昔の思い出を書き捨てる。
私が小5の頃、全校生徒合わせても
200人ほどの小学校に、金管バンドができた。
私はピアノも習ったことがないし楽譜も読めないし
吹奏楽部は毎回昼休みに集まって練習、
発表前は放課後も練習と聞いて、
参加者(楽器を扱える小4以上)の募集がかかった際は
応募する気が一切無かった。
だけどクラスの女子は私を除いて全員ピアノを習っていたし、
私の友達3人が応募すると言っていて、
私が応募しないと言ったら、
「じゃあキミちゃんとはもう遊べないね!だってバンドやらないんでしょ!
バイバイ!」
と言われた。
しかもクラスの他の女子12人もみんな応募すると言っていて、
応募しなければイジメにも繋がりかねないと思った。
募集締め切りの日、応募者は音楽室に集まるんだけど、
友達からは「ピアノもした事無い癖になんできたの」と
冷たく言われた。
そのうえ応募者による人気の楽器の取り合いがはじまり、
私はコルネットかトロンボーンに興味があったけど、
「楽譜読めない子が上手く吹けるわけ無いんだから人気の楽器に来ないで」
と言われて、誰にも見向きもされなかった
ユーフォニュームを押し付けられた。
他の楽器がいいといえば「楽譜読めないくせに」と言われた。
音出ししてみると、ユーフォの音は太くて重くて存在感があって、
ユーフォの役割はよくわからなかったけど楽しかった。
そうして流されるままに始まった金管バンドだけど、
私をバカにした友達は目的の楽器になれなかったことで
不貞腐れたり、高価な楽器を大切にしない態度や不真面目な練習態度を
指導者の教頭先生に叱られたりして、
楽譜を渡される前に辞めてしまった。
友達じゃなかった人や他の学年も、
練習が面倒だとか思っていたのと違うからと、
あっという間にやめていった人が多かった。
残ったのは真面目にバンドをしたいと思った半数ほどで、
私はその子たちに混じって卒業まで真面目に取り組んでいた。
年間2曲しか練習しないけど、楽譜が読めない分私は曲を覚えてか
ら音を出せるように練習する方法しかできなくて、
練習時間の短い小学生の頃は練習効率も悪くて、
正直言ってかなり下手だったと思う。
中学校は吹奏楽部の強豪校として有名なところだった。
私は部活紹介で聴いた演奏に圧倒されて、
特にユーフォのソロがある曲で男性の先輩が前に出て
立奏している姿に感動した。
入部届提出期間に吹奏楽部の顧問のところへ
ソロ演奏の話を質問へ行ったところ、
ソロの部分は一番腕のいい人に担当してもらって
見せ場を盛り上げるのだと教えられた。
「私も入部して頑張ればチャンスはありますか」
と聞いたら、もちろんあると言ってもらえた。
それからは勉強と両立しながら、
とっても頑張って練習した。
家がマンションだったので自宅練習ができない分、
土日にご近所さんの敷地の山の中で
練習させてもらったりしていた。
たった一人のユーフォの3年の人が不真面目だったこともあって、
2年生の春には顧問に「あなたの演奏が一番安定してる」
と言ってもらえた。
そしてコンクールのユーフォのソロ奏者を決めるとき、
部長も先輩も同級生ですら4人の中から私を推薦してくれた。
他のソロパートは推薦で決めていたのに、
ユーフォだけは顧問が独断で決めて、
それが部活サボり常連の先輩だった。
先輩は一度も合わせの練習に来ていなかったから、
そのときまだ通しで吹いたこともなくて、
明らかに練習量が足りなかった。
顧問は「選ばれたんだから真面目に練習しなさい、
せめてソロの部分だけでもいいから」と言っていた。
誰より怒ってくれたのは部長と真面目に練習して
部活をまとめてくれてた先輩たちだった。
私も人選に納得できなくて職員室でまで訪ねに行ったら、
先に部長たちが職員室の隣の応接室で顧問に
詰め寄っている声が聞こえてきた。
顧問は応接室のすぐ外に私がいたことに気づかずこう言った。
「やっぱり華やかさも大会では大切になってくるし、
それには人にどう見られるかも戦略として先生は考えなきゃいけない。
あの子は体が一番小さいし、それに、ほら」
と、何かを小声で言ったけど、
扉を隔ていた私には聞こえなかった。
だけど先輩がすぐに
「キミちゃんのやけどは関係ない!」
と言ったことで、何を言われたのかを理解した。
私は小さい頃に隣人の寝タバコでおきた火事で、
体の左半分にやけどをおっていた。
やけどは肌が出るする顔と足にもあり、
何度も手術したけれどそのときはまだ全ての手術が終わってなくて、
顔の左半分は皮膚が左下に引っ張られたように
なっているのが遠目にもわかったし、手術痕もあった。
顧問は私の顔がこんなんである限り
ソロは任せてくれないんだと思うと、
悲しくて悔しくてたまらなかった。
私が泣き出したことで顧問は私がいたことに気づき、
私に取り繕うように
「あなたも三年生の先輩に部活に出てほしいでしょ?
