小5の初夏に両親が略奪婚だった事を知ってしまった

小5の初夏、学校からの帰り道で、
突然声をかけられた。
40歳前とおぼしき、身なりの綺麗な女性だった。

道にでも迷ったかと思っていると、
その女性は花柄の上等そうな封筒を差し出した。
そして

「あなたと同じ学校の山崎(女子生徒)の母です。
クラスが違うから知らないかもしれないけどね。
実は娘が、可愛くて成績の良いあなたと
お友達になりたいと言って
お手紙を書いたんだけど、
恥ずかしくて自分じゃ渡せないから
お母さんが渡してって頼まれてね。
突然ごめんなさいね。
一生懸命に書いたから、絶対に読んでね」
と説明を受けた。

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今思えば怪しさしかないのだが、
私のことを”可愛くて成績が良い”などと思い、
密かに憧れてくれている女子がいる、
という意外性と嬉しさに浮かれて、
何も疑わずその便箋を受け取ると、
帰宅するまで待てずに近所の公園で
開封して読み始めた。

しかし、内容はあの女性の説明とは
全く異なるものだった。

10枚にわたる便箋には、
子どもにも読みやすい筆致で、
私の両親の結婚に関する事実が
びっしりと記されていた。

私の父は誰でも知っている大企業で働いていた。
そのときすでに父は、
高校生の頃から付き合っていた
ある女性と結婚していた。

本妻が子供を授かったころ、
父は勤め先の契約社員の6つ年下の女性と
交際をはじめた。
本妻がひどいつわりで苦しんで
入院している最中、父は彼女と旅行していた。

気がついた本妻が責め立てると、
父は開き直り「金はいくらでもくれてやるから
離婚してくれ」とだけ言い残し、家を出た。

謝罪は「すまん」の一言だけだった。
絶望のなか本妻が、
1度でいいからあなたの子の顔を見てと
手紙を書いても、父は訪ねてくるどころか、
返事すら出さなかった。

父のした仕打ちを父の実家に抗議しても
「貯金を全部やったんだからもういいだろう」
と無碍にされた。

本妻は結婚式にも出席した父の上司に電話を入れ、
事の顛末をぶちまけた。

すると彼女は途中で契約を切られ、
父は閑職にまわされたが、その後、
父もその会社を退職し、彼女と結婚、転職した。

そして生まれたのが
この私だということだった。

手紙の結び文句は
「あなた方の不幸を心から願ってやまない人間がいることを、
しぬまで忘れないで下さいね」
だった。

読み終えた私は呆然として、
しばらくは動けなかった。
手が震えていた。

今思えば、元本妻さんは、
会社をクビになって不幸になるはずだった父が
閑職時代に英語を習得し
(元々潰しが利くニッチな理系資格も持っていた)、
外資系に転職することで以前よりも
裕福な暮らしをしていること等が
気に食わなかったのだろうし、
それは当然の感情だと思う。

そして子どもが最も敏感と思われる時期を狙って
手紙を渡したのだろう。

しかし私はそのとき、
父と母に裏切られたとか悲しいとか言うよりも、
ひたすらに負けん気のようなものを
発揮してしまった。

大人たちの勝手な事情で、
不幸になんてなってたまるかという気持ちだった。

それよりなにより、
両親は彼女にとっては鬼か犬畜生だろうが、
私にとっては大事な大好きな両親だった。

それまで私は勉強にもスポーツにもやる気がなく、
放課後はずっとテレビゲームをして過ごすという
だらしない小学生だったが、
いきなり中学校受験に意欲を燃やしはじめた。
親にせがんで塾に通わせてもらい、
その夏休みにはさっそく強化合宿にも参加。

第一志望には落ちたが、
塾の先生にも無理だろうと言われていた
第二志望に合格した。
母は涙を流して喜んだ。

中学校と高校では文化系の部活に熱心になって、
その関係で表彰も受けた。
友人の大半が内部進学していく中、
私は少しだけレベルが上の大学に学外進学した。

その頃になるとインターネットの
あらゆる掲示板等に、私達家族を実名で
中傷する文章が現れるようになった。
父が外資系で働いていることを念頭に置いてか、
家族の名前をローマ字で表記し、
つたない英文で中傷するという
パターンの書き込みもあった。

