8歳離れた難病の弟は私から家族を奪った

私は8歳離れた弟がいたのだが、生まれつきの難病で、
ずっと病院で暮らしたまま、2歳になる前に死んでしまった。
私も悲しかったが、毎日見舞いをしてた両親は勿論もっとショックで、
抜け殻のようになってしまった。

私は母親の弟の産後からせっせと家事を手伝っていたのだが
(なにせ二人ともほとんど病院にいる)、弟の死後も一層、
抜け殻の両親を支えるため家事を担うようになった。

某国営テレビが、難病で死んだ弟と家族についてということで取材に来た。
それから両親はいくつか講演に呼ばれた。
その難病の支援者団体にも参加するようになった。
両親とは顔を合わせない日が続いた。

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近所には伯母(父の姉)が住んでたのだが、もう子供達が自立して家を出てる歳で、
「いつでも遊びにおいで」と言ってくれて、本当に毎日遊びに行っていた。

初めは、伯母の家で放課後を過ごし、買い物して家に帰って家事をやってた。
段々、家で家事を済ますと晩御飯を伯母の家で食べ、そのうち泊まるようになり、
一時間、一分と段々自分の家で過ごす時間は無くなり、
高校生の頃は、家の私の部屋は何の荷物も無くなった。
大学は地方の国立に行って、家庭教師のバイトしながら暮した。

お金は親の通帳を私が持ってたので(任されていた)、
進学などの最低の費用だけ貰った。
親は私がどこの高校に行ったか、どこの大学に行ったか知らない。
伯母は私の親代わりをしてくれるけど、両親の悪口を言ったことはなく、
両親にも何も叱ったりはしていないようだった。
「子供を亡くす気持ちは私にはわからないから」とだけは言っていた。

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30を過ぎて、何故か突然父親から手紙が来た。
私が結婚して子供が生まれたことを知っているようだった。
許してほしい、会いたい、というような内容だった。

「会っても何を話していいかわからないので、
お互いのためによしましょう。
昔は貴方たちを恨んでいたが、子供を持った今となっては恨めなくなりました。
弟を奪った病気は、私も一緒に貴方たちから奪ったのだ、と思って、
今後も○○病の支援に打ち込んで下さい」
と返事したら、もう連絡は来なくなった。

弟が生まれるまでの両親との楽しい思い出もあり、
胸が痛んだが、両親もあの病気が奪ったのだと思ってもう諦めている。

親には申し訳ない気持ちもあるけど、やはりどういう顔して
今更親子ごっこをやればいいのかわからないので、もう会うことはないです。

インフルエンザで寝込んだ時、クリスマスや誕生日の夜、
中学や高校の入学式、一緒にいてくれたのは伯母だけでした。
家族を繋ぐのは血ではなく時間や思い出だと、どこかで読みました。
それなら、私と両親を繋ぐものはありません。

両親と書きましたが、母はいつの間にか他界してました。
ちょうど伯母にも告げずに海外にいた時期で、連絡できなかったらしいです。
死因は聞いてないし、実家には行きませんが、冥福は心で祈ってます。

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