娘は小学生に入るまで父親と認識できなくておじちゃんと呼んでいた

娘が生後三ヶ月のころ、
夕飯の買い物に行くために旦那に娘をあずけて
「買い物行ってる間みといてね」とお願いしてでかけた

お留守番してくれてるしと好物のハーゲンダッツも買って帰ったら、
扉に鍵がかかってる
まさかと思ってバイクを見るとない
窓も全部鍵がかかったまま出かけやがった

当時は携帯なんてまだなくて、
私はとなりの家に泣きついて電話を貸してもらい、
実家に電話をしてスペアキーを持ってきてもらった

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買い物時間一時間、実家から鍵を届けてもらうまでの二時間、
計三時間娘は一人家の中に閉じ込められていた
4月だから助かったけど、これが夏場、
もしくは真冬だったら娘の命は無かったと思う

それから私は旦那を信用しなくなったんだけど、
旦那はそれが不満みたい
旦那は他にも娘を高い高いして落としたり、
階段で目を離して落としたり、
車に乗せて事故したりと命に関わることを繰り返した

離婚も考えたけど、まだ昭和の当時、
女性一人での子育ては無理があった
だから子育ては全て私がやった
旦那は「子供の食費は母親が負担すべき」という考えで
びた一文出さなかったから、ほんとに必死だった

そしたら案の定、娘は旦那に懐かない
赤ちゃんの頃は旦那が家に居ると怯えて泣き続け、
小学生に入るまで父親と認識できなくておじちゃんと呼んでいた
小学校で支障があるから無理に「お父さん」になおしたけど、
それでもずっと違和感があったらしい

娘が中学生になった頃、
「ずっと違和感が拭えない、私にはお父さんはいない」
とお父さんからおじさん呼ばわりに戻った
そこからお父さんと呼ぶことは一度もなく、娘は結婚して家を出た

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そんな娘も子供ができ、子供も小学生に入る年齢になった
父親との関係が心配だったけど、ランドセルを買いに行った時、
ちゃんと「おとーしゃん」と呼んでいたので安心した

孫は私のことをおばーしゃまと呼んでくれるが、
旦那のことは団地のおじちゃんだった
旦那は私に「娘や孫がああなったのはお前のせいだ」
と顔を合わせると文句を言ってくる

でも、私や娘を最初に裏切ったのは全部旦那
娘置き去りや落とした話をしても、旦那は記憶にもないらしい

娘をペットだと言い張ったことはある
見合して三男坊をもらったけど、甘やかされたせいで
マザコン気質なせいで、最後まで父親になれなかったんだろう

娘は言葉の端々から旦那を
父親と思えなかったことが伝わってきてたから、
本当に申し訳なかった

家庭科の授業で「家族揃って夕飯を食べましょう」
って宿題を、娘はあたりまえのように
「私と、お母さんと、妹と、ペットのポチと食べました」
ってレポート書いて学校から電話まであった

娘は父親が家族というのが理解できなかったみたい

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