わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました

わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。

夕方に出張から父が帰ると、
冷蔵庫と藤製の電話台以外の
家財道具が一切なくなっており、
ぐったりしたわたしと、
同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。

何故母がいなくなったのか。
事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので
(船で遠出をする仕事)、
わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の
父方祖父母に預けました。

これが第一の修羅場です。(主に父が、ですが)

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時は流れて1年後。
わたしは父方祖父母宅(以降自宅)近くの
幼稚園に通っていました。
幼稚園バスが迎えに来る場所は、
自宅から400mほど真っ直ぐ進んだところで、
大きな道路に面した場所でした。
その道を、わたしと祖母と、
祖母にだかれた弟と歩くのが日課でした。

ある朝いつも通りにバスが来るところへ向かっていると、
私たちの目の前に、大きなワゴン車が停まりました。
ワゴン車の助手席からは、母が降りてきました。
1年ぶりに見る母の姿。
運転席からは見たことのない男性が降りてきましたが、
気にはなりませんでした。

嬉しくて、わたしは母に駆け寄りました。
母もこちらに歩いてきます。
「ママー!」
“きっとだき締めてくれる”。
わたしはそう期待していたと思います。
しかし、母からの返答は違いました。
「邪魔」
表情もなく、その一言でした。

思っていたのとは違う反応に固まるわたしをよそに、
母は弟をだく祖母のほうに歩を進め、
そして祖母から弟を文字通り奪おうとしました。

“弟がとられる”。
直感でそう思ったのでしょう。
わたしは母の足にしがみつき、
「やめて!○○をとらんで!」
と叫びました。
しかし所詮4歳女児です。
母が足を振ると、飛ばされました。
大好きだった母から、
忘れられない一言をもらいました。
「あんたいらない!邪魔やからどいて!」
これが2番目の修羅場です。

そこからの記憶はありません。
いつの間にか、
わたしの生活から弟はいなくなっていました。
しかし不思議なもので、
いなくなっても何一つ生活は変わりませんでした。
まるで最初から弟がいなかったような生活です。
祖父母はもちろん親戚も誰一人、
弟について話す人はいませんでした。

たまに身内ではない人から
「一人っ子?」と聞かれるときだけは、少し困りました。
事情を話すのは何だか良くない気がするし…と毎度困り、
その度に母に言われた言葉を思い出し悲しくなり、
「わたしはいらないこども」と心が重くなったのは、
2.5番目の修羅場と言ったところでしょうか。

その修羅場は父にも、
そしていつも傍にいてくれて愛してくれた祖父母にも、
言えませんでした。

それからまた時が流れ10年後、
わたしが15歳のときです。
ある日単身赴任から帰った父から、
神妙な顔で問われました。
「お前、お母さんや弟に会いたいか?」
思いもよらない言葉でした。

それまで親子であっても母や弟の話をすることはなく、
当時のことを話題にするのはなんとなくタブーでした。
わたしも聞かないし、父も誰も話さない。
そんな中、10年ぶりに上った母と弟の話題。
“会いたいか?”との質問。

わたしが答えられないでいると、
いつもはハートマン軍曹のように恐ろしかった父が、
下を向いて話始めました。

母は裏切りの挙げ句に失踪したこと。
失踪した段階では離婚をしなかったこと。
(むしろ捜索願いを出していたこと)
弟を奪いにきたことをきっかけに
裏切りの末の逃亡と判明し、離婚を決意したこと。
しかし親権で揉め、裁判になったこと。

父は姉弟ともの親権を要求、母の主張は一貫して
「長男(弟)を寄越せ、娘はあげる」
というものだったこと。
最終的には娘(わたし)は父、弟は母になったこと。

裏切りのことは何となく気付いていました。
そうじゃなければ、
徹底して誰も話題にしないのは変ですから。

「お前は覚えてないかもしれないけど、
俺が帰ったら家の中になぁんもなくてなぁ…」
「…覚えてるよ」
記憶に残る捨てられた日の室内の様子や、
窓から見えた風景を父に話しました。
弟が連れ去られた日のことも。
「3歳とか4歳とかのころのことなのに、
よく覚えてるんだな」
少し笑う父でしたが、
笑いながら、二人で泣きました。
しかし、母から言われた“いらない”の言葉は、
言えませんでした。

わたしは父に、会いたいと答えました。
大好きだった弟に会いたいのは勿論、
母に対してこのときは
まだ少し希望を持っていたように思います。
どうしてもの事情があって、わたしを捨てたのだと。
その事情が知りたい、と。

そして15歳の夏、
父の単身赴任先で、母に会いました。
駅前に停めた車の中で、
父と一緒に、母と弟を待ちました。
少し時間に遅れて現れた母に、
わたしは驚愕しました。

顔はあべ○江さんに似ていたと思います。
しかし服装は、きつめのパーマがかかった茶髪、
豹柄にジャケット、
皮製のテラテラしたスカート、
品のない光り方をするパンプス。
今思えば、アメリカの映画に出てくる
下品な女性そのまんまの見た目です。

勝手に山を開拓して家庭菜園を越えた畑を作っていたり、
未だにお風呂が薪をくべて沸かすタイプだったり、
猿が間違えて室内にいたり、
鶏をペットに飼っていたりするようなド田舎育ちのわたし。
テレビ以外でそんな服装をする人間を見たことがありません。

