当時の母に年齢が近付いていく度、 母の気持ちが理解できていくが納得はできない

物凄く冷酷で鈍感な人だと思ってた母親に
目の前で泣かれたこと

私の母親は少なくとも優しい人ではなかったと思う
小さい頃は怒鳴られたり
叩かれたりするのは日常茶飯事だったし、
そのくせ私より素行も成績も悪い弟のことは
普通に可愛がっていた

母親は私を人前で馬鹿にすることを好んだ。
私を服屋に連れ出して服を選ばせては
大声でセンスを嘲笑った。
親戚や弟に私の失敗談を何度も何度も脚色して語った

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他人から見れば(なんだこんなこと)と
思われるかも知れないけど
母との生活は本当に苦しかった。
子供の頃は自分の家だけが世界だったから
(人生とは苦しくて辛いもの)という認識を
幼いながらも漠然と抱いていた

私の自殺をためらった跡を見た父に泣きながら
「あと○年たてば大人になれるんだ。耐えてくれ」と
泣きながら懇願されたから仕方なく生きてきた

私にとって母は恐怖と抑圧の象徴で、
人間らしい弱さなんてないものだと思ってた

私は実家から電車で30分ぐらいの大学に進学したんだけど、
母と私の関係を見兼ねた父がお金を出してくれたおかげで
進学を期に一人暮らしを始めた
父の意向もあって以降一度も実家には帰っていない

不思議と母は私が出ていくことに反対して、
何故か母方の祖父母まで味方につけようとした
(この件で母が祖父に叩かれてから
父母と祖父母は没交渉らしい)

下宿先も決まった、荷物も運び終えた、
諸々の手続きも終わった、入学式も終わった、
さぁさようなら!ってところで母に泣かれたんだよね

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40過ぎた女がアパートの通路の真ん中に座り込んで
目の前で泣き喚く。それが実の母親
はっきり言って同情より衝撃と困惑と羞恥が先行した

鼻水を啜る音と母の喉から発される
超音波で支離滅裂な発言を要約すると

・私は社会からの圧力に耐えられるほど強くなかった。
 本当は結婚もしたくなかったし子供も欲しくなかった

・皆の望む通り子供を産んだのに
 皆は少しも助けてくれなかった。
 褒めてもくれなかった。私はちっとも幸せになれなかった

・どうして私に見返りを与えてくれないのか。
 せめて側にいてほしい

私にメールで助けを要請された弟に引きずられて
母は帰っていった

歳を重ねて当時の母に年齢が近付いていく度、
母の気持ちが理解できていく
ただ理解と納得は違うんだよね

40超えの女に目の前で座り込まれて泣かれたこと自体より、
あの人間らしさが全く感じられなかった
母の涙が衝撃的だった

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