中三になったころ、私に対する両親の態度が目に見えて変わった

私の家庭は三人姉妹で私は末娘になり。
両親が言うのには、私にはもう一人、兄もいたそうだが。
私が生まれる前に事故で亡くなったそうだ。

そして中三になったころ、私に対する両親の態度が目に見えて変わった。
母は暗い顔で私を見つめるし父はどこかよそよそしい態度を取るようになった。
父の方から私に声をかけてくることもあるが、二言三言話かけるだけで、
ほとんど言葉を交わすことはない。
視線を合わす事も嫌がっているようにも思える。
父と母の前で私の存在が重くなったのははっきりとわかった。
下の姉に何故なのか、相談してみた

 「それは・・・。」

と答えたきり、何も言い出せなかった。
姉も私に対する両親の態度の変化には気づいていたらしく
小首を傾げるばかりだった。
お父さんに直接、尋ねるのが一番だがそれは何か、怖かった。
仕方がなく、母に理由を尋ねてみた

 「近頃、お父さんもお母さんも、何か変だよ。どうしたの」

そう問うと、最初は「何を言っているのよ」とか「気のせいよ」とか言っていたのが、
私が追及を続けると、次第に黙りこくり母は無表情になった。
そして「何もないと言ったら、何もない、二度とそんな話はしないで」そう言い切ると
母は私をその場から追い払った。
そうした両親の不可解な態度が半年ほど続いたが、
次第に治まっていく。
ただ、父の方は以前より私と距離を置いているように思える。
年頃になった娘と距離を置くのは当たり前だろう
そんなことを父に言われたが、絶対にそんな感じではない
だって、父は、お姉ちゃんに対しては以前と変わらない接し方だからだ。
まるでエイリアンだ。
何かの映画にあるように、両親はエイリアンに化けてしまったように思える
エイリアンが父と母の皮をかぶっている。
そんな嫌な感じが、両親から感じられた。
家庭の中で自分が除け者にされてしまったような孤独感が感じられてきた。
それがひどくつらかった。
その理由を知ったのは高校一年の時だった。

両親の態度にどこか重苦しいものを感じていた私は夜遊びをするようになり
補導されてしまった事がきっかけだった。
両親は私のところに来て、私を激しく叱責しました。

「ふざけないで、私のことを二人とも嫌っている癖に」

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そんな事を言い捨てましたが
父はそんな私を何度も殴り飛ばしました
「あなた・・。」母は父を止めました
しばらく私たち三人はその場で無言で時間を過ごしました

「わかった。お前が知りたかった事を教えてやる」

父はそんなことを言い出しました。
 「でも、それは、」母は何故か血相を変えて父を止めます。
「何れ話す必要がある事だ。」
そうして話してくれたことは、何とも衝撃的な事だった
私は二人の姉と違い、父の子ではないという事実だ。
母の不倫の末に生まれた子供だった。

「俺も悪かった。だからあの事はもういい」

と父は泣きじゃくる母や私に向けて言っている。
その頃、ちょうど母は子供、つまり私の兄を失い。
精神的に参っていたそうだ。
初めての男の子で、母は兄を特に可愛がっていただけに、
そのショックは大きくふさぎ込んでいた。
父はそんな母を相手にすることに疲れ距離を取っていた。
仕事が忙しいと理由をつけてそれが母を不倫に走らせてしまった事を
父は認めていまでは後悔しているようだ。
まるで物語に出てくるようなありふれたシナリオに
私は思わず笑ってしまいそうになってしまう。
そんな事の結果、私は母の不倫の子という、
自分ではどうしようもない事を背負って生まれる事になったのか

「お前が俺の血をひいてないことがわかっても、
お前は俺の子だと思っている。それは本当のことだ。
お前が生まれてからずっとお前を育てて来たのだ。可愛いとも思っている。
だけどな、それでも母さんの不倫のことを知ってから、お前を観てると。
どうにもやりきれなくなってな。それがお前に辛い思いをさせてしまったな、済まない」

父はそう言って頭を下げた
やりきれない思い。
それは私も一緒だ。

この日、生まれて初めて父と母が憎いと思った。
特に母に対して、どうにもならない嫌悪感を抱いてしまう。
私をどうして産んだのよそんなことを思わず叫び、母を罵ってしまった。
母はその時、泣きじゃくるばかりだった。
結局、私はそれからしばらく自宅近くにアパートを借りて
姉と一緒に二人で暮らす事になった。
表向きの理由は受験に備えて姉妹ともに集中したいからだが事実は、もちろん違う。
しばらく親子で距離を取った方が良いだろうと判断したからだ
姉は私の事に同情して一緒について来てくれる事になった。
それから大学を卒業し社会人になった今でも、
ずっと両親との接触は避けている。姉たちは時々、会っているようだが。
私はどうにもいまだに抵抗がある
ただ、大学を卒業するまで、学費とか生活費はちゃんと出してくれた。
そのことは心から感謝している。

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