元夫「学も職もない女が食っていけると思ってるのか」しかし、人間万事塞翁が馬

高校卒業してすぐに結婚、
1年弱で妊娠したけど初期に残念な結果となった

家で泣いてたらその翌日に
元夫が養護施設から里親をあっせんしてもらうといって
そういう団体の資料をわんさか印刷して持ってきた

元夫の中ではこのことで
私が子供が授かれない女に認定されたらしくて
「もうどんなに頑張っても
血のつながった子は抱けないんだ」と泣いて見せたり
「だったら世の中に貢献しようって思わない?」と
里親制度のパンフレットを見せられたりした

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妊娠初期にこうなってしまうのはよくあることで、
私はまだ二十歳だから希望はあるからといっても
「いいよ無理しなくて・・・」と弱々しい笑み

そのあと姑に「うちの嫁、子供が育ちにくいんだって」と
よくわからない電話をしてるのも聞いた

養子話には当然抵抗してたけど、
NPOの面接に行くからきれいにしてきなって言われて
我慢できなくなって実家に逃げた
両親に「離婚なんてみっともない」と叩き出されて、
当時まだ独身だった姉のところに泣きついた
姉が怒って弁護士探してくれて22歳で離婚
元夫に
「学も職もない女が食っていけると思ってるのか」と
嘲笑されたのを覚えてる

その後は姉の支援でアパートを借りて
事務バイトを始めたけど、
夫の言う通り私みたいなのが
一人で食っていくのは本当に大変で、
最初の職場では漫画みたいな新人いびりを受けた
1年の契約満了まで頑張ってエクセルとワードを覚えて、
辞めた後に簿記2級を取った

次の職場では
いきなり役員秘書(見習い)にしてもらって喜んでたら、
実際は若い女をセクハラジジイに
あてがいたいだけだったみたいで、
セクハラから卑劣な扱いをされかけて逃げた

事務仕事は向いてないのかもと思って
スナックみたいなところで働いていたら
お客さんに「うちにおいで」と誘ってもらって
また事務職を始めた
簿記を取ってたので「実務を経験しな」と
経理をさせてもらって嬉しかった

そこで今の夫に出会って結婚、
いきなり三つ子に恵まれて
死にそうなくらい大変だったけど
義母がとてもいい人でサポートしてくれて、
仕事にも復帰できて、子供たちは小学生になった

私立の小学校で
越境してきてる子もいるというので
すごいなーなんて思ってたら
保護者会に隣市に住んでるはずの元夫がいて、
お互いすごく驚いた

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「3人も子供がいるなんて、治療でもしたの?」と
名簿を見ながら無遠慮に言われて
周囲の視線が恥ずかしかったけど
「いいえ、自然妊娠ですよ。
うちの夫はあなたより若くて
元気だからじゃないですか?」と
こちらも大きな声で言い返してやった

子供たちがいないからってDQNすぎたな・・・
と思ったけど、
仲良くなったお母さんたちに事情を話したら
みんなでGJしてくれて、
そのあと元夫がなんとなくハブられ始めたので、
性格は悪いけど正直スカっとした

(両親参加のイベントごとが多かったので
元夫がハブられてるのはよく目にした)

子供たちと一緒に勉強してたときに
「親の言うままに結婚せずに、
進学してりゃ人生違ってたかもね」
と何気なく呟いたら、
夫と子供たちが今からでも遅くないと応援してくれて
2年勉強して大学に入った

大学入学を機に退職を申し出たら、
社長がお祝いしてくれて
「うちみたいな零細会社には大卒がまだいない。
もし暇になったら、初の大卒社員として戻っておいで」
と言ってくれて泣いたw

今年三十代半ばに卒業が決まって、
夫が「卒業式には袴でも着なよw」と
私以上にはしゃいでる
魏両親含め、家族みんなで見に来てくれるとかで、
ちょっと恥ずかしい

前の勤務先は少し規模が大きくなっていて、
猫の手も借りたいというので
出戻りさせてもらう予定

離婚経験は正直つらくて恥ずかしかったけど、
本当に人生塞翁が馬だなと思う

夫だけでなく義母がものすごく協力してくださったので、
仕事や学業に専念できました
子供たちも「お母さんに負けるか」と
勉強に家事に意欲を燃やしています
本当に家族、義両親には頭が下がりっぱなしです

元夫は少々虚弱でしたけど、
彼も再婚して子供を授かっていたので
相性だったんでしょうね

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