子どもの頃のおぼろな記憶での修羅場。
私が物心ついてから幼稚園の年長クラスくらいまで、
うちはやたら大家族だった。
父と母と兄と私と、Aおじおば一家と、Bおじおば一家と、
Cおじおば一家と、祖母の17~18人家族。
私は幼稚園に通ってたけど、他の子どもたちは学校なんかに
行ってないのが大半で、中では珍しい方だった。
子どもたちの中で一番歳上だったのがA姉。何をするにもA姉が
リーダー格だった。ちなみに小学校高学年くらいだったと思うけど
彼女もあまり学校には行ってなかった。
私たちは他の家の子と遊ぶことがほとんどなくて
A姉の言うことが絶対!みたいな感じだった。
幼稚園や小学校に行ってない子たちは特にそうだった。
うちで一番えらいのは祖母で、
子どもたちの中で一番えらいのはA姉、
っていう図式ががっちりできていた。
ある年、学年が変わってA姉の担任も変わって
教育熱心な担任に受け持たれることになった。
あまり学校に行かないA姉を心配してほぼ毎日うちに訪問するようになった。
これを祖母が嫌がり、
祖母が一番大事!なABCおじおば、うちの両親もそれに同調した。
日中家にいるのはACおばと子供たちだけだったんだが
A姉担任が来るたびに皆で塩をまく勢いで撃退。
私たち子どもはわけがわからないままに
「あの人は悪い人だから何をしてでもおっぱらえ」
とおばたちに命じられて、
2階の窓から銀玉鉄砲で担任を撃ったりしていた。
あるときB弟(小学校低学年)が担任に爆竹を投げた。
担任がウワー!って悲鳴をあげて、
みんなは笑ってたけど私はなんだか怖くなった。
でも表むきみんなには逆らえなくて、悶々としたあげく
幼稚園の先生にこっそり相談した。
そのほかにも家の中であったいろいろな謎現象も先生に話した。
それからのことは、めまぐるしくてよく覚えてないけど
あれよあれよという間に家がなくなって、
みんなばらばらに引き離されて
私は遠く離れた県で父と兄と暮らし小学校に通うことになった。
ある程度大きくなってからは
「あれはなんだったんだろう、全部夢かな?」
と思ってたんだが、父の通夜の席で久しぶりに兄と会って話し
いろいろなことがわかった。
子どもの頃に一緒に住んでた人たちは親戚でもなんでもなく
ある小規模な宗教の信者たちで、
私が祖母だと思ってた人は教祖だったらしい。
私が幼稚園の先生に打ち明け話をしたことから
子どもたちがろくに学校に行かされてないことや
うちの中での性的虐待、肉体的虐待などが明らかになって通報され、
私が「家」だと思ってた宗教団体が解体されることになったんだそうです。
母の方がどっぷりだったから、
父が私と兄を引き受け、
母は教祖様についていったんだとか。
でもそう聞かされても実感がなくて
「へー、そうだったのか」
って感じ。
兄も
「俺も、もうあの頃のことは夢みたいな気がする」
って言ってた。