ソロ任されたら、先輩だって頑張って一緒に練習してくれるわ!
三年生は今年最後だから、先輩の思い出のために、分かってくれるわよね?」
と言い分を変えた。
だけどそのときは自分のやけどの痕が、他人、
それも教師にそんな風に見られてたんだということがショックで、
それに私のやけど痕をそんな風に言ってくる人がこれまで誰もいなかったから、
言葉にできないほど傷ついた。
その場では先輩たちに慰められて宥められて帰宅したんだけど、
翌日から急に人目が気になって、学校に行けなくなった。
一週間休み続けるなか、少しずつ母と話して、
母は私が急に不登校になった理由を理解してくれた。
私は登校するためやけど痕を隠したがったけど、
病院が教えてくれたお化粧品で隠す方法は校則を理由に禁止された。
そしたら母がとても大きなマスクを買ってきてくれて、
目元より下がすっぽり隠れる大きなマスクをして
学校に行けるようになった。
だけど部活ではマスクを外して練習しなきゃならないから、
あれだけ頑張ってた部活にはいけなくなって幽霊部員になった。
部員に見られることが怖かったというより、
顧問に絶対に見られたくないという気持ちが強かった。
ユーフォソロ担当になった先輩からは
部活に来なくなったことをからかわれたし、
負け犬と煽られた。
私の中学は全員部活動をすることが定められているため、
幽霊部員になったり不真面目だと担任と顧問に呼ばれて
三者面談が行われる。
私も三面が行われ、その場で顧問から
「思い通りにならないからって、逃げてたら成長できないよ」
と言われた。悔しくて私は担任の前で
「やけどが汚いから、私の見た目のせいで大会で不利になるって言ったのは
顧問ですよね。私が大会に出ない方が金賞に近づけるんなら、私はもう吹奏楽辞めます」
と言うようなことを涙を堪えながら伝えた。
ソロ担当に選ばれなくて私が不貞腐れてると聞いていたらしい担任は、
どういうことかと顧問に詰め寄った。
だけど顧問は私が逆恨みで変なことを言っている。
誤解だと言い出した。
私は怒りで堪えていた涙がだだ漏れになりながらも
「部長たちも聞いていた。部長たちが全部知ってる」
と訴えた。
その後、親が教育委員会に働きかけていたの
と担任の尽力もあって、顧問は発言を認めて謝罪した。
だけど処分とかは特になく、私が顧問から
腫れ物扱いされるようになった。
私は部活の仲間たちに応援されて、大会には出られなかったけど、
冬には前のよう部活に参加できるようになっていった。
そして3年生になり、新入生が入部して毎年必ずやるメドレーの楽譜を
配布することになったんだけど、
そのメドレーの中からユーフォのソロパートのある曲だけが
顧問の独断で外されていた。
その曲は某映画の曲で毎年人気も高く、
その曲を吹きたくて入部した新入生もいたからすぐに疑問も不満も湧いた。
行動力のある1年生と2年生が顧問に質問に行っても、
曲を削った明確な理由は一切明かしてもらえなかったらしい。
たぶん私のせいだと言うのは、3年生たちの間では
みんな解っていた。だから3年生は誰も何も言わなかった。
こんなことをするくらいなら、
私が幽霊部員になったときに「迷惑だからやめてくれ」と
はっきり言ってくれたらよかったのに、
やけどが原因で後輩にまで迷惑をかけたのは本当に悔しかった。
私が卒業したあと、入れ替わりに妹が入学式して吹奏楽部に入ったけれど、
その年にはメドレーは元通り戻っていた。
それから数年。私は手術をして、顔の皮膚が引っ張られている状態が
かなり改善し、傷跡も少しずつ肌に馴染み始めていた。
成人式。お化粧を練習したおかげで、
やけどのあとはかなり目立たなくなっていた。
再会した友達からは、本当にキレイになったと言ってもらえたし、
男性からはすっごい美人になったと褒めてもらえた。
担任からも素敵な女性になったと言ってもらえた。
嬉しい気持ちでいた矢先、男性グループに囲まれて話してるところへ
吹奏楽部の顧問が話しかけてきた。
急だったからすごく嫌な気持ちが顔に出たのかもしれない。
挨拶もせず、私の顔をじっと
見たあと「ほぉ、うまいこと粗を隠したね」と言われた。
友達だけじゃなく、周りにいた男性まで顧問が人として最低だと
私の代わりに言ってくれた。
私も高校と大学で強く成長できていた。
だから自信を持って言い返した。
「先生には汚く見えるかもしれないけど、
この傷は私の一部です。私の価値はこの傷では下がりません」
顧問は四面楚歌の状況と私が思いがけず言い返したことが
想定外だったのか、もごもごしながらその場を去っていった。
友達と男性たちに謝ったら、かっこよかったとみんなはまた褒めてくれた。
このとき、私の周りには優しい人で溢れてるんだなと思ったら、
嬉しくて涙が止まらなくなって、周りを困惑させてしまった。
当時は気づかなかったし伝えられなかったけど、
私の周りにいた人たちのお陰で今こうして笑ってられると思う。
当時私の周りにいた人たち、ありがとうございました。