PTA

弟が小学生の時だから6年ほど前になる。
弟が通っていた小学校は新設校で
地域の小学校3校が合併してできた小学校だった。
当時、弟は第1期生で6年生だった。

当時からと言うか、昔から
PTA役員と言うのは中々決まるもんではなかった。
無論、その時も決まらず、
新設校という事もありより決まることがなかった。

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そんな状態に痺れを切らし、
さっさと帰りたかった我が母は、PTA役員に立候補し引き受けた。
その時は母ともう1人弟の幼馴染みの母親も立候補し引き受けた。
後々聞くと最初から2人で示し合わせてたようで
誰も出なかったら立候補するつもりだったらしい。

弟のクラスは無事決まった。

決まっていなかった他クラスも、我が母がいると分かるや、
弟の幼稚園からの友だちの母親たちがドンドンと決まっていき、
あっという間に定員overになってしまった。

実を言うと母は、引っ込み思案の人見知りと自称してるのだが、
自然と上に担ぎ挙げられるような人で、
周りがお飾りのつもりで担ぎ挙げても仕事が出来るせいか、
いつの間にか周りを付き従えている事が多々あった。

この時もそんな母親を知ってる周りが、
母さんがいるならという事でPTAを引き受けた人が大半だった。

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かくして新設校のPTA役員が決まった。
当然、ここでは母親が会長を務めるのかと思われていたが、
まず母親が行ったのはPTA会則の改正だった。

そこで母は会長、副会長という役職を廃止し
全員が平等になる会則に変えた。
行事等にはPTA代表と言う形で持ち回りで参加して行った。
ただ入学卒業式での挨拶はもっぱら母親がやっていったが。。。

そして会議をする場所を変えた。
合併前は会議室で行っていたのを図書室やオープンスペース、
カフェテリア等で行うようになっていった。

それと同時に校内も見回るようになった。と言っても毎日ではなく、
会議が行われていた週1から週2くらいの頻度で見て回るようにした。

見回りで常に保護者の目があるという事実があるためか、
合併前には年数件ほどあったイジメがまったくなくなり、
学校側もイジメがあったとしても隠蔽できない環境が作りあがっていた。

何故か校長を筆頭に教師達も母親を慕い始め、
何かあったら相談するようになっていった。
市の教育委員会でも話題になり、
いくつかの小学校のPTAが見学に来ることもあったそうだ。

そして6年経った今でもこの流れは引き継がれていって、
未だにイジメは起きず平和な小学校になってるそうだ。

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