父がスキルス胃がん。父「父さんがしぬまで今の状況は母親には話すな。」

うちの母親がとにかく酷い
金に対して異常なまでの執着心を持っている。
それを自分だけに留めるならまだ目を瞑れるが、
周りも巻き込むから手に負えない。
一番酷かったのは忘れもしない父親の四十九日の時

少し長くなるけど父親の話を軽くする。
うちは2歳の時に両親離婚してるんだけど、
俺だけは父としょっちゅう会ってた

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まあ殆どが「息子の頼みは断れないでしょ」
と言う母の考えの元
金を借りて来いと言われてだったが
その頃俺は中学生で反抗期真っ只中だったので、
父にはお金の事は言わずに
普通に学校で何があったとか、初めて彼女ができたとか
他愛ない事を喋っていただけだった。

別に養育費を父が滞納していたとかはなく、
単に母親が贅沢(主に美容関係)したいが為の
無心だったので普通に生活できていたし、
母からは貰ったことないが
父から会う度に小遣いもらってたからそれで満足だった。

父は俺と会えば「なにか食べたい物はないか?」と
よく外食に連れて行ってくれたのだが
ある時期から一緒に外食に行っても何も食べなくなった。
子供の俺は何も気付けなかったが既に当時末期ガンだった。

父はとても優しい人だったので
相場以上に養育費をうちに振り込んでいたそうだ。
再婚もしていたので二つの家族を養う為に
必死に働いていたら現場で倒れて、
運ばれた病院でそう診断されたらしい。

スキルス胃がんからの腹膜播種
そして腸閉塞も発症していた、
だからご飯を食べれなかったというだ。
食べても腸を通過できないから
ものすごい苦痛を伴って吐き出してしまうらしい。
全部父から聞いた。

しばらくして父は入院したが、
腹膜播種になった時点でもう手術はできずに
抗がん剤に頼るしかないと告げられた。

手術が無理と言われてからは自宅療養に切り替えて、
後妻の方と当時2歳くらいだった息子さんと
残りの日を過ごしていた父。

ある日父に家に呼ばれて行くと、
そこで一つのお願いをされた。
前述した通り、
家族で父と会っていたのは俺だけだったので
病状を知っていたのも俺だけだった。
それを踏まえて
「父さんがしぬまで今の状況は母親には話すな。
しんだら伝わってしまうから、
せめてしぬまでは静かに過ごしたい」
そう言っていた。

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今思えばそれが所謂遺言ってやつなんだろうな、
それからしばらくして父がしんで葬式が行われた。

告別式の日に
初めて父がそういう状況だったと知った母親は、
よくわからないけど発狂していた。
それまでは「金も寄こさないクズ」とか
「さっさとくたばればいい」とか
毎日の様に言っていたのに、
しんだとわかると「やっぱり愛していた」とか
もうね、ほんとにしんでもらおうかと本気で思ったよ。

俺には姉と妹がいるんだが、式には俺と妹だけで行った。
後妻の人には本当迷惑かけたと思う。
式には父と後妻の人の関係者しかいなかったからな。
それでも式に行ったらありがとうと言われた。

そして問題の四十九日の日、
俺は進学した高校が全寮制だったので行けなかったが、
そこに母と姉と妹そして母方の祖母4人で凸ったらしい。
父をしなせたのはお前だとか遺産は全部うちが貰うとか、
まあそういう事を喚いていたと後妻の人から伝えられた。

そういう状況になる事はある程度覚悟していたので
事前に親族の方に伝えていたし大事にはならなかったそうだが
母親が
「ほら!あんたも言いたいことあるでしょ!?
はやく言いなさい!」と、
当時小6だった妹からひたすら同情を買うセリフを
言わせたがったことが一番許せなかったと言われた。
妹は泣きそうな顔で
「お金をうちにください」と言っていたそうだ。

それがあってから俺は高校生活中ほぼ家に帰らず、
卒業してすぐ一人暮らしをはじめた
姉はすでに家を出てたが、
しばらくして音信不通になった。
妹も俺と同じで高校卒業して家を出た。

家を出て未成年の頃は警察に通報されて
不動産が俺の住所を母に伝えて凸られたり、
職場に凸られたり悲惨な目にあったが
妹が家を出るとそっちに矛先が行ったのか
俺にはほとんど構わなくなった。

先日、姉から結婚すると連絡があり
母親を式に呼ぶか迷っていたので
絶対やめるよう伝えた際、
昔の事を思い出して書き込みました。
長くなってすいません。

妹は日本以外の国に今いるので大丈夫です。
今一番危ないのは姉なので、
全力で止めにいってる最中です。

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