この話は長年教師をしていた祖母が
まだ新米だった頃に体験した話。
また母からの又聞きなので細かい部分は
おかしいとこがあったりするかもしれんがとりあえずスルーで。
祖母はそこそこ金持ちの出で半ば箱入りに近い環境で
育った人だった。
女学校(師範学校ではないが一応正式な教師だったらしい)を卒業して
教師になって地元から少し離れた学校に赴任した。
で祖母は赴任したその年、
学校の近くであった祭りに1人で遊びに行ったんだって。
でもまぁ先にも書いたが半ば箱入りの祖母は
そんな所で遊んだ経験が乏しく、
浮かれていたせいか何なのか祖母は的屋の兄ちゃんに
金を巻き上げられたんだ。
(何故そういう展開になったのかはよく解らないが
後年祖母に聞いた所私は悪くないの一点張りだった)
祖母曰くその当時(昭和20年代)の的屋ってのは
ほとんどがヤのつく自営業またはその下っ端。
対する祖母は箱入りの新米教師。
為す術もなくかなりの額を巻き上げられ
(母曰く1月分の給料、祖母曰くそこまでではないが
中々の額)祖母は泣く泣く祭を後にした。
祖母は地元から離れた所に赴任していたが実家住まいで、
祭に行って給料全部巻き上げられたなんて
両親に言えるはずもなく赴任先の学校で1人べそをかいてた。
すると偶然学校に残ってた用務員のおじさんが祖母を見つけ
「どうしたんだい。何かあったの?」
みたいなことを言ってきた。
祖母は祭に言って的屋に金を巻き上げられたこと、
両親には言えないし周囲にも相談する人がいないってことを
用務員のおじさんに伝えた
用務員のおじさんは祖母の話を一通り聞き終えると
「そうかそりゃあ大変だったね。おじさんも一緒についてってあげるから
お金返して貰うよう掛け合ってみよう。」
って言ったんだ。
別に祖母はその用務員のおじさんとは
特別親しかったわけではなかったし、
何より的屋の兄ちゃんがかなり怖かったらしく
「いえいいんです。」
とか言いながら断ろうとしたんだけど、
用務員のおじさんはニコニコ顔で
「大丈夫。大丈夫。」
って言って祖母の意向を無視。
結局祖母はその用務員のおじさんに
引きずられるように再び祭の会場にいったんだ。
祖母と用務員さんが祭の会場に着いた時、
祭はほとんど終わってて的屋達が祭の後片付けをしてる
最中だった。
用務員さんは祖母に教えて
貰い金を巻き上げた件の的屋の兄ちゃんに声をかけた。
用務員さんは件の的屋に物凄い穏やかな態度で
「この人からお金巻き上げたでしょ。
この人それで困っているからお金を返してあげて下さい。」
って的屋に交渉を始めた。
そしたら的屋の兄ちゃんは激怒して
「俺は金を巻き上げてなんかない。その人が置いてったんだ。」
みたいなこと言って一歩も譲らない。
暫く用務員さんの穏やかな説得と的屋の怒声交じりの反論が続く。
すると祭の後片付けを終えた他の的屋達が野次馬として集まってきた。
因みに祖母は用務員さんが的屋に声をかけた時から
ずっと用務員さんの後ろに隠れて震えてたらしい。
更に野次馬は集まってきたが用務員さんは
穏やかに返すよう的屋に促していたが
野次馬が集まり強気になったのか的屋は急に
用務員さんの胸倉を掴んだ。
用務員さんの胸倉が捕まれた時、
祖母はもうダメだ殺されると思った。
ところが、用務員さん。
胸倉を掴んできた的屋の手を鋭く払いのけると
「てめぇ。俺が○○んとこの××だって知らねぇのか?」
って今までの穏やかな態度から一変。
低くそれでいながら周囲の人間全員に聞こえるような、
いわゆるドスの利いた声で名乗った。
すると的屋真っ青な顔になったと思った次の瞬間には土下座。
周りにいた野次馬達も全員顔真っ青。祖母1人だけポカーン。
その時の祖母は知らなかったが○○ってのは
祖母の赴任先の学校どころか祖母の住む都道府県一帯を
締めてたヤのつく自営業。
さらに××は○○のボスの側近で
こと武力では絶対に逆らってはいけない存在だったらしい。
