私は母親に「お母さん」と呼ぶなと言われ育った。
幼稚園の卒園式後に、
「もう”お母さん”しないからお母さんと呼ぶな」
と言われたのを、三十路になった今も覚えてる。
姉達もそう言われていたそうで、
私が卒園した日から我が家から
「お母さん」という声は消えた。
母を○(名前)ちゃんと呼ぶように言われた。
とっさにお母さんと呼んでしまうと
「もう”お母さん”辞めたんだから!」
と不機嫌になるので、怖くて割とすぐに呼び慣れた。
ただ、外でもそうなので、
他の保護者や友達の前とかでは
かなり恥ずかしかった。
PTAや行事なんかの保護者としての仕事はしていた。
家では放置に近かったけど。
甘えた時に「こっち来ないで・くっつかないで」
と突き放されたり、「仕方なくうんだんだ」
みたいな事を普通の会話で言われるようになった。
「あんたは拾い子」系の冗談も何度も泣くまで言われた。
父からも守ってもくれないし、
学用品購入もウンザリな口調で文句をいわれ
「金食い虫」呼ばわりだった。
食事も手抜きに。
親達が刺身盛り合わせ・肉・おつまみで、
子供はエノキの出汁煮だけとか。
姉が既婚者と付き合ってた時、
バカみたいに応援して協力していたのを見た時は、
本当に親を辞めてたんだな~と思った。
保護者ではあったけど、
親子という関係を嫌っていた。
そんなお母さんアレルギーの母が、
・叔母(母妹)の葬儀直後に従姉妹達に向かって、
「これからは私をお母さんだと思ってね・
お母さんだと思って甘えてね」
と無神経にデカい声で宣言した事
・母が発言した瞬間に、スタンド?
で固定されていた葬儀用のデカい花飾りが
突然バターン!と倒れた事
・そして(亡くなった叔母さんが怒った!
頑張って母を祟って!)と
瞬時に祈った自分に衝撃だった。
小学生時代から
愚痴聞き役になってたから色々聞いた。
祖母は母を搾取用、
叔母を愛玩用として育てて
差別が激しかったらしい。
叔母には甘々だけど母だけ色々と嫌がらせを受けたり、
家事は母がさせられたり、
貯金取り上げられたり金銭的な搾取もされてたと。
実際、従姉妹はメタメタに愛玩して
私姉妹は孫イビリされてたから納得。
そういう所からの
お母さんアレルギーなんだと思う。
「お母さん」=嫌な存在って。
母は姉を間違った方に愛玩、
私は搾取対象にしてたから
結局同じような物なんだけど。
とはいえ、母のは愛玩とは言っても、
お母さん辞めてるから友達みたいな関係だったな。
ポツポツと記憶の彼方から色々蘇ってきて、
今更衝撃受けてるので投下。
・母は祖母を嫌悪、でも祖母宅の近所に引っ越し。
裏で愚痴言いながらもお金を貸し、
頻繁に顔を出し、私に自宅、
祖母宅二軒分家事をさせる。
が、介助が必要になってくると
完全無視し亡くなるまで従姉に丸投げ。
・叔母とは表面上ベッタリで、そっちにも頻繁に顔出し。
しかし叔母が余命宣告を受けると完全無視。
会いたいと泣く叔母に最期まで会わず。
・姉とはベッタリ母子。姉の恋愛にも協力。
借金も肩代わりし叱らず。
しかし既婚男妻にバレると、
姉を気持ち悪いと言い捨て完全無視。
と毎回裏で私に愚痴吐きながら
金と労力使ってからの縁切りパターン。
貯金もう無いとか嘆いてたのに、
私が逃亡してから姉と仲復活してたのは
笑える衝撃。
子供は男が欲しかったそうで、
最後の私が女だったから 私 に
ガッカリしたと言っていた。
それ私の所為か?
でも姉が既婚男の子供うんで、
その子供が男の子だったから
きっと幸せにしてるんじゃなかろうか
父親はアル中でDV、自称鬱の
分かりやすい毒親だったから特に衝撃は無かった。
他にも細々有るけど、地味に衝撃だったのは、
絶縁して10年、母や姉の事や過去の事は
キレイさっぱり忘れてた事。
昔は「自分に子供が出来たら連鎖してしまうんじゃ…」
と考えた事もあったけど、
忘れてたから全く悩まず気にせず、
子供3人育てる普通の母親してる。
親になって、ますます母が理解不能なので、
脳の構造が違うんだろなって結論づけて終了。
お母さん辞めたんだから親じゃないわけで、
介護も冠婚葬祭も完全スルー予定。
借金だので世話になった姉が
何とかするんじゃないかな。
お互い連絡先知らないから
いつしんでも分からないので、
相続放棄の時の手続きが面倒そうなのも衝撃。