また、そんな女と一緒に現れた弟の服装も、
再会の場にはそぐわないものでした。
なんと野球のユニフォーム一式、
バットとグローブ所持。
野球部の遠征かな?と思いました。

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とにかく想像を絶するというか想定外の服装で現れた二人に、
わたしは何も言えませんでした。
(ちなみに父は40代一般的なありふれた服装、
わたしも一般的なありふれたワンピース)
その後、父の運転する車で、
父の単身赴任先の官舎に向かいました。
わたしも官舎を訪れるのは初めてでしたが、
到着して見た風景は、
あの日彼女がわたしたち捨てた部屋から
見ていた風景でした。

部屋に入ると彼女は
「材料あるの?ご飯作るよ。
○○(弟)はお父さんと外でキャッチボールしておいで」
と言い始めました。
つまりわたしと彼女は二人きりになる。
嫌で嫌でたまりませんでした。

父に助けを求めようと目で合図をするも通じることなく、
10年ぶりの再会から1時間後、
わたしと彼女は二人きりにされました。

祖父母に育てられずっと心に重しを持ったわたしは、
周りを観察し察する能力が優れていました。
その能力を使う…までもなく、
彼女がわたしを捨てた事情や理由は察しがつきました。
いえ、察するまでもありませんでした。

この女、何も考えてない。
キッチンに立つ縮れ頭の
ケバいおばさんの後ろ姿を見ながら、
どうやってこの時間を乗りきるか、
それしか考えれませんでした。

しかし、縮れ頭は口を開きました。
それはまた、新たな修羅場の始まりでした。

「あんた、大きくなったねー」
「…はい」
「えー暗いじゃーんww田舎で育ったからー?wwwww」
「…どうでしょうか」
「昔は活発だったのにねーwww」
「そうですか…」
「あの頃はわたしも大変だったからさー、
悪かったと思っているのよー」
「…」

わたしが黙っていると、縮れ頭は一人語りを始めました。

失踪当時、父は仕事で海に出てばかり。
守秘義務やら職務上の決まりで、
陸上とは一切連絡禁止。
縮れ頭は地元から遠く離れた地で一人ぼっちだった、と。

「あんたがうまれた日は雪がすごくてさー。
うちの親が来てくれる予定が新幹線止まっちゃってww
だーれも来てくれなくてー」

わたしがうまれて2年後、弟を授かった。
しかし父は相変わらずいない。
一人ではなくなったけれど、
あくまで手のかかる幼児。
寂しさを埋める役には立たない。

弟がうまれた。
子供は二人になったが、
やはり寂しさは埋まらない。
そんなときに出会った男と交際、
そして逃避行。
しかし離れてみて、
子供がいない寂しさに気付いた。
そして、弟を取り戻しに行った。

そう語る縮れ頭に、ふと聞いてみたくなりました。
「どうしてわたしじゃなくて、弟だったの?」

縮れ頭はキョトンとしたあと、
ケラケラ笑いながら答えました。

「だってあんた、
男じゃないから跡取りになれないじゃんw
だからいらなかったのよwww」

男じゃないから、“いらなかった”。
10年ぶりに言われた、“いらない”との言葉。
嘘でそんなことを言う必要はありません。
つまりそれがこの女の本心です。
本心から、わたしを“いらない”と思っているのです。

それから後のことは、またもや記憶がありません。
15歳という年齢や出来事の大きさを考えると
成長と共に記憶が風化することはなさそうなので、
ショック過ぎて思い出すことが出来ないのでしょう。
28歳になった今も、
「いらなかった」と言われた以降のことは
思い出すことは出来ません。

改めて母親から“いらなかった”と言われたことが
3番目の修羅場。
そして、未だにそれを引き摺っていて、
恋人が出来ても
「本当はわたしはいらないんじゃないか?」
とすぐ不安になり、
必要と言われたいが為に
相手を試すようなことを繰り返してしまい、
継続した関係を築けずにいることが、
4番目の修羅場です。

結局今は親族全てと縁を切っていて独りぼっちだったり、
「女だったからいらなかった」と言われたためか、
自分を嫌悪するようになったり、
弟が母方祖父母に酷い扱いを受け失踪の後に補導されたり、
というのも修羅場っちゃ修羅場ですが、
これはまた別の話。

病院に行ったことはありません。
自分がどこかおかしい自覚はありますが、
診断がつくのが怖い気持ちがあります。

あくまで表面的なものに限りますが、
人間関係は比較的得意です。
相手の機嫌を察するのが上手くなったおかげで、
仕事でも何かと重宝して(されて)おります。
ただ、相手の本心等を察そうと
延々気を遣って疲れるので、
友達を作るのはめんどくさいです。

ダメンズ、交際相手に関しては、
メンヘラメーカーというか…。
察する能力が高いおかげか、
容姿は十人並み以下なのに
好きになられることが多いのですが、

相手を試して、
思う通りの答えが返ってくるとすごくなつく

少しするとまた不安になって試す

ふるいにかけるように上記のことを繰り返してしまい、
普通だった方も気付くとメンヘラになってしまいます。
…やっぱり病院に行ってみるべきですよね。

いらない子じゃないって言われて嬉しかったです。
涙が出ました。
ありがとうございました。

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