おかんが死んで妹が立ち直るまでを書く

何から話せばいいのかわからんが、
俺の気持ちの整理も含めて書いてく。
たぶん遅いので申し訳ない。

俺と妹は一つ違いでいわゆる年子というやつだ。
周りからはよく仲がいいって言われてたし、
実際妹は小学校中学年あたりまで俺にべったりだった。
俺は自分で遊ぶので精一杯だったから
全然かまったりしなかったんだけど
それでもちょこちょことついてくるようなやつだった。
そんな感じだったから俺の方が
友達からちゃんと妹見てろよって怒られたりしてた。

俺はその当時なんいも考えてなかったし、鈍い子供だった。
今もだけど。
そんな俺が四年のある日、妹がおかしくなった。

朝学校に行く準備をしてたら、おとんが居間で怒ってた。
なんだと思って行ってみるとそこには
涙目の妹と怒ってるおとんとばあちゃんがいた。

おとんは大抵穏やかな人だから、
また料理ごっこーって言って卵に調味料ごちゃごちゃ入れて
捨てる遊びをしてるんだと思った。
が、違った。
どうやら学校に行きたくないとぐずってるみたいだった。
今までそんなことなかったし、
体育でやな授業あるのかな?くらいの気持ちだった。

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おとんがなんで行きたくないんだと聞くと、うつむいて答えない。
ばあちゃんはそんなことゆるしまへんでと怒ってる。
俺はとりあえず絵を描きながらヒマだった気がする。

ずっと沈黙したままだったけど、妹はポツリと「お腹痛い」と言った。
それを聞いておとんはじゃあ学校休むか?
と聞いたら妹はうんと言って、その日は学校を休むことになった。
俺はなんとなく変だなとは思ったけど、
その違和感がなんなのか分んなくてとりあえず何も言わずに
学校に行った。

それから学校から帰って妹の寝てる部屋に行くと、
妹は起きていておかえりーと笑っていた。
朝より元気になったみたいで、俺はとりあえずほっとした。
そんでその日あったことを妹に聞かせた。

その頃の俺は今では考えられないほどコミュ大好き人間で、
初めて会ったやつにも普通に話しかけて友達になったりするような奴だった。
とりあえず目があったやつと遊びに行く毎日で、結構友達は多かった。
そしてそれに付いてきてた妹も顔を知ってるやつが多かったので、
今日遊んだ奴らのことを話した。
妹は楽しいね、よかったねと笑っていた。

あと卵のは、ばあちゃんもそうとう怒って、
やったらそれを焼いて無理やり食わしてた。
料理が好きだけど、よくわからなかったから
とりあえず味のあるもの入れてみようって感じだった。

その夜、おとんが帰ってきて妹に体はどうか聞いたけど、
大丈夫みたいと返していた。
ごはんもちゃんと食べてたし一安心だ、と思った。
その時は。

次の日、また学校の準備をいしていると
今から騒ぎが聞こえた。
行ってみるとまた妹がソファに横になりながら
布団かぶって涙目になってた。
またお腹が痛いらしい。
さすがにおとんも心配して、病院に行くか?
とか薬ちゃんと飲んだか?と聞いていた。
妹は小さく病院はいい、薬飲んでみると言って布団にもぐった。
ばあちゃんはあったかいもの飲みな、
と生姜湯的なものを作っていた。

しかし俺はなんか変だなと思った。
妹は具合悪いといつも熱とか出てたのに、
今回は熱はないのにお腹だけ痛い。
しかも寝ていたら、というか夕方になったら治ってる。
ご飯もいつもどおり食べれる。

もしかして、こいつずる休みなんじゃね?と思った。
なんでかなとは思ったけど、
まぁそんな時もあるさと流しておいて俺は学校に行った。

学校から帰ってくるとお菓子とか食べてて、
ちょっといじわるしてお腹どうしたんだよwというと、
ちょっとびくっとして今は平気、
と呟いたにがなんとなく印象に残った。

また次の日もお腹痛いーってやるのかな、と思いながら寝た。

次の日起きてみると、そこにはすでにソファで
布団にくるまってる妹がいた。
痛いアピールか、と思いながらスルーしてるところにおとんがやってきた。
そしてすかさず上目使いで妹はお腹痛いアピールしだした。
はいはいマタデスネーと流そうとしたところで、
昨日とは違うことが起こった。

おとんが切れた。
怒鳴ってなんで休むんだ、体そんなに悪くないだろ、
どうしたんだと妹に怒りだした。
おとんは菩薩みたいな人だからそんなに怒ったりする人じゃない。
最後に怒鳴られたのは隠してあったアダルトな本を
バラしてアダルトだーwwとからかった時以来だった。

妹は体をちっさくして怯えてた。
そりゃあんな温厚なおとんが怒鳴ったら俺でも涙目になって正座する。
でも正直そろそろずる休みはおしまいにした方がいいよな、
とも思ってたから何も言わずに見てた。
ばあちゃんはごはん大盛り食ってた。

しばらくしてからおとんがため息つきながら病院行ってみるか?と聞いた。
それを聞いて妹はいつもよりさらに小さい声でうん、と答えた。
俺はハラハラしてたけど、まぁこれでよくなるなーと楽観的にご飯食べた。
というかこの件にあまり興味なくてどうでも良かった。

でもこの時にちゃんと気づいてたら、
色々変わってただろうなと今は思う。

公園に寄り道して、いつもより少し遅くに帰ると妹はベッドで寝てた。
体調も良くも悪くもなさそうだった。
付き添いだったばあちゃんに聞いてみると、
原因とかよくわからなかったらしい。
ただ軽い胃炎なので薬を出しておきましょうと言われたそうだ。
まぁ嘘だから分んないだろうな、
胃炎も無理やり理由作ったらそうなったんだと思ったりした。

