私の母はガンで死んだ。
発見した時はわたしがまだ母のおなかの中にいる時だった。
初期ガンだったため、ちゃんと治療すれば簡単に治るはずだった。
だが、治療するためには私をおろさなければならなかった。
母は私を産むことを優先した。
胎児に悪いからと抗がん剤も治療らしき物は何もしなかったらしい。
その事実を知ったのは小学4年生の時だった。
その頃にはもう母は寝たきりの状態になり、入退院を繰り返していた。
小さいながらも看病していた私は、くだらない事で母と喧嘩した。
その時、母も極限の精神状態だった為に
「あなたを産んだから私はこんなになったのよ!!」と私に言った。
私はその言葉が心に刺さった。
母に存在を否定されたから?違う。

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自分が母の命を奪う原因を作ってしまったのだと知ったからだ。
私は母に涙を流しながら謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、わたしいなくなるから。だからお母さん治って」
私の言葉に母は涙で顔をくしゃくしゃにしながら大声で謝りながら私を抱きしめた。
二人でひたすら謝り続けた。
そこで私の記憶が途切れた。

私が中学3年の時、余命2年と言われた私の母はまだ生きていた。
だが母はもう一人では立ち上がれず、
トイレも私が連れて行かなければならないほどに悪化していた。
母が入院した。
足を折ったのだ。
私が学校の間、家には誰もいなかったときにトイレに行こうと頑張った時に
足を滑らせたらしい。
母の足は骨の代わりに太い鉄の棒が刺さっていた。
私はあまりの衝撃に泣いた。
母は「ドジっちゃた、心配かけてごめんね?」と笑って私の頭をなでてくれた。
一番ショックなのは母なのに笑っている母の強さにまた泣いた。
その年の冬、私は冬休み中で母の病院に泊まっていた。
だが、母が痛みを訴えてきた。
看護婦さんを読んでも何もされず、母はずっと痛い・・・痛い・・・と唸っていた。
その日私は眠れず、そのイライラを母にぶつけてしまった。

次の日も母の痛みはおさまらなかった。
母は今日も泊まって欲しいと私に言ってきたが、
一晩中寝ずに看病していた私は正直家に家に帰りたかった。

だから「宿題があるから」と母をおいて病室をでてしまった。
病室の扉が閉まって2、3歩あるくと、ものすごい勢いで後ろ髪を引かれた。
振り返って見たが何もない。
ただ体が病室に引っ張られている感覚だった。
私は残ろうか・・・と思ったが、
また一晩中看護しなければならないと考えたら面倒くさくなって迎えの車に飛び乗った。

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その二日後、私は友人とマックで夕飯を食べようとしていた。
ハンバーガーを買って席に着くと、父から電話があった。
「お母さんが危ないかもしれない」
私はその一言でハンバーガーを友人に私店を飛び出して病院に向かった。
病室には父と兄がいた。
母は心臓は動いているものの、しゃべれなくなっていた。
だが、どこかで私は母がタヒぬわけないと考えていた。
今までもちゃんと回復した。今回だって・・・。
だから私は母に何も言わなかった。
だって言う必要がないと思っていたから。
だが1月10日。0時20分。
母がタヒんだ。
一番最初に父が泣いた。
そして兄が泣いた。
私は1分ぐらい状況が理解できなかった。
そんな私の手を父が引いて母に触れさせた。
そこには次第になくなっていく母の体温があった。
私はその時初めて母がタヒんだ事を理解して泣いた。
同時に後悔もした。
数日前のあの後ろ髪を引かれた時戻っていれば。
面倒くさがらずにそばについていてあげれば。
それよりも私は母に最後の最後まで「ありがとう」といっていない事に後悔した。
私はそれから丸一日中泣いた。
泣きつかれて丸一日中寝た。
目を覚ました時見たのは私を囲んでみている親戚と父の顔だった。
父曰く、私も「母の後を追ってしまったんじゃないかと思った」と言われた。
それから葬式、通夜などでばたばたしていた事。学校の友達が私のために泣いていたこと以外覚えていない。

ある日、母の遺留品を整理していると、何十冊ものノートがでてきた。
その中はすべて私と兄の事が書かれていた。
「今日は美咲と喧嘩した。娘には感謝しても仕切れないのに、
それをたまに忘れてたくさんの事を頼んでしまう。もっと自分でやるように努力しなければ」
「今日は美咲と外を散歩した。私は車いすだったけど久しぶりの外は楽しかった。いつか自分の足で歩きたい」

私はそれを涙を流しながらすべて読んだ。
母は自分のタヒ期を感じていたのだろう。最後に私と兄にあてたメッセージが書かれていた。

美咲へ

まず、だめな母親でごめんね?
いつもあなたにばかり頼ってしまって、あなたの負担になってしまってごめんね?
本当はもっと一緒に買い物したり、おいしいもの食べたりしたかった。
何よりあなたの花嫁姿が見たかった。
欲をいうなら孫も見たかった。
あなたといられた時間は他の誰より短かったけど、私にはあなたが一番大事でした。
だってあなたは私が命をかけて産んだ子ですもの。
いつかあなたにこのことで酷い事を言ってしまったわね。
本当にごめんなさい。
本当はあんな事思っていなかったの。
何度誤っても足りないわ。
ごめんなさい。
私はあなたを産んだことを後悔した日なんて一日もありません。
美咲、こんな駄目な母親なのに一緒にいてくれてありがとう。
いつも私のそばでそのかわいい笑顔を見せてくれてありがとう。
何より、私のところに産まれてきてくれてありがとう。
愛しています。
                    母より

このページだけ私の涙と母の残した涙でよれよれになってしまいました。
今は高校にも進学して充実した毎日を送っています。
この1年ほどで夢に母が2回ほどでてきました。
夢の中の母は変わらず笑顔で私の頭をなでてくれました。
たとえそれが夢でも私には励みになりました。
最後ですが私もお母さんのところに産まれてきてよかったです。
産んでくれてありがとう。

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