いつか本当のお母さんが迎えに来てくれる、と思っていた

私は3才下の妹と二人姉妹。
私は父親そっくりで、
見た目が残念な子と母に言われて育った。
母は妹を可愛がって褒めて、
私はダメな子扱いで叱られてた記憶しかない。

ある日、一人で留守番をしていて暇だったので
押し入れや納戸の中にしまい込んだおもちゃを見つけようと
探し回ったら立派は表紙のアルバムを見つけた。

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父と綺麗な女の人との結婚式の写真だった。
この女の人は誰?もしかして私の本当のお母さんなの?
妹ばかり可愛がって私は叱られてばかりなのは
お母さんの本当の子じゃないから?
でも両親に問いただせないでいた。

その後、もうじき私が小学生って時に
父の浮気で母が実家に帰った。
妹だけ連れて行った。
ああ本当の子じゃない私は置いていったんだと悟ったよ。

暫くして母は妹を連れて戻ってきた。
継子な私は一線を引いて母と接した。
甘えちゃいけない、本当のお母さんじゃないし。
いつか本当のお母さんが迎えに来てくれる。
その時に良い子でいよう。
本当のお母さんに喜んでもらえるようにと、
いろいろ頑張った。

自己評価が低い子だったけど小学校に行って過ごすうちに
なぜか勉強トップクラスで表彰されまくりで
弱者に優しい子だと周囲に高評価された。
でも母は私が褒められると
決まって私sageな事を言い出し妹ageな自慢をした。
もう悲しくも何ともなかったけどウザかった。
時々、アルバムを見て早く迎えに来てと話しかけていた。

あれは忘れもしない小5の冬。
母と私はコタツにあたってた。
母はピンクの可愛い毛糸で妹のセーターを編んでた。
私には可愛い色が似合わないと茶色のセーター。

なんかプツンと気持ちが切れた。
母に淡々と聞いた。
『お母さんは私の本当のお母さんじゃないんでしょ?』
『だから私が可愛くないんでしょ?』
『私の本当のお母さんは何処にいるの?』

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母は目をまん丸くして
『何言ってるの?あんたは私の子だよ』

私は押し入れからアルバムを持ってきて母に見せた。
『この人が私の本当のお母さんでしょ。今どこにいるの?』

暫くの沈黙の後に母が言った。
『これ私』

白塗りで人相変わっていただけで母だったw
ショックでその後に記憶が数ヶ月曖昧ないんだよね当時の私ww
継子だから意地悪される、叱られる、
放置気味なんだと思ってたから耐えられてのにさー。

もう半世紀生きてるし生き死に関わる事もあったけど
実母だったとわかった時以上のショックってないわw

一人で悲劇のヒロインぶってプゲラ状態だったっぽいなあ。
記憶が曖昧なもんでw

妹も私をバカにしてた。
自己愛性人格障害のまんまだよ母と妹。

今は私は旦那と子供に恵まれて幸せ。
でもまだ笑い話に出来ないから吐き出しました。

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