妻がなくなり、妻の借金の整理に乗り出した。娘「お母さんが、金銭的に苦しんでいたって、本当に気付かなかったの?」

つい3カ月ほど前に、妻とタヒ別した。

去年の今頃から体調がおかしくなって、9
月頃に癌の診断を受けた。
それも、抗癌剤が効きにくく、かつ気付いた時には
手遅れになってることが多いという癌だった。

つまり、診断受けた時には既にリンパにまで転移してる状態の末期で、
医者には妻のいないところで「治すためではなく、
延命のための抗癌剤治療になる」って説明された。
治らなくても「治療」になるのか、とぼんやり思ったことを覚えてる。
家で留守番してた娘に電話で報告したら、電話口で号泣された。
この娘は、妻の体調不良をかなり気に掛けていて、
はやく病院に連れて行こうと焦っていたんだ。
だが、妻は大丈夫だと我慢してしまっていて、
俺は俺で気にしつつも自分からは病院に行けとか口を
出さないでいたから、結果的に4か月も放置してしまった。
今となっては、後悔しているとしか言いようがない。

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そしてここから、本当に地獄だった。
約半年の闘病生活。
金銭的にもさることながら、妻の体調がどんどん変わっていくのが
分かって、それを見ているのが怖かった。
最初は自力で歩けたのに、
いつしか杖がないと歩けなくなっていて、それでも、
立ち上がれたうちはまだ良くて、腕の骨を折って
しまって(骨転移からくる骨折)からは、ソファに座れば
自力で立ち上がれなくなり、娘の介助を受けて
ようやく立ち上がっていた。
妻もそんな自分の体調に気付いてきたのか、
ある時、ホームセンターに一緒に行って、
春咲きの花の球根とか前から欲しがっていた
木の苗を購入したんだ。
その球根を自らプランターとかに植えて、
嬉しそうに「来年の春が楽しみになった」って言っていた。
実を言えば、病気宣告の時、やはり妻のいないところで
医者には年単位はもたないって言われていたから、
その発言はグサっときた。
影で娘が泣いていたのも見ている。辛かったろうと思う。

最後の3ヵ月は文字通り病院のベッドに寝たきりで、
毎日顔を合わせるのは正直つらかった。でも、
最後まで会話だけも出来たのは救いだった。

妻の49日が終わってから、妻の借金の整理に乗り出した。
放棄はせず、俺が背負うことにした。
とりあえず、妻が借入とかしていたカード会社に
明細の送付をお願いして、それがつい先日届いたんだ。
明細見て愕然とした。
妻、確かに借金はしていたけど、自分のもの…例えば、
服飾とか宝石とか化粧品とか、
そういうのは一切買っていなかった。

買っていたのは、食材とか生活必要雑貨、
そういうのばかり。
さすがに品名は書かれていなかったけど、
カード使った店の名前で、そういうのに疎い俺にでも分かった。
妻には生活費を渡していたつもりだった。
妻もパートで働いていたし、娘も正社員だった(妻の病気発覚後、
会社を辞めて時間の都合のつくということで
アルバイトになったが)から、何でこんなにカードを
使っていたのか分からなかった。

狼狽えた俺を見ていた娘が、本当に気付かなかったの?って聞いてきた。
びっくりして娘を見たら、娘、泣いてた。
それから、一気に言われた。
「お母さんが、金銭的に苦しんでいたって、
本当に気付かなかったの?本当に、何も不満も抱いていなかったと思う?
新聞配達やってその後〇〇(店の名前)で働いて、
帰ってきて眠くてうつらうつらしていたらあんたに不愉快そうな顔で睨まれて、
寝てるヒマあるなら掃除しろって言われたって、
いつも疲れた顔で言ってた。
一日中家にいるなら(俺は自宅で仕事している)、
あんたがやればいいじゃない。何でやらなかったの?
居間で早く寝れば寝たで無言の圧力が怖くて
しっかり眠れなかったって言ってた。お母さんが何で
居間で眠るようになったか知ってる?配達の仕事のせいもあったけど、
あんたと一緒に寝るのが嫌だって言ってたんだよ。先に寝るのが怖いって。
今月はこれだけしか貰えなかったって、いつも愚痴るように言われて、
その金額じゃ確かに生活回らないなって、私にも分かってた。
だから、私が渡した分も自分の収入も全然自分のために
使わないで家の為に使っていたんじゃない。それすら知らなかったの?!」

知らなかった、なんて言えなかった。知っていたけど、
そこまで苦しいとは思ってなかった。
そう言ったら、娘に泣きながら鼻で笑われた。

「家庭省みない人の常套句だよね、それ。馬鹿みたい。
私、今月一杯で家出るから。正社員の職もまた決まったし。
…お母さんいなくなってから(娘は絶対にタヒんだって言わない)
あんたと暮らしてきてひと月くらいだけど、お母さんの苦労がよく分かった。
私には、あんたの奴隷になることも召使になることも無理。
お母さんが体調崩して、お金なくて病院行きたくても行けなくて、
私がやきもきしていたときにあんたは完全に無視していた。
なのに、入院したら良い旦那を装っていたあんたを許せない。
父親なんて呼びたくない」

立ちあがった娘に、俺、何も言えなかった。
呆然としていたら、娘の捨て台詞が聞こえた。

「私は一生結婚なんてしない。お母さんみたく
旦那の云う事を聞かされて、苦労だけして楽しいことなんて
何もない生活なんて、送りたくない」

もう、何も言えなかった。

娘、20歳代、俺、妻、40歳代。
この騒ぎからも娘は普通に接してくれているが、
やはり一抹の冷たさも感じる。
来月からの独り暮らしが正直怖いとか思っているが、本当に、もう何も言えない。
娘によって、いかに馬鹿親・配偶者だったか思い知らされた
馬鹿な男の末路と懺悔だと思ってくれ…。

あの後、娘に書き込み見られて呆れられた
共用のPCから書き込んで履歴消すの忘れた自分マヌケ
懺悔じゃなくて自己陶酔、俺こんなに
頑張ってるだろって言ってるだけだとも。
「やっぱり本人は自分が今までしてきたことを
正当化するだけで、理解していないんだね。
ルールみたいだから書かないけど、あんたのこれまでのことをぶちまけてやりたい」
とも言われた…。
俺、