元本妻さんが書いているのは明らかだった。
まだジオシティーズ等が全盛期の
ネット黎明期だったのに、
元本妻さんの執念たるや凄まじい……
と怖くなった。

目立つものには削除依頼を出したりしたが、
面倒なので基本的には放置しておいた。

就職に障るかと思ったが、
第一志望の企業に合格することができた。
それから何事も無く働き、
夫に出会い、結婚し、子供達が生まれた。

父と母が元本妻さんから奪った平凡な幸せを、
私たちは当たり前かのように享受している。

それが怖くて、独身時代に興信所で
元本妻さんの現状を調べてもらったことがある。

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どうかどうか、
幸せでいてくださいと心から願った。
そうでないと彼女の呪詛のパワーが
強まりそうで怖かった。

しかし、彼女はどうやら、
幸せではなさそうだった。

彼女の娘である、
私の母親違いの姉に当たる女性が、
すでに命を絶っているということだった。

彼女がくれた手紙はいまでも取ってある。
捨ててはいけないような気がするからだ。

そして自分の子を持ってこそ、
彼女の呪詛を本当に恐ろしく感じる。

年に1度は彼女がころしに来る夢を見る。
恐ろしい夢を。

でも、小5の頃の気持ちも忘れないでいる。
元気に前を向いて頑張るしかないという決意。

呪詛に恐怖して、うなだれて、
後ろを振り返った瞬間、
彼女に後ろ髪を掴まれそうだからだ。

呪われた身であることを忘れずに、
私はしぬまでずっと、どんなときでも、
元気でいるしかない。

高校に上がってから一応、
両親にその手紙を見せて確認は取りました。

手紙にはもっと詳細に様々なことが
書かれていたのですが、大筋は真実でした。

真実と違ったのは、
前妻さんは家の頭金として貯めていた
800万円+慰謝料200万円を
受け取っていたということと、
父が子供の顔を見せてくれと言ったが
逆に断られた(当然のことですが)
ということくらいですね。

手紙をもらった当時にも、
もちろん葛藤はありましたよ。

両親のことを本当に最低だと思ったし、
泣きわめきながら責め立てたいとも思いました。

英語が喋れて旅行やキャンプに
連れて行ってくれる洒落者
(と私の目には写っていた)
で自慢だった自分の父が、
そんなクズ野郎だと知って、
落差も大きく、本当に落ち込みました。

結婚して子供を持った今となっては
更に複雑な思いです。

気持ち悪いくらいに仲の良い両親を、
本当に気持ち悪いと感じる瞬間が多々あります。
人の人生をゴミのように踏みにじっておいて、
なぜこんなにニコニコしていられるんだろう、と。

地獄があるなら絶対に
地獄に落ちるだろうとも思います。

私が彼女と同じ立場に置かれたら、
ネットの怪文書や手紙では済まさず、
犯罪沙汰になるような事件だって
起こしていたかもしれないとも想像します。

彼女の辛い気持ちや恨みが少しはわかる
(わかったつもり)からこそ、
強い恐怖を感じると言ったら
都合が良すぎるでしょうか。。

ただ、冷酷薄情に思われるかもしれませんが、
親の因果を背負ってお前が不幸になれと言われても、
そんなのいやです、というのが本音です。

前妻さんは父が毎月入れていた15万円の養育費
(+年間100~150万円程度)のみで
生活していたのですが、
私に手紙を渡した頃からアルコール依存症・
育児放棄状態になり、
児童相談所や警察(近隣住民とのトラブルが元で)
とも揉め事を起こすようになっていたようです。

引っ越しを何度も繰り返し、
公共料金の支払い等はほぼ滞納していた
とも聞きました。

父も何度か訪ね、話し合いなどに
加わろうとしたことがあったらしいのですが、
前妻さんは「娘は渡さない」と激昂し、
まともに取り合ってもらうことは
できなかったようです。

娘さん自身、当たり前ですが父のことを憎んでおり、
顔も合わせてもらえなかったらしいです。

今現在、前妻さんはアルコール依存症の後遺症で
軽い認知症のような状態になり、
ずっと施設に入院したままになっています。
入院費用は父が払っています。

医者が言うには、もう社会復帰
=退院は難しいだろうとのことです。

異母姉が亡くなった当時、
すでに前妻さんは実質的に生活する
能力を失っていたため、
葬式や墓については、父が金銭面を負担し、
前妻さんの親御さんが取り仕切ったようです。

前妻さんの親御さんに「墓参りは絶対にするな」
と念を押されているため、していません。

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