あの子を救うチャンスを二回も逃してしまった

10年以上前、ある日妹夫婦から
生活費の支援を頼み込まれました。
当時彼らには小さい娘がいたのですが、
旦那がクビになり
どうにもならなくなったということでした。

私は当時(今もずっとですが)独り身で、
自分で言うのもなんですが大きな会社に勤めて
それなりの稼ぎを得ていたので、
当てにされたのだと思います。

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そのとき私と彼ら夫婦の3人で
話し合いの場を設けたのですが、結局断りました。
具体的な話し合いの内容までは流石に覚えていませんが、
断った理由ははっきり覚えています。
私は金を貸すつもりだったのに
彼らは金を貰う予定だったため、
最後まで折り合いがつかなかったからでした。

結局彼らはそのまま離婚し
妹が娘を引き取ったもののいわゆるネグレクトになり、
妹が実家に娘を置いて夜逃げ同然でいなくなったため、
娘は田舎に住む私の母(当時父は既に他界)が
面倒を見ることになりました。

この辺りは伝え聞いただけなので
詳しい流れは分かりません。
元々私自身家を出てから
あまり家族付き合いはしていなかったので。

それからしばらくして、
その娘のことで親戚一同話し合うからお前も来い、
と実家に呼び出されました。
実家での話合いは、娘の養育が
母の(年齢・金銭の両面で)負担になっているため
親戚の誰かが引き取るか決めようとのことでした。

そのとき強く記憶に残っているのは、話合いの頭で
「引き取った家族に私が毎月幾らの支援をする」
ということが既に決定事項のように伝えられたことでした。

その後の話合いでもその場にいた全員から、
金だけ出して口は出すなという無言の圧力を受け、
私は静かにブチ切れていました。

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結局話合いの途中で
「金づる扱いされるだけなら
自分はこの話に一切関わらない」
と吐き捨ててその場から逃げ、
その後親戚とは一切の連絡を断ちました。

断ったつもりだったのですが、
それから数年して連絡が入りました。
あの娘が交通事故で亡くなったという知らせでした。

結局あの話合いの後も母が面倒を見ていたそうです。
そして母が一瞬目を離したすきに
娘が道路へ飛び出したとのことでした。

娘の葬式にも妹もその元夫も帰ってきませんでした。
母がボロボロに泣いていたのが印象に残っています。

あの子は私が半分しなせたようなものです。
あの子を救うチャンスを二回も逃してしまった。

正直に言うと、支援をするだけの余裕はありました。
二回とも、自分のつまらない意地で可能性を潰してしまった。

本当に何もかも手遅れだったのですが、
あの子を見送るとき非常に後悔しました。
数年前母も見送りました。

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