結婚記念日のプレゼントを買いに出かけた帰りに男に抱きつかれた。人生が詰んだ。

約1年ほど前に
結婚記念日のプレゼントを買いに出かけました。
電車で出かけることはほとんどなかったのですが、
電車で出かけて、結局何を買えばいいか迷った挙句、
買わずに帰りの電車に乗り、
最寄駅で電車を降りました。

そのとき、夜の7時です。

駅から歩いて、
街路灯がないところに差し掛かった時
後ろから、男に抱きつかれ
その男の犯行を目撃していた人が
その犯人が逃走の際に用いた車に乗り込んだのを
制止してくださっていて、
私はそこに追いつき
運転席と開いたドアの間に立っていました。

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私は、たくさんの人が目撃している中で
逃げないだろうと自分の中の常識で考えていたのですが、
気が動転していたのもあって
「逃げないでください」と言ったその時に、
ドアが空いたまま、犯人は車を急発進で後退させて
私は、そのドアに巻き込まれて
数メートル引きずられてしまいました。

「あ、これは死ぬんだろうな」と思って、
その時に家族の顔が脳裏に浮かんだことと、
聞いたことのない鈍い音がすごく
私は気がついたら、
寒空の下で足が動かない状態で叫んでいました。

目撃者の方が「ナンバー○○○○」と叫んでいたのと
迅速に警察と救急を呼んでくださいました。

その現場から家まで、
徒歩2分もない場所ですぐに
その日は土曜日で
子供と一緒に家で待ってくれていた主人が
現場に駆けつけてきてくれました。

けれども、その時には私は叫んで
パトカーと救急車のサイレンですごい
騒然としていて、
目の前で「ママ死んじゃだめだよ!」と泣く子どもと
状況を把握できない(当然です)主人と
やじうまの人がとにかくすごかったです。

救急車で搬送される際、
少しの振動でも経験したことのない衝撃が走り、
呼吸をすることもままならない、そんな感じでした。

病院は最寄りの総合病院で、
主人と娘は家の車で追ってくると言う形でしたが
病院についても、年末近かったので
酔っ払った人の搬送やそういったので
一向に医師が来ず、
とにかく痛いのを耐えるのと警察の方もたくさん来て、

「被害届けを出して欲しいので、
辛いとは思うけれどもサインしてください」
ということで
すぐさま、捜査が始まりました。

人生詰んでいると思いたくない自分もいるのですが、
なんだかよくわからない感じです。

目撃者の方のお陰でナンバーが割れていたので、
検問で犯人が検挙されました。
犯人は、自宅に帰り家族と食事をとり
自分の妻と実家に帰る途中だったそうです。

警官の携帯に送られてきた犯人の画像を確認して欲しい、
と言われ見たのですが紛れもない、犯人でした。

すぐには罪を認めなかったのですが、
礼状出したら、すぐに認めたそうです。

そして、やっと医師がきて検査をしたのですが
診断は、絶対安静と後遺症が残る可能性を
覚悟しておいて欲しいと言われ、警察の方から
「これから、警察や検察の調書等の件で大変だと思います。
ですが、犯人を適切に処罰するためにお願いします」。
そこで、私は、受傷状況の写真や
ボロボロになった着衣などの写真、
DNAと指紋の採取をされました。

主人が一生懸命に対応している姿をみて、
「結婚記念日のプレゼント
買いに行かなかったらよかった、ごめんね」と
いうことしかできませんでした。

警察から「マスコミに発表する際、どうしますか?」
と現実をぶつけられました。
私は、そんなこと考えてもいなくて
まずは弁護士を探すことから始めましたが
弁護士が来たのは、年が明けてからで
その間は大部屋では耐えられないと判断し、
差額ベッド代がかかりますが
個室で過ごすことになりました。

警察から、
「○○さん、犯人は○○さんの家から
車で3分程度の場所に住んでいます。
もう一点、犯罪の前科があり
やっと執行猶予が切れたばかりでした。
この近辺で、同一人物と思われる犯行があり・・・」

それからは、警察と検察官の調書で
とにかく非日常を体験していました。

罪名は致傷罪などで、
裁判員裁判になるということでした。
そこから、毎日毎日、警察、検察と忙しかったです。

入院中にとにかくその事件に遭った時のことを
思い出そうとしなくても、勝手に回想されて、
眠れない死にたくなる
今までに体験をしたことがないことが
自分の身に起こるようになりました。

