生死を彷徨って助かった。祖母「行けない理由が孫の葬式だなんて、年寄りくさくて人に言えないわ」

私は生まれてすぐ敗血症になり、
新生児期は何度も生死の境を彷徨ったそう。

本当にもうダメかも・・と身近な親戚が
呼ばれること数度、でもなんとか生き延びた。

「このヤマさえ越えれば・・」

と言われていた時期を乗り越え、
容態が安定し、医者から

「もう大丈夫です!」

と言われた時。

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両親や親類の喝采の中、父の母は

「命根性の汚い子ねえ。本当にもう大丈夫なの?
私もうすぐ同窓会があるのよ。行けない理由が孫の葬式だなんて、
なんだか年寄りくさくて人に言えないわ」

と言い放ち、両親と絶縁になった。

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余談ですが、私はこの話を
高校時代になるまで知らず、父の母は
 
「ひどい事故を偶然目撃してしまい
精神を病んでしまった。だから会えない。
事情が事情なので、父方に祖母がいるとか、
人に話したりもしないように」 
 
と聞いていました。
高校の頃、父の母が大病し、連絡が入る。
ここで初めて真実を知り私はパニックに・・。 
 
父の姉が連絡をしてきたが
(ちなみに、父に姉がいたことも知らなかった・・)、
要は過去を水に流して地元に戻り
介護をして欲しいという話だった。
 
両親は当然突っぱねたが、父の姉はしつこかった。 
 
果ては、親がやらないなら
孫(私)がやるべき、父実家に住んで大学も
そこから通え、とまで言い出したらしい。
 
自分は足が悪くて無理!の一点張りだった。 
 
ついに電話で父の母と
直接対決することにした両親。 
私は自室にいたんだけど、
父のすごい怒鳴り声が聞こえてきて
びびっていた。
 
私の名前が何度も聞こえてきたので
ついリビングに向かってしまったんだけど、
母が泣きながら 
 
「命根性の汚いババアね!もう死んで!
死になさいよ!今すぐ死んで!!」 
 
などと叫んでいて心臓止まるかと思った。 
実はちょっとだけ、突然降ってわいた
身内の話にほだされそうな自分もいました。 
 
ひどい話と分かってはいたんだけど、
自分に記憶はないし、父の姉は
情に訴えてくるし、両親のことを
 
「そこまでしなくても・・」
 
と心の片隅で思ってた。
でもあの瞬間、母が泣き叫ぶ異常事態を見て、
そういう考えが100%吹き飛んだ。
私には
 
「うちの親は真っ当な人間」
 
っていう絶対の自信があるから。 
両親の断固拒否姿勢は変わらず、
加えて突然硬化した私を見て、
父実家は諦めた。
 
介護費用だけは父がかなり
出したけど(1000万くらい)、
父の姉は一族じゅうに
 
「1円ももらっていない」
 
と吹聴し親族間でかなりの
借金をしたらしい。(この嘘は結局
父の母葬式時にバレて大揉めしたらしいが、
父は葬式にも呼ばれず、親族達もいまさら
父の味方をするのもイヤだったらしくうやむやにされた) 
 
あの修羅場の夜の詳細を
両親は決して教えてくれなかったけど、
最近、留守録用のテープを見つけてしまった。 
ピンときてこっそり聞いたら、やっぱりあの夜の電話の録音だった。
私は本当に
 
「命根性の汚い恥知らず」
 
と呼ばれていた。 
 
「あの恥知らずが今まで
生きていたことは許してやる。
その代わりこちらによこせ」
 
とか、気の遠くなる内容だった。 
そんな人間の血が自分に
混じってると思うたびに、
ちょっと心の中が修羅場になります。 
でもやっと自分の中で
「本当に片付いたな」とも思いました。 
予想以上のクソで落ち込む反面、
妙にホッとしてる不思議な心境です。 
捨てた罪悪感が雲散霧消したんだろうな。
 
みなさん、温かい言葉をありがとうございます。 
本当に本当に、父も母も私を
「この世で一番のもの」と思って
育ててくれたんです。(まだ成人した程度で、
今も育てられてる身ですが・・) 
そして、うちの親は本当に真面目で優しい、
真っ当な人間です。 
そのことが自分の中で揺ぎ無い
絶対のものであること、
両親がそんな私に育ててくれたこと、
心の底から感謝しています。 
 
父方一族にしてみれば私は
「跡取り夫婦を狂わせた死に損ない・疫病神」
ってことなんでしょうが、
言われてみりゃ一度も会ったことのない、
ある意味お隣の猫ちゃんより縁のない存在ですもんね。 
 
なんだか不思議なくらい
スッキリしました。
本当にありがとうございました。 
 
献血、したことあるんです。 
色々知って、自分の血を撒き散らしたことが
申し訳ないとすら思ったけど、

行ってみようかなと思えました。ありがとうございます。

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