そんな大物とは露知らず食ってかかった的屋は土下座のまま半泣き。
しかし用務員さん
「おい。泣いて土下座してねぇでさっさとこの人に金を返しな。」
と容赦がない。
的屋慌てて祖母に巻き上げた金どころか
有り金全部を渡そうとしたが、
ポカーンとしてた祖母がここで我に帰り
「巻き上げられた額だけでいいんです。」
と受け取りを一旦拒否。
しかし的屋は用務員さんの手前有り金全部を渡そうする。
さっきまで怖くて仕方なかったガタイのいい兄ちゃんが
泣きながら必死に金を渡そうとするので祖母も段々泣き顔になってきた。
(祖母的にはガタイのいい兄ちゃんが泣きながら迫ってくるのが
怖かったと1人でパニくる)
そこで再び用務員さん、
「おい。この人をこれ以上困らせんじゃねぇよ。巻き上げた分だけ出しな。」
と一喝。
結局祖母は巻き上げられた分の金だけ受け取り、
夜遅かったことから途中まで用務員さんに送ってもらい家に帰ったそうです。
一応後日談もあるが長くなったので割愛。
その後祖母は数年その学校に勤めた後、他校に移動。
用務員さんとは事件後も特に親しくなった訳ではなく、
他校に移動になった後の用務員さんについては全く知らないとのこと。
しかし以後祖母は学校の用務員に一角の敬意を払うようになったという。
後日談。
事件後の翌日祖母は用務員さんにお礼を言いに伺った。
ところが昨日の迫力は何処へやら、
いつものニコニコと穏やかな態度で用務員さんは祖母に接してくれた。
で祖母はおどおどしながら意を決して用務員さんが何者なのか尋ねた。
いくら祖母が箱入りで世間知らずとはいえ、
この用務員さんがタダモノではないのは察知していた。
用務員さんは最初は
「ナンデモナイヨー。」
「タダノオジサンダヨー。」
とかはぐらかしてたんだが、
祖母が(おどおどしてるくせに)しつこく聞くから、
観念して社会の仕組みを教えてくれた。
続きの前に補足を。
この時代(昭和20年代)教師という職業は
社会的ステータスが高くてそれこそ先生さま先生さまっていう時代だった。
とくに校長先生ともなるとほとんど地元の名士みたいな感じで、
生徒がなにかしらの問題を起こしても大体のことは校長が出張れば解決したらしい。
ただそれはあくまで表社会の出来事で
いくら地元の名士校長先生さまでも裏社会にはほとんど影響力はなかった。
で馬鹿な奴ってのはどこにでもいて
(特に戦後の混乱期の影響か表と裏が本当に近かったらしい)
裏の人たちにちょっかいかける学生もいたらしい。
でそういう対処は校長先生さまにはできなかった。
一方の裏の人たちも、いくらちょっかいを出してきても
基本的に堅気には手を出したくはなかった。
そこで両者の間では暗黙の協定が結ばれ、
用務員さん曰く基本的に学生たちに校長先生さまは
裏にちょっかいを出させないよう監視する。
裏からは絶対に手を出さない。
ただし何らかの問題が発生した場合に備え
学校側に有力な裏の住人を常駐させ、彼らに問題を解決させる。
てなことをしてたらしい。
ちなみに用務員さん曰くこれと似たようなことは
全国どこでもやってるとのこと。
で用務員さんはそんな有力者の1人だったってこと。
ちなみにこの協定は一見学校側が有利に見えるかもしれないが、
一部の裏の人たちにはもっと魅力的だったらしい。
というのも常駐する人たちは裏だと
それこそ一騎当千の大物がほとんどだったんだけど、
そういう人の多くは長く切った張ったの世界にいたせいか、
表にあこがれに近いものがあったんだって。
でも裏の住人であるため表の方だと絶対就職なんてできなかったらしい。
だから学校の用務員ていう表の職に就けたのは
涎が出るほどうれしかったって用務員さんは言ってたって。
ちなみにほんとに余談だが、
祖母が用務員さんの○○んとこの××てのが何者だったか知ったのは、
次の次の赴任先の先生から教えてもらうまで
どれくらいの人か分からなかったらしい。