看護師さんの前で、
「こんな体がどうなるかもわからない、
家族にも迷惑をかけて申し訳ない。
自分勝手だけれども、死にたい」と泣いたあとに、
「でも、大丈夫です。死んだら
家族が余計に苦しみますからね」と
笑ったことを覚えています。

毎日、お見舞いに来てくれる子どもと主人が私の励みでした。
子どもが「ママ、お守りだよ治るよ」と
お守りをつくってくれて、
それを携帯電話につけました。

ささやかですが、病院のベッドの上で
結婚記念日を祝いました。
今にも泣きそうなのを堪えて、
泣いてしまったときは
「嬉しくて泣けちゃうんだ、ママ弱いねえ」と
虚勢を張ることしかできず
何をどうしたらいいのかもわからないそんな時間でした。

入院から結構経った頃、
歩行器を使って一歩立つところから始まりました。
死ぬほど辛くて、一歩一歩が
とにかくこんなに大変なんだと必死でした。

ベッドの上でしばらく寝たきりだったので、
当然筋力も落ちて、更に精神も滅入って行き、
途中からの記憶があまりありません。

なんとか、コルセットを
横になっている時以外付けることが条件でしたが、
家に帰ることができました。

主人が家事から育児まですべてしてくれて、
コルセットをつければ、歩くことができるので
警察から現場検証に連れて行かれました。

プレートに「被害者」「被疑者」と
書かれたものを警察官がぶら下げるのですが、
そこは家から近所で、
写真を撮ったりするのを近所の人が見ていて、
駅から降りてくる人も
「なにやってるんだろう?」
という感じで見ているのが、とても辛く、
「なんで私なんだろう」と言う気持ちが
どんどん強くなって行ってしまいました。
後に、裁判で懲役8年の言い渡しをされましたが、
求刑を上回ったことと、
双極性障害に罹患していることを理由に
被告は現在上告中です。

段々と事件から時が流れて
体も少しずつ良くなって来たのですが、
毎日痛み止めの注射をしながら
仕事を子育てをしていたら、
段々と精神が参ってきてしまいました。

今は、縁もゆかりもない場所で暮らしています。

主人をおいてきました。
今も交流はあります。
離婚は成立しています。
地理的距離では車で一時間ほどの場所です。
会うと、今でもあの場所から逃げた自分を
責めるばかりです。
離婚は私からです。
主人は本当に献身的にやってくれて、
非の打ち所などなかったです。

あるときに、
「事件にあったのは辛いと思うけど、もう忘れてよ。
生きてるんだし、
もう事件に振り回されるのはうんざりなんだ」
と言われたのが結構大きかったです。
そのとき、主人はお酒が入っていたので
きっと、ずっと我慢していたのだなあと思いました。
逆の立場であれば、きっと私も思ったと思います。
主人にとっても、事件は辛かったと思います。
私の暗い顔を見て、
声をかけてくれたりするのを見ていたら
私がいたらいけないとしか
考えられなくなってしまったというのが理由です、
身勝手の極みです。

一緒に頑張ってくれていたのは間違いなかったです。
重荷になっているなら、
もう違う人生を歩んだほうがいいのかもしれないと
思い始めて、そうなってから、
すこしでも痛みを堪えて家事や育児をしていたのですが
前みたいにできない自分がどんどん不甲斐なく、
結局迷惑をかけてしまう。ともう負のスパイラルです。

主人に一方的な不幸を私が押し付けたも同然です。

よりを戻す話はあるのです。
けれど、私がそのあとに
事件があったからかうつ病になってしまい、
余計に迷惑をかけてしまうのかもしれないと思うと
自信がないです。

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でも、やっぱり写真を見てると泣けてきて、
今でも好きです。
上告の結果もいつ出るかわからず、
どうしていいかさっぱりです。

今の私の状態をさらけ出して、
それでも構わないと受け入れてくれるならば、
素直に好きと伝えてもう一度
やり直したいです。

子供は私が引き取りました。
どうしても、子供も
「お母さん、事件にあったんだって?」
と言われるのがとても辛かったので、
主人と子供には詫びても詫びきれませんが、
一緒に連れて行きました。

