上で必要な
「お互いに支え合う心」が改めて認識させられたこと。
避難所ではいろいろな国から留学などで
来日していた外国人の人達もちょくちょく見かけたけど、
あれだけの大混乱の中でそういう人達も含めて
誰一人自分勝手な行動をせず
みんな一致団結してこの震災を乗り越えようとする姿は、
自分で言うのもあれだけど素直に素晴らしいと感じた。
最後に、被災者の一人として皆さんの寄付や
ボランティアに本当に感謝しています、
ありがとうございます。