10代の頃、薬のアレルギー反応で
自宅でタヒにかけたことがある。
夜中に苦しくて仕方なくなり、
体はまともに動かないんだけど、
意識はクリアだった。

自室はロフトベッドで、
携帯も机に置いたままで手元にはなく、
このままじゃ誰にも気付いてもらえなくて
タヒぬと思った。

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ほぼベッドから落ちる形で這い出た音に
母が気付いたそうで、様子を見に部屋に来てくれたけど、
床に改めて私を寝かせながら(←再度ベッドに上がるのが無理だっから)

「夜中でまだ病院が空いてないから朝まで待ちなさい」

と言う。
近所に大きな総合病院あるから、
夜中の救急も受け付けてるんだけどね。
タクシーでも個人の車でも。

救急車を…と途絶え途絶えに伝えても

「何言ってんの、喋れてるくらいなのに!」
「そんな夜中に迷惑でしょ」

でもあまりに苦しがる私に困った母が、どうしたかと言うと
看護系の高校に通ってる親戚の子にその場で電話して、
「どうしたらいいと思う?」と聞いた。

相手の子は、
「意識があるなら様子見ても良いかも…」
的なことを答えたらしい。
母はその言葉でやはり、救急車もタクシーも
呼ばないことに決めた。
後からその子には泣きながら謝られた。

「かなり迷いはしたけど、頼られたから自分が
しっかりしなきゃと思うあまり、その場にいる訳でもないのに
安易に判断してしまった」

と言ってた。
電話口での母の口調が『相談』ではなく
『同意を求める』ニュアンスだったのは何となく覚えてたし
親戚の大人に真っ向から逆らう形になるのは難しくて
押し切られたんだろうな、と当時から思ってたので
その子に対しての恨みはまったくない。

そういえば書いてて気付いたけど、
たまたま夜更かししてたのか電話で
起こされたのかは確認してなかったな
同年代の子にとばっちり食わせてしまって申し訳なく思う。

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話それたごめん。意識はずっとあった。
体力尽きかけて朦朧とする〜
苦しくてまた意識がクリアになる〜
を繰り返してた感じ。
体の中から焼けるような感覚に一晩苦しんだ。

翌朝、近所の個人病院に連れて行かれた
その頃には体の苦しさ痛さはほぼなくなってて、
ただぼんやりしてるだけだったんだけど
それはむしろヤバい状態だったらしい。
うちじゃ対応できない、すぐに大きな病院に行ってください!
となり、病院から総合病院へ救急車で搬送→即ICUに入院。

「あと少し遅れてたらタヒんでたんですよ!」
っていう、ドラマでよくある医者のセリフをリアルで聞いた。
そのセリフは親に対して怒鳴るっていう訳じゃなくて、
私の処置をしながら誰にともなく吐き捨てるって感じで言ってて、
ぼーっとしながらその先生の顔を見あげてたのも覚えてる。

詳細は伏せるけど体に後遺症が残った。
すぐに病院で処置されてさえいれば…というやつ。
その後、色々なことがあって、
実家と音信不通にしてるのが現在。

絶縁を決断できるまでにだいぶ色んなことがあったので、
タヒにかけてた一晩の件が『最大』かどうかは、自分でも曖昧かも。
10代のころは自覚がなかっただけで、
要するに機能不全家庭と毒親だった訳です。
救急車呼ばない云々はその延長だっただけ。

今は遠く離れた土地で幸せにやってる。
まともな人間に囲まれるのって、
浄化されると呼んでも良いくらい心地いいことなんだね。
居場所がちゃんとあるって実感しながら生きられるようになった。

なにも母は私を刹そうと思って
救急車を呼ばなかった訳じゃないだろうけど、
一切悪気なく人を刹しかける、
軽くサイコな人間ってしっかり存在してる。
そんな人間から生まれてそんな人間に育てられた私も
どこかヤバかったらどうしよう…って
時々考えちゃうことの方が修羅場かも

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