7か月くらいで裁判が始まるなあという頃に、
限界に達して
ビジネスホテルに子どもをつれて出て行きました。

主人が疲れた顔をしたのは当たり前のことで
責めることなどはしませんが、
申し訳ない気持ちが先行しました。

久しぶりに記憶を書いて、
未だに自分のことですがどうしても
裁判の被害者参加やそういう風景が
嘘のように感じてしまいます。

被告の動機もとても理解できずに、できないです。
控訴審から即日上告されて、
未だに終わっていないのか・・・と思うと
とても混沌とした気持ちで、
自分でも書いていて、乱文だと思います。

自分自身が、こんなに死にたいとか
どうして今も被告には家庭があって
守ってくれる家族がいるのか、
7人も被害に遭わせ泣き寝入りさせても
社会や法が守ってくれるのかと思う気持ちが、
もう混沌です。

今よりも、
未来と子供の心が心配になって仕方ないです。

私は、自分の心の辛さから逃げるために
主人から子どもを奪い、
子どもから父親を奪いました。
話し合うこともせずに、一方的にです。

主人は、毎月養育費と学資保険、
私の保険料まで払ってくれて
子どものことをいつも考えてくれています。

子どもも私に湿布を貼ってくれたり、
父親のことを案じてるとても心の優しい子です。

私は、自分で決意して逃げたことを
ものすごく後悔しています。
謝って済むことではないかもしれません。
わがままですが、正直に気持ちを伝えてみたいと思います。

今は、なんとか仕事終わりに注射と薬を飲んだり
メンタル面はなんとかやっていますが、
自分がこうなるとは全く思っていなかったです。

可愛らしい妻であるように、
当たり前を当たり前と思わないような
そんな生活をしたいです。

許されるなら、お年寄りになって
「あんなこともあったねぇ」と
しわくちゃの手をつないで
笑い合いたいです。

私は、主人の献身的な行いや思いを無碍にし
自分勝手に逃げることを優先しました。

少しずつ、事件から時間が経っていき
主人の立場に経ってことを
考えるようになったとき、
私が逆の立場であれば、
一緒に生きようと苦労を共にしようと
思うだろうと思いました。

確かに、私は第三者の行為により
不幸な目に遭いましたが、
その不幸を更に連鎖させてはいけなかったと
いまは思います。

それによって、
家族をばらばらにする理由になどならないです。

被告は事件当時、双極性障害の躁状態で
その妻も精神疾患で夫婦生活がなかったことで、
己の欲望を満たすために、
私を狙ったということでした。

私は悲鳴をあげたので、未遂に終わりました。
あれほど怖いことはなかったです。
かと言って、自分自身の家庭を崩壊させて
いい理由にはなりません。

追いかけたことを公開する反面、
それによって検挙され
少なくとも8年間は出てくることなく、
本当に公正してくれれば
私が最後の被害者になるのであれば、
私は追いかけたことを
少しは、よかったのかもしれないと
思うときもあります。

三人の手をうp出来る日が来たらいいなと、
わがままながら思います。

犯行に及んだのは、被告のみで
自宅に帰ってから、なに食わぬ顔で食事をとり
何も知らない妻を連れて、被告の実家に帰る際に
一緒に検問で止められたと言う形です。

被告の妻も育児ができる状態ではないので(統失で)
妻方の祖父母が育てているとのことらしいです。

事件に遭った年に、
前回の犯罪の執行猶予が切れた時でした。
被害届が出されていないだけで、
7人の人が被害にあったと聞きました。

けれども、被告の人権的観点から
そのような事ができないのが残念です。

そうですね、追わなければ良かったです。
目撃者の方が、
犯人のドアを閉めれないようにしていたので
そのドアの間に私がたったのが間違いでした。
と思います。

事件にあったことに関しては、
私に非はないと断言できます。

被告は自身の家族や子供を
犯罪者の~と言うふうに見られるように
してしまったと思います。

私は、新しく人生を形成していけるのだと思うだけで
救われていますね。
少しずつ、進んでいきたいです。

私は、ただ歩いていただけで
こんなことに巻き込まれたので
自分でも、あれから今日まで
突っ走ってきたなと思います。

無意識に自分を守ろうと
したのかもしれないのですかね。

だとしたら、それによっていま生きていられるなら、
よかったのかもしれません。
諦めないでいようと思います。

電気も水道も誰かがいるから、使えるようなもので、
それと同じで、
ひとりでどうにかしなきゃなんて無理ですね。

ひとりでとは思わず、
迷惑をかけたぶん笑顔で恩返しできるように
生きてき行きたいです。
支離滅裂ですみません。

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