もう10数年前だが、
祖母が新聞紙に包まれてた重い何かを私に渡して、
「絶対みんなにバレないようにあなたが隠して持ってなさい。
私がタヒんだらそれを持ってこの家を出なさい。
必ず大事に使いなさい、この家にもう戻ってはいけないよ」
と言った。
この時私は高校出て、家事と寝たきりの祖母の介護をしてた。
夜の介護も私なので同室。
大学は「馬鹿だから行くな」と親に言われた。
子供の頃から塾に通っていい大学に行った兄に比べれば、
私は塾も習い事も行ったことない
馬鹿なので、しょうがないなと思ってた。
兄の習い事での表彰状が家じゅうに貼ってあった。
羨ましかったけど、「お前には引っくり返っても貰えないよ」
と祖母以外のみんなに言われて育ってたので、そうなんだなと思った。
祖母は「○○ちゃん(私)だって賢い子だよ」
と言ってくれたが、家の中で病気がちな祖母の発言は弱かった。
家は会社人間の父と、趣味と社交に没頭する母、出来る兄と、
奴隷要員の私と、ガンの手術と再発を繰り返
してる祖母の5人暮らしだった。
祖母は冒頭の会話の二年後、
最後のガン手術から結局回復しないまま心不全で他界した。
祖母の部屋からは手術前に残した手紙が見つかって、
「数年前○○会社の○○と名乗る男性のつまらない投資詐欺に騙されて、
お父さん(祖父)から相続した貯金をほとんど無くしてしまいました。
恥ずかしくて今まで隠してました。ごめんね」
という内容だった。
両親と兄は「介護までしたのに!恩知らずのババアが!!」と大激怒。
私はただ泣いていた。
祖母の介護がなくなったので、
私は家を出ることにした。
両親は「家事はどうするんだ」と怒ってたけど、
結局は「高卒出のバイト暮らしなんて、
すぐ立ち行かなくなるぞ」
「週末は家事しに戻ってこい」と言って送り出してくれた。
それが両親の顔を見た最後。
兄の顔見た最後はいつだったか。全然思いだせない。
祖母から預かった新聞紙の包みの中身は知ってた。
アパート借りる保証人になってもらう時親に見せた住所は偽物。
遅くなったけど専門学校に入り資格を取り就職、
その後縁あって結婚も出来た。
祖母のお金は入学金とバイトが見つかるまでの生活費にしか使わず、
結局まだほとんどが金庫に残っている。
これがあれば何も怖くないよと、
いつも祖母が背中を押してくれてるような気がしてる。
贈与税とか色々ダーティーなお金なのでスレタイ。