自分は親しい人の不幸で泣けない質の人間であるらしいと悟った。だからこそそのときが来るのが怖い

どうやら自分は親しい人の不幸で泣けない質の人間であるらしいと悟ったこと
普段はむしろ涙もろいタイプで、映画でもドラマでも本で
も登場人物が死んだりするとボロ泣きしてしまう

だけどいざそれが自分の身に降りかかると頭が非常モードに切り替わるというか、
自分はそれにどう対処すべきか?今から何をしなきゃいけないんだ?
みたいな思考で頭がいっぱいになる
もともとトラブルに直面すると妙に冷静になって

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「ここから被害を最小限に抑えるには何をすべきか」

という思考になることが多くて、
それが自分の長所だと思ってきたんだけど、
さすがに実の父親が倒れて亡くなった、
と電話で知らされたときに真っ先に頭をよぎったのが

「明日から1週間の仕事を誰にどうやって振ろうか」

だったのにはちょっと愕然とした
思い起こせば高校時代に幼なじみが急死(自死ではないよ)したと
親を通じて知らされたときも、まず考えたのは

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「向こうの親御さんが知らない彼女の友人で、
私が連絡取れる子は誰だろう」

次に考えたのは

「お通夜の前にお宅にうかがう場合は普段着なのか制服なのか」

幼なじみも父も普通に好きというか、
自分にとって大切な人であったはずなのに、亡くなって悲しい、
とか涙が出てくる、みたいな感情が全くなかった
もう会えないことをさみしいなあ、とは思うんだけどね

この調子でいくと母のときも旦那のときも自分は泣けないんだろうなあ、
という確信めいたものが今はあって、だからこそそのときが来るのが怖い

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