おとんも帰ってきておんなじことを聞いて、
ばあちゃんは同じようなことを返してた。
ちゃんと薬を飲んで、早く休みなさいと言って終了した。
妹ははい、と答えてあんまり食べずに、ご飯を終えてた。

次の日も休んでその次の日、
久しぶりに学校に行くことになった。
俺は久しぶりに一緒に行ける!ってわくわくしてたけど妹はずっと俯いて黙ってた。
おちゃらけて見せると笑うんだが、
それも終わるとまた背中丸めて小さくなってた。
久しぶりの学校って緊張するもんなー、
勉強進んでないといいなーとか言ってたけどその辺のことはうん、そうだね
くらいしか返してくれなかった。

そして妹はその日、早退して帰ってくることになる。

すまんおかんのこともうちょい後に出てくる。
ついでに妹が二歳前に死んでる。
さらに文章が下手だから長くなる、かもしれない。
申し訳ないです。

おとんは帰ってきて早退のことを聞いて少し渋い顔をした。
明日はもう少し頑張りなさい、と言うと妹は答えなかった。
まぁ、久しぶりだからしょうがないけど
一回教室に入ったら気まずさとかなくなるのにな
めんどくさかったのかなと結論を出して、
その場はそれで終了した。

けれどそれから妹はずっとこんな感じだった。
朝はぎりぎりまで横になってて上手くいけば休み、
おとんに言われたらがっくりしながら学校に行き、
大抵早退して帰ってくるようになった。
保健室の先生に聞くと、
一時間目の終わりには保健室に来てお腹が痛い、
吐き気がすると言ってくる。
お腹のどこが痛い?と聞くと胃の下あたりとかが痛いと言ったそうだ。
あとで聞くけど、その辺ってストレスがもろ現れるところらしい。

それから妹は急激に変わっていった。
まず食べなくなった。朝も夜も全然食べなくて、
ばあちゃんがおかゆ作っても最初のうちは食べてたけどまったく食べないようになった。
俺は給食はちゃんと食べるのかと思ってたら、
保健室の先生は食べる前にいつも帰ると言った。
ばあちゃんに聞くと、帰ってきてからはずっと寝てると言った。
俺は半ばそんなわけないだろwwwこそっとどっかでお菓子でも食ってんだろww
と、思っていた。
実際食べてないとしてもきっと上手く休めないから
当てつけでやってんのかなと。

そんな風にしてる間に妹はガンガン痩せていった。
あんなにぷくぷくだった妹はいつの間にか、
俺より全然細くなっていた。
気づいたら骨が目立つ体になっていた。

俺はこの辺については曖昧で、
この時期に妹がどんな感じだったのかは
大きな変化くらいしか覚えてない。
いかにこの頃の俺が妹に無関心だったかってこと。
そんなわけで次に気が付いた妹の変化は、
いつの間にかフリだったはずの胃の病気が悪化して胃炎以上になっていた。
原因は分らない。でも胃炎よりも悪くなってる。地も出てる。
病名も別のものがついた。
いつだったかご飯食べながらおとんが
病院変わるかもと言った時に、ついでに話したことで初めて知った。
俺はその頃、ちょっとしたことで病んでて
自分のことで精一杯だった。
家で吐き出せない分、
友達に頼ったし担任泣かせながら毎日を過ごしてた。
そして卒業前にはなんとか落ち着いて、
将来は精神科医になる!と周りに言いふらすちょい電波くらいになっていた。

そして次の年に妹は、卒業式も入れて
何日間かだけ学校に行って小学校を後にした。

中学校に入ってから妹は完璧に不登校と
呼ばれる部類の人間になっていた。
家にこもりがちで外にはあんまり出ず、いつも本を読んでた。ような気がする。
俺は中学生になり、昔ほどの活発さはなくなってたけど
部活に入ったり友達と放課後しゃべって居残りしたりしていた。
妹は昔に比べて、めちゃくちゃ暗くなっていたけど
俺と話す時ははしゃぐこともあったしよく笑ってた。と思う。
本当にこの頃は記憶がなくて、たぶん、とかだったみたい、という言い方が多くなる。
この辺は最高に修羅場だった。

ちょっと時間が戻るけど、
妹が小5になったくらいから体とは別の問題が発生してた。
妹が癇癪というか、よく怒鳴るようになった。
学校行けよ、とおとんに言われると、
「うっせえな!!!!!黙れよ!!!!!!」
と、自分の部屋にいてもビリビリくるような絶叫を上げたりしてた。
俺が体どう?と聞けば、
「口を出すな!!!!!ほっとけ!!!!!!!」
と言われ、カチンと来てどうせ仮病だろ、
やめろよというと、何言ってるか分からないくらい大声出して暴れだした。
その時はおとんがいなくて、俺も頭に血が上ってて怒鳴りあってたらばあちゃんが必死に止めてくれた。
妹には具合悪くなるよと言ってなだめ、
俺にはあんまり怒ってやるなと諭してきた。

そんな感じで俺はあいつは仮病を使って
ひきこもってると思ってたし、おとんもそうなんじゃないかという考えだった。
ばあちゃんは妹の味方でどこが痛い、
ここが痛いというたびにさすってやったりしてた。
家の中は二つに分かれている状態だった。

それから妹に関わらないようになったのも、
記憶が曖昧な理由だと思う。

そうして妹について気づいた変化。
妹は食べたものを吐くようになっていた。
気づいたのは俺が中二の夏くらい。
晩ごはん食べてトイレに入ってみると、なんか臭い。
今まで嗅いだことのない酸味の強い匂いだった。
トイレから出て、家族になんかトイレ臭いんだけど、というとみんなシラネって感じだった。
けどその匂いに気づいた日から、毎日トイレが臭いことに気付いた。
朝は平気、夕方も平気、夜になると臭くなる。
意味が分からなかった。

けど休日の朝、ばあちゃんがトイレ掃除してるところに通りかかったら呼ばれて
便器の中を見せられた。
なにか固形で食べ物みたいに見えた。
それを擦り落としながら、ばあちゃんは小さな声で言った。
「あれ(妹)が吐いとる」

俺はずっと疑問だったことの答えが分かった。
と、同時にものすごく腹が立った。

のちのちそれでばあちゃんに感謝することになる。

あれからいつの間にか、
時々は食べるようになってたけどこんなことしてやがったなんて!
絶対許さねえ!
と、そこまでして食べないことにしてる妹にめちゃくちゃ腹が立った。
そして妹が起きるなり俺は叱りつけた。

なんでそこまでして食べない。かっこつけてんのか、馬鹿じゃねえの。
ていうかマジで馬鹿だな見損なった。
感情高ぶったまま色々妹に言ってやった。
すると妹はいつものように怒鳴ってはこなかった。
正座して聞き終わると、じゃあ私の何を知ってるの?と聞いてきた。
は?ってなりながらこのメンヘラなんぞと思ってると、なんも知らないのに
お父さんもお兄ちゃんも好き勝手言うんだね。
嘘だって言うんだよね。

そうポツリと言った。
え、と固まって答えられずにいるともういいよ、妹は部屋に帰っていった。
ぽかんとしてしまったけど、俺はまたイラッときて最後まで聞けよ!怒鳴った。
結局、妹のことをどれほど知っているか、という質問には答えられずに。

そうして妹は明らかにおかしくなっていった。
今度は主に精神的に。
今まで以上に感情のセーブが効かないし、
死にたい、みたいなこと言うようになって
そばにいてこいつおかしいと感じる行動が増えていった。

おとんは体の不調の方は根気よく治していけばいい、
という考えだったけどこの変化には違った。
おかしなことをいえば怒鳴りつけ、やめろと言い続けた。
ばあちゃんばあちゃんは俺たち以上に一緒にいる
時間が多いので被害が一番あった。
怒鳴られるのも、物を投げるのもばあちゃんばかりだった。
それはばあちゃんがうちで一番弱いからで、
妹にとってた一番安心できる相手だったからだ。
通りに合わないことをしたら、怒鳴り声が返ってくると分ってるのに言い聞かせるし、
痛いと泣けばさすったり看病してやっていた。

そうしてとうとう掛かりつけの病院から、
精神科の受診を勧められた。
おとんはこれがたいそうショックだったと思う。
田舎な感覚の人だから、こういう病気については理
解がないから自分の娘が頭がおかしいと言われたような
気になったと思う。
けど俺は小学校で精神科医を目指す(笑)ような奴だったから、こ
の辺については偏見などはなかった。
というか、早くに受けるべきだと思っていた。
何回か昔本で読んだ浅知恵などを使って行ってみるべきと説得したけど、
上手くスルーされたりしていた。
病院に言われた時も迷ってたけど、
俺が説得して一回だけ診せてみることになった

そして夜に精神科に行くことになったよ、
という話を妹にすると嫌だ、言ってきた。
でも原因が分からないから、一回別の方向でも調べよう、
俺がいうとふうんと返してくる。
それからずっと無言でノートにグルグルを描き続けてた。
それがだんだんノートを真っ黒にしていくのを見ながら
おとんが震える声で、どうしてそうなったんだ。
と、呟いた。
なんでこんなことに、と問いかけ続けてる間も妹は無言で鉛筆を動かしてた。
そしていつの間にかグルグルじゃなくて別のことを書いてるのに気が付いた。
手の動きが違う。
何かと思って見てたら、ずっと「しね」って書いてた。

それを見て、俺はすごく悲しくなった。
今までは頭のおかしい奴だと思ってたけど、
初めて妹の現状を把握した気がした。
これは嘘じゃなくて、ほんとにつらい目にあってるんだ。
ほんとに体を壊してて、どうしようもなくなってて、

ここまでほっておいた俺たちを恨んでる。

そう思った。

でも、なんで目の前の人間に言いたいことはちゃんと
言わないんだとイラッときて、
「おい、言いたいことがあるならちゃんと言え」
と言った。
すると妹はばんやりした顔で、
「え?何が?」
と、返してきた。
今ならわかるんだけど、その顔ってわざとなんだよ。
なんのことですか?って顔で話を遮る技というか。
ようするに言ってもしょうがないの時の顔なんだ。

そのままうやむやにされて、
妹が今から出て行って終了になった。
話のためにテレビも消した居間は感じたことないほど静かで、
何も言わないおとんが怖かった。

居心地悪くてもぞもぞしてると、おとんが手で顔を覆い隠した。
お疲れ、と言おうとした時、おとんの手の下から声が聞こえた。
嗚咽だった。

生まれて初めて見るおとんの涙に、
俺はびっくりを通りこして驚愕していた。
え!?泣くの!?とか思ってしまった。
そして息を詰まらせながら、おとんは一言だけ言った。
俺、育て方間違ったのかなぁ、と。
それを聞いて俺は何も言えなくなってしまった。
それから、一人でやってきたけど、ダメだったのかなぁ。
そう言いながら泣いていた。
俺は涙目になりながらそんなことないと肩をさすった。
今は妹は病気なだけ、しょうがない。薬も分らなかったからしょうがない。
俺も小学の最後に変だった時期あるじゃん、でも治ったじゃん。
おとんに育ててもらって苦労したことなんてないよ、一回も。
そう言いながらひたすら肩をなでてた。

この時、おとんがどんだけ悩んでたのかも初めて分かった。
こんなに今の状況に追い詰められてるのかと思った。
そして、俺がこの日までいかに何も知ろうとしなかったのか自覚した。

おとんは涙をふいてそうか、と言ってもう休む、と出て行った。

俺のおかんは、俺が3歳になる前、妹が2歳になる前に病気で死んだ。
ガンだった。
この頃とか子供の時におかんのことを聞いても、
とんはなんとなくはぐらかして聞けなかった。
ばあちゃんはそんなおとんに気を使うように、
その話題には触れなかった。

そしてこれはつい最近分かったことだけど、
おとん、結婚3年目とかでおかんを亡くしてるんだ。
その上、亡くしてから何年も経ってないから
まだ気持ちを整理できてなくて、思い出したりするのもきつかったんだと思う。

でも一人でも立派にこどもを育て上げてやる!と、覚
悟をしてたみたい。
そんな中で起きた妹の件は、
おとんにとってどのくらいキツイことだったか。
俺は想像できない。

そんなことを考えながら、俺はこれからどうするかを考えた。
まず、俺は家の中で明るくしていよう。
もうおとんが泣かないように上っ面だけでも
平穏な感じにしなきゃいけないような気がした。
あと妹の話もちゃんと聞こう。
これから歩みよれば、きっとなんとかなる。そう思った。

だけど、今の俺はやたらと部屋にいる時間が長い。
なんでかな、今思いだしてみたけど、それはこの時期からで
結局俺は妹と向き合うことは、あの時期一度もすることができなかった。

次の日、妹はばあちゃんとおとんと一緒に精神科へと行った。
俺は普通に学校に行って、なるべく早くに家に帰った。

帰ってみると、うちの中の空気が明らかにおかしかった。
なんかあった、それは明白だった。
居間に行ってみるとばあちゃんが一人でソファにいた。
心なしか疲れてて、どうだった?と、聞くと大変だったと教えてくれた。

病院に行くまでは大人しかったけど、
ついて診察に呼ばれてからずっと暴れっぱなしだったそうだ。
何を聞かれても叫んでるし、大人しくなったと思ったら
先生には一切答えなかったらしい。
結局ばあちゃんはこれくらいしか教えてくれず、
薬だけはもらってきたみたいだった。

でも妹は一回もこの薬を飲まず、こっそり捨てていたと後で聞いた。
ついでにあの先生はなんとなくやな感じがした。気持ち悪いとも。
精神科は先生との相性も大事みたいだから、
無理やり行かせるのはよくないみたい。
妹と先生も、そうとう相性最悪だったみたいです。

これを最後に、妹は精神科には行かなかった。

そしてどうにもこうにもならなくて、ついに妹は入院することになった。
一応は検査入院だったけど、食べ物をとらなくて栄養失調がこれ以上進むとヤバい、
ってのもあったらしい。

そんなわけで、俺と妹は生まれて初めて
長期間離れて過ごすことになった。
入院することになって、さすがに妹も心細そうで、
入院する日も何回も電話して来いよ、
いっぱい話そう、いつでも話聞いてやるって言ってた。
妹はうん、電話する、たくさんしゃべろうと笑ってた。

入院は確か夏休みにかけてだったと思う。
おとんはできる限り毎日お見舞いに行って、妹に会おうとしてた。
俺もそれに付きあって、
毎日のように遊びに行っていた。
だいたい妹は起きていて、
俺たちが行くとおー、きたーと笑って出迎えていた。

ベッドで話して、その間に晩ごはんがきて、一通り話したら
何か食べたいものあるか?って聞いて、とりあえず病院の中にあるコンビニ行って
食べたいものあったら買う。んで、食べながら話して、
お見舞いの時間が終わるあたりで帰る。
というローテーションを過ごしていた。

何か食べたいかと聞くと、たいていいらないと言ってたけど
だんだん飲みたいものとかは出てくるようになった。
けど、相変わらず食べたいものは出てくることはなかった。
夜ごはんも手をつけずに戻すので、
途中からは俺は食べちゃうことも多くなった。
こっちはごはん前だったから、誘惑に勝てなかったんだ…

入院してからは少しは穏やかになったけど、
やっぱり気に食わないこととかあったら
先生や看護師に当たり散らすこともあった。
そして入院中だからとおとんが甘やかして、
いろいろ物を買い与えるようになって
わがままなところが大きくなってしまって、
今でもその辺は残ってる。というのはまた別のお話。

そして季節は秋のはじめ頃。
おとんはそろそろ妹を退院させようか、考え始めてた。
容体も落ちついてきたし、
このまま入院してると体力も落ちるだろうと話した。
けど、実際は入院費がかさむのがあれだったんだと思う。
まぁ、実際飲み物も飲むし、少しは食べるようになったから
これ以上は小児科でできることはない。
という結論だった。
けど、実際退院したのは、さらに1か月後だった。
理由は妹ぐずったせいだった。

そんなこんなで帰ってきて、最初は借りてきた
猫みたいだったけどだんだん慣れてきて普通の生活を送るようになった。
と、同時にばあちゃんへの暴言も多くなっていった。
俺やおとんにも言ってたけど、
ばあちゃんへは比べものにならないくらいに言ってた。
退院してからは特に小さなことで怒鳴り散らすことが多くて、
ごはん中にこれ嫌いなのになんで作っただの、
痛いのはそこじゃないしゃんとさすれだの。
もうただの暴言もいいとこだった。

でもばあちゃんは文句は言えど、それ以上何も言わずやってあげていた。
俺が一度、もっと言ってやんなよ、つけあがるよと言ったら、
「でも、あの子の痛さはあの子しか分からん。
あの子の言うこと聞いてやらなきゃ誰が聞いてやるんだ」
と言った。
俺は、なんでそんな尽くすのかと思ったが、あの「言うこと」って
たぶん「言葉」とも置き換えれるんだな、と最近思った。

そんな風に過ごして行き、妹は保健室登校という形で学校に通うようになった。
保健室登校といっても、
うちの場合は保健室の隣にフリースペースみたいな教室があって、
妹はそこに行って課題をやったり本を読んだりしたらしい。

そして俺は3年になり高校受験に挑み、
そこそこの偏差値の高校に受かった。
そして春休み中に電話がきて、
一般コース受けたけど希望するなら
進学コースも行けちゃうよと言われ、
調子に乗って進学コースに行き、学力が追い付かず、
部活や教室の人間関係で悩み、
7月で高校をやめることになる。

おとんにはろくに理由も言わずに
退学させてもらって、そこから約1年間ニートをすることになった。
おとんは何度も俺にこのままだとダメだ。
高校だけは出なきゃ、社会に出るのも大変だし、一番大事なことを学ぶ時間も
できなくなると言った。
大検じゃダメなのか、って聞いたら、
人間関係は社会に出る前は学校でしか学べないと言った。

俺は学校生活はもうこりごりだと思ったけど、
おとんのその一言はなんとなく胸にすーっと入ってくるようだった。

妹の話メインでいこうと思ってるから俺のことはサッと終わらすよ。

そして俺は大検の勉強ができる高校のようなものを見つけた。
さっそくおとんと見学に行ってみたが、
確かに教室があってみんな勉強している姿が見れた。
それを見てると、もう一度学校通ってみるのもいいかな、なんて思いも出てきて、
学費の話を聞いてみると、なんと100万円かかると言われた。
1年ではなく、半年で。
しかもこのカリキュラムをこなせば大検が手に入るのではなく、
大検の勉強だけでこの学費がかかる。
しかももし落ちたらまた半年で100万払わなければならない。

さすがにおとんは絶句してた。おれもポカーンとなった。
帰り道であれはちょっと無理だな、
と言われたのであれに行くくらいなら独学するわと返した。

そんなわけで大検の問題集を買ってもらい
勉強を始めるんだが、なかなか手に付かない。
分からないし、意欲が湧かない。
そのうち嫌になってサボりがちになる。
1か月経たないうちに、俺は立派な引きニートになってしまった。
高校に入るときに買ってもらったケータイがあったから、
いくらでも時間をつぶす方法があった。
その頃唯一できた高校の友達から、
掲示板から音楽をダウンロードできると知って
俺は色んな音楽を聴き始めた。そしたらパケホに入っておらず、
次の月の請求が10万になって
おとんを青くさせたりしてた。

妹は副担が嫌なやつすぎて、
精神的に潰されそうになりながらもなんとか不定期登校を続けていた。

そんなある日、小学校から続く友達の家に遊びに行った。
そいつは学歴厨な両親を持つ、
普通な高飛車だったが当時の俺はなんとなく
そいつのことは嫌いになれなくて、よく遊んだりしてた。
意外と性格もさっぱりしてて付き合い奴なんだが、
その母親も輪をかけて性格がさっぱりしてて
親しみやすい人だった。

そんな奴の家に遊びに行くとたまたま仕事が
休みとかで母親も家にいた。
いらっしゃいー、聞いたわよい。
学校やめたんだってー?バカだねーww
そう言っておやつを出してくれた。
まぁ、普通にバカなことしたと思ってたし、
ここまで軽く言ってくれた方が気が楽だった。

独学はキツイ。予備校の大事さはこの時感じたよ。

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そして一冊のパンフレットを出してきた。
ここの高校知ってる?
そう言って差し出してきたので中を見ると、
制服の男女が写ってる。
いいえ、知らないです。というと、
ここって中退とか訳あり転校とかを
受け入れてくれるんだって、と教えてくれた。

よく見ると、要するに
「ヤンキーも不登校も、留年も、中退もバッチ恋!」
みたいなことが書いてあった。こういう学校もあるんだなー、
と思ってふと気づいた。

不登校。

そういえば妹の進学はどうなるんだろう、
と急に気になりだした。
あいつ勉強って言っても、
そんなにしっかりとした授業なんてほとんど出てないし、
偏差値なんてあるのかってくらい学力がなかった。
ここなら、あいつも行けるかも。
そう思うとなんだかパアッとひらめいた気がした。

その日の夜、妹とおとんにパンフレットを見せた。
おとんはまたこの間みたいのか、と警戒して、
妹は無表情だった気がする。
パンフレットを見せながら、俺は何故か必死に訴えてた。
ここなら妹も単位が足りなくても通える、
不登校にも理解があるから通いやすいと思う。
ついでに中退者も受け入れてくれる。

そんな説明をしてると、妹がその高校知ってる。と言い出した。
なんでも進学の面談の時にここと他にいくつか
同じような高校を教えてもらったらしい。
でもまだどんなところか分からないから決めかねてるとも。
俺はこっちでも調べてみると言っておいた。

そして1週間くらいしてまた高飛車の家に行った。
今度はおばさんが来い、ってさと高飛車がメールしてきたからだった。
行ってみるとテンション高めのおばさんがいて、
着くなりあのね聞いて聞いて!
と、語りだした。

俺に会ってから何日かして、
仕事で噂の高校の近くを通ったらしい。
どんなところか見てやろうと近づいてみたら、
たまたま学校から制服の女の子が出てきたそうだ。
それを見て、すいませんって話しかけてみた。
そしたらなかなかいい子たちでちょっとおしゃべりが弾んでしまった。
そうだ!と、思ってその子たちにここに通ってて楽しい?って聞いた。そしたら、
「その子たち笑って楽しいです!って答えたよ」
と言った。

この人リア充だなあ、と関心してポカーンとなったけど、
おばさんはそのまま話を続けて
どんなパンフレットよりも生の言葉が一番信用できるよ。
たぶんあの子たち、嘘は言ってないんじゃないいかなあ。
そう言って話終えた。

高飛車はそれを聞いて、話しかけるとかマジ恥ずかしいわーと頭を掻いていた。
それを聞いて俺は、とても、でも静かに感動した。
ただの同級生のこどもにここまで世話焼いてくれるなんて、なんて優しい人なんだろう。
高飛車も進学校行ってて色々慣れてない時期なのに、色々話聞いてくれたり励ましてくれたり。
この時俺って世界で一番幸せな奴だなって思った。
こんな今すぐこいついい奴ですよ!って言いたくなる友達がいて、
その母親があり得ないくらいアクティブな人で、他人のために動いてくれる人だった。
その人たちのおかげで道が開けてくるなんて、これ以上ない奇跡だと思った。

だから俺はこれ以上調べるまでもなく、ここが一番だな、と思った。

帰ってからさっそく妹とおとんにも話して、
俺はここに行きたいと伝えた。
おとんは、いい友達を持ったな、と言ってくれて反対はしなかった。
妹は少し穏やかな顔で、私もそこでいいよ、と言った。

それから一回だけ学費の話とかを聞きに、その高校へ行ってみた。
予想以上に小さくてびっくりしたけど、
教室で授業受けてる生徒を見てたら
なんとヤンキーと根暗っぽいのが仲良く話してたりしてた。
すごいな、と見てたらあっちに見つかって、
転校生だ!と逆にじろじろ見られたりした。
移動しながら、楽しそうだね、
と妹に話かけたら小さくだね、と答えて笑った。

そして次の年の4月。
俺と妹は無事入学した。
俺は単位をまったく取らなかったから、
また1年生をやり直すことになった。
入学式の朝に、結局高校も一緒のとこだね、
と妹に言われたのが思い出。

入ってしばらくは俺も久しぶりの人間社会で、
1週間通えなくなったり
妹も早退を毎日してた。

俺はだんだんと毎日通えるようになり、
慣れて友達ができたりするようになった。

妹は相変わらず不登校気味な学校生活からのスタートだった。

学校に行くのも日常となったある日のことだった。
俺は妹と久しぶりにでかいケンカをした。
もう理由とかは覚えてなくて、ちゃんと部屋掃除しろとかだったと思う。

お互い大声で罵ったりして、
はたから見たらもうかなりヤンキーなケンカだったと思う。
そしてヒートアップしていって、
俺はある一言を言ってしまう。
お前、なんでそんなんなの!?

ニュアンス的には、こんな感じだったと思う。
そしたら妹が突然泣き出した。
もう大泣き、っていうか幼稚園児くらいの子供みたいな泣き方だった。
うわーんって大声出して、ぼろぼろ涙をこぼしまくってた。

俺はえっ、えっ、ってなりながらもめっちゃ血管が切れそうになった。
いい年した奴がそんな風に泣くな!お前にも責任あるだろ、
って怒鳴ろうとした時だった。

なんでいっつもそういうの。

妹はしゃくりあげながら、そう言った。

何がだよ、って思ったけどなんだか妹の様子が変だった。
顔真っ赤にしてゼーハーゼーハー言いながら、
何かを言うために必死になっていた。
俺は怒りが収まって、なんだよと言うと、
妹は、なんで、なんでと何回か言ったあと少しずつ話し出した。

妹が学校に行かなくなったのは、いじめのせいだった。
ある日学校に行ったら、クラスみんなから無視されるようになったという。
考えてみると、その前の日に仲の良かった女の子に嫌なことされて、
妹はそういうのヤダ、やめて。
と言ったらしい。

きっとあの時のことで腹立てたんだ、妹は思ったそうだ。
そしてみんなが無視する中、その女の子と
他の女の子たちがこっちを見てくすくす笑っていた。
見た瞬間、それを確信して妹は気にしないにした。
でも何日経っても収まらなくて、
さすがに妹も堪えて何人かに話しかけてみたそうだ。
するとみんな見事にシカトされ、
次の日からは近づいただけで逃げられるようになった。

それで学校に行くのが嫌になって、休むようになったらしい。
でも家でもなかなか休めなくておとんには怒られる、
ばあちゃんも途中から言わなくなったけど、やっぱり学校に行けと言われる。
そして俺は助けてくれず、毎日遊び呆けてる。
相当ストレスの溜まる毎日だった。

そうしてるに本格的に学校に行けなくなってしまった。

妹はそこまで話すと、ティッシュで鼻をかんだ。
初めて知った事実だった。
今まで聞けなかったことが、形になったが俺はショッキングだった。
まさかとは思ったが、ここまでとは。
ネットでも色んないじめの話があって、
こんなのはまだ軽い方なんだろうが
目の前で泣きながら語る妹を見て、
その内容はとても軽いようには思えなかった。

そして妹は、少しは落ち着いたけど、まだ止まらない嗚咽を噛み殺しながら
呟いた。

「そん時にお父さんに言われた。どうしてそうなった、って」

うん?と、なった。
話がつながらなかった。
きっとあの病院に行く前の日のことだ。
そのまま妹の言葉を待ってると、
またボロボロと涙が出てきて、ひぐひぐなりながら言った。
どうして、こんな風におかしくなっちゃたんだ、って言われた。
どうしてお前はこんなんになった、って言われたんだよ。
そう言ってとうとう何も言えなくなった。
俺は、目の前が真っ暗になりそうだった。

そうだ。あの時おとんは言っていた。
なんでそうなった、と。
でも妹はいじめのことは言えなくて黙っていて、

おとんは助けを待っていた妹に、ただ一言
どうしてこんな頭がおかしいんだ、と言ったんだ。

叫びだしそうだった。
今すぐに妹に謝り倒して、土下座して、死んでしまいたくなった。
あの時そばで何も言わず眺めてた自分を、殺してしまいたかった。

あれが、あの一言が妹を壊してしまったのか。
目の前で泣き崩れてる妹が遠く感じた。
両腕で体を支えて俯きながら、妹はまだ言葉を続けた。

みんな大嫌いだ。死んでしまえばいいのに、と毎日思ってた。
お父さんはそっちばっかり可愛がる。私なんかいらないんだ。
おばあちゃんがいなくなったら私は一人ぼっちだ、どうしよう。
もういやだ、こんなのいやだ。
あの時お兄ちゃんにあんなことされた、嫌だった、つらかった。責任とれ。

そんなことをわんわん泣きながら叫んでた。
内容も支離滅裂だし、箇条書きみたいな感じだし、時系列もばらばら。
だけど、これは妹の中に積み重なってた苦しさなんだと思った。

妹の言ってる内容は、俺が覚えてることも、覚えてないこともあった。
中には明らかに誇張されてたり、
改編されてるものがあって、それは違うと言っても
嘘だ、またそうやって私を悪者にするんだ、分ってるよ、
私が悪いんだろと叫んだから
俺はそれから、特に口を挟まずに聞き続けた。

そうして叫び続けて、一番最後に叫んだことが、
ある意味、最高の爆弾となった。
「どうせ私はお母さんのこと覚えてないもん!!
わたしだけ、おかあさんとのおもいでがないんだ!!」

俺には何故か2歳頃の記憶が鮮明で、
その頃住んでいた場所のこととかをよく覚えていた。
どこどこに坂があった、
どこどこに弁当屋があってよく行っていた、
団地の横に公園があった。
そしてその時生きていたおかんのことも、
ほんの少し覚えてた。

と言っても、公園で遊んでたらベランダから手を振ってたな、
くらいのことだった。
おとんに確認してみたら、確かに団地の隣は
小さな公園と言うか広場で、うちのベランダに面していたから
そんなことあったのかもね。という話をしたりしてた。

そして一番鮮明な映像なのが、
畳の部屋でこちらに背を向けて寝てるおかんの姿。
見てる俺が、おかん具合悪いから起こさないようにしなくちゃ、
と静かにふすまをしめようと
しているところ。

これを何度か妹に話したことがあったんだ。


21、大学生、美術専攻中

20、専門卒業予定、料理人(見習い)

それまではさ、妹はおかんの遺影見て、
こんなみんなが見る写真で一緒にいるって
すごいことだよね、嬉しいよね。って言ってる奴だったんだよ。
一緒に、っていっても妹のお宮参りの時ので、
切取り拡大されておかんの顔しか見えないんだけね。
でも時々仏壇とこ行って眺めてたししてさ。

その時はなんでもないような感じだったから
気にしてなかったけど、考えてみたら
相当鬼畜な所業だったと思う。

妹はというと、おかんの記憶はまったくないらしい。
まあ1歳ちょいだったししょうがないんだけど、妹はそれともう一つ、
おかんとの写真がないことをすごく気にしていた。

俺はおかんがママ友と花見に行った時に
撮った写真があるんだが、妹はないんだ。
この時にはまだいなかったんじゃね?って思ったけど、
おとん曰くこの頃には生まれていたらしい。
じゃあなんで余計ないんだ、と妹は思っていたそうだ。

けど、一回当時住んでいた場所を訪ねた時に、
花見の時に一緒にいたママ友に会うことができて、
その時の写真を見せてもらった。
そしたらその中に、妹とおかんの写真があってさ。

その時の妹の嬉しそうな顔は、印象的だった。

そんな妹に俺は、ずっとおかんのこと覚えてるだの、こ
の写真の俺きめぇwwだの
よく言えたもんだ。ほんとこの日だけで何回死にたいって思ったか分からない。

そしておれは全部聞き終えて、涙やら鼻水やらで
ぐしゃぐしゃになってる妹にちゃんと向き合って
頭を下げた。もうこれ以外何をすればいいのか分からなかった。
本当にごめん、こんな言葉では足りないけど、知らなかった。
もっとちゃんと気づくべきだった。ほんとにごめん。
でも家族の中で誰も、お前のこといらないなんてやついないし、
おとんもお前のこと大事にしてる、あの時はおとんも追い詰められてたから
許してやってほしい。

すると妹は、別にもう怒ってない。でも、忘れられない。と、言った。
俺はうん、と答えて気づいたら正座していた。

妹はすっかり落ち着いていて、
まぁ今さらどうしようもないよ、と言った。
俺は、それを絶縁のことかと思ったら、そうじゃなくて、
そのまま起こったことだからもういいよ、ってことだった。

この時初めて、俺は妹はなにげにすごい奴なんじゃないかと思った。

それから妹はすごかった。
あんなに休みがちだった学校を全然休まなくなった。
1年の時は半分以上休んでたのに、2年では一回も休まず行って皆勤賞を取った。
その上、学校中で特によくやったと言われる皆勤賞には特賞がもらえるんだが、
妹はそれも取ってきた。
去年までの妹では考えられないような功績だった。
おとんはもちろん、ばあちゃんはものすごく褒めてくれたらしい。
何回もやればできるんだから、やったできたろう。お前はすごいんだから当たり前だ。
そう言ってたそうだ。

その勢いのまま3年までいって、
結局その年はどうしても休むことがあって
皆勤は逃してしまったんだけど、
妹はもう、行くのが当たり前の生活になっていた。
そして進路もちゃんと決めていた。
ずっと夢だった調理系に進むことが決まった。
最初はパティシエ希望だったけど、
調理なら料理もお菓子も作れる、と言って選んだ。

自分で書いてて釣りくせーwwwって思ったけど
これはマジなんだぜ。

そして今年の2月に、おとんと俺で妹の卒業制作を見てきた。
ていうか実際作ったのを食べてきた。
作った料理出された時、妹が作ったとは思えないくらい綺麗で、
思わず、料理出してきた妹に「これ作ったの?お前作ったの?wwえ?ww」
って言って叩かれた。
その料理食べて、おとんはありえないくらいにこにこしながら食ってて、
俺は美味いなぁ、こっちも美味いなぁって言いながららにやにやしてた。

最後に生徒が一人ずつコーナーになって、
妹も挨拶したんだが、
言ってる内容は普通すぎて覚えてないけど、
なんか色んなことをふわーっと
思い出した。

そんな妹を見ながら俺はぼちぼち勉強して、
なんとかEランクの大学に進むことが決まった。
思えば、生まれて初めて別々も道へ進む瞬間でもあった。

専門へ行って1年目の前半は、
やっぱり体調崩して休みがちになったりしたけど、
それもだんだんとなくなって、毎日登校して行った。
そして小さな大会に出て、入賞するなんてこともあった。

高校で初めてやったアルバイトの初日、帰ってきてすぐ
ギャルばっかりだった、どうしようって涙目になってたとか。
3年になった頃には、もうベテランになってて、バイトの話したら
よく人の名前が出るようになってたなとか。

専門に行ってからは、こんな技ができるようになった!って時とか、
オムレツが苦手でできるようになるまで毎日オムレツ食わされたなぁとか。
正社員になれたよー!って報告した時の喜びようとか。

もう、ほんとに色々溢れてきた。

そんで、涙が出てきた。
隣見たら、あの感動に弱いおとんでさえ普通にしてたから
恥ずかしくてすぐ引っ込めたけど、ほんとあの日が人生の中で
嬉しいこと10本の中に入るくらいの日だった。

絶対に人の中では生きていけないと思ってた妹が、
今はこんなに立派に自分の足であっている。
それが俺にとって、誇りに思えた。
本当に、最高に自慢の妹だ!!って外で叫びたかった。

今年の3月、ていうかもうすぐなんだが
妹と東京に行ってくることになった。

おかんの昔からの友達に会えることになったからだ。

妹の卒業旅行どっか行こうか、とは話してたけど、同じタイミングで
その友達から電話が来て、話の流れでおかんの縁の場所でも巡らない?
と、言ってもらい行くことになった。

この旅で、正直期待してるのはおかんの歴史より、
妹との思い出の話だ。
少し聞いたところによると、
その人は妹が生まれてからもおかんと結構会っていたらしい。
だから、その時のエピソードが聞ければなあ、と思ってる。

ぶっちゃけ、こんな風に話してるけど、
いじめ以前のハツラツな妹に戻った!とかではなくて、
未だにたくさん問題も残してる。

人と関わるようになったとはいえ、
まだ業務連絡くらいしか話せないとか
もういい、とは言ってもおとんとの間に少しだけ溝というか、
ぎこちなさがあるとか

そして、現在も吐き癖は治ってない。
昔みたく拒食症的な吐き方ではないけど、
胃にものがあると気持ち悪いからやっちゃうらしい。
他は時間の流れとかがあるけど、
この癖だけはどうしても直してやりたい。

まぁ、あんまり言い過ぎたらまた切れて
ケンカになるから少しずつだけどね。

そんなわけで、
おかんが死んで、妹が色々あって成長して、家族が立ち直る

という話でした。
見てくださってありがとうございました。

おかんのお墓はおとんの実家の近くにあるよ。
お盆にはみんなで挨拶しに行ってる。

小学生の時は、なんで俺だけ母親いないんだろう、
こんな寂しい思いしなきゃいけないんだ。
って、思ってたけどそんなのおとんもだったんだよなあ。
世界で一番かっこいい父親ってのは、俺の中では岡崎朋也のことです。

あとばあちゃんですか、去年に亡くなりました。
もう高齢だったし覚悟はしてたけど、
俺はもしばあちゃんが死んでしまったら、
本当に妹は折れてしまうんじゃないかと思ってた。
けど、妹はそれをしっかり受け止めて、最後まで見送ったよ。
まあ俺と二人して、全部終わって家に帰るまで、
ずっと泣き通しだったけどww

最初はこれを書いて、俺がどんだけ薄情か叩いてもらいたかった。
俺の文章力や無意識で、あんま俺の酷さが伝わってないけど、俺自身、何回も妹を泣かしてる。
でも、おとんをすごいって言ってくれたり、ばあちゃん優しいって言ってもらえて嬉しかった。
何より妹偉いよ、頑張ったね、って言ってもらえてめちゃくちゃ嬉しかった。

これを見て、何か考えてほしいとか全くない。
俺の反省文というか、そういうものだから。
ばあちゃんに対してだって、
俺ももっと大事にしてれば、
とか今は思うよ。
もうできないから余計に。

でもひとつだけ言わせてもらえるなら、
治らない傷はない。
かさぶた目立ったり、痕になるかもしれないけど、
ちゃんと血が止まって治っていくんだってこと。
これだけ。妹を見てたらそう思うんだ。

そんなわけで長々として、すいませんでした。

俺もまだまだ生きてける、って思えたよ。

それでは今日がみなさんにとって素敵な一日になりますように!

(`・∀・´)ノシ

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