家族からモラハラを受けてた。
まず言われた通りにすると怒られる、
しなくても怒られる。
例えば部屋を掃除しろと言われてやったら
勝手にものを動かしたと怒る。
洗濯物を取り込めと言われて畳んでしまったら
そこまでやれとは言ってないと怒る。
次は取り込むだけにしてみれば、
どうして畳んでしまわないのかと怒る。
そして食べ方が汚いから綺麗になるまでは
一緒の食卓には座らせられないと、
1人だけ台所の隅の別のテーブルで食事させられる。
こぼさず残さず食べても、
必ずどうしてこんなに汚く食べるのかと怒られる。
風呂に入れば水を使いすぎると怒られ、
寝れば布団にシワが寄っていると怒られ、
1つ1つ挙げるときりがないが、
生活の全てがこんな調子。
両親と弟との4人家族だったんだが、
標的は常に自分だけだった。
両親には
「何1つまともにできないクズ」
と蔑まれ続け、弟もそれに倣って俺を嘲笑った。
肉体的な暴力は一切なかったし、
父親は社会的地位が高い職業で信用もあったから、
自分がそんな扱いを受けていることは
家族以外誰も知らなかったと思う。
当時モラハラなんて言葉はなかったし、
子供にとって家庭は絶対の場所だから、
自分にとってはこの扱いがずっと通常運転だった。
ただその扱いを当然と思っていた訳ではなく、
なぜなのかという疑問はずっと抱えていた。
洗脳されきってしまわなかったのは多分、
本をよく読んでたからだと思う。
家に帰るのが嫌で学校の図書館に毎日入り浸っていた。
帰りが遅いことは毎日怒られたけど、
本は現実逃避のための道具で、
自分の周りだけが世界の全てじゃないということを
教えてくれる存在だった。
そして今でも本当に不思議なんだが小学6年の時、
芥川龍之介の「河童」を読んでいて突然
「おかしいのは自分ではなく家族だ」
ということを唐突に確信した。
内容に触発されてそういう結論を導き出したというより、
本当に雷に打たれたみたいに突然それが閃いた。
天の啓示があるとしたらまさにあれなんだろう。
それまではなぜ自分だけが家族とうまくやれないのか、
自分の何が悪いのか、どこがおかしいのかと思い悩み、
うまく折り合いを付けられる道がどこかにあるはずと
信じていたが、その瞬間から100%家族の方がおかしい、
取り込まれてはいけないと考えるようになった。
世間体を気にする家だったから
進学を阻まれなかったのは幸いだった。
大学に入学してからは一度も家に帰っていない。
ちなみに今はもう就職し家族や親戚には住所も
職業も教えていない。
地元にいる友人の話では割といい大学に入った俺を
母親は自慢の種にしていて、今は海外で勤めていることに
なっているそうだ。
まあそんな話はどうでもいい。
俺の人生の一番の衝撃は学校の図書館で
自分の尊厳を取り戻したあの瞬間だった、
それだけが言いたかった。t-size: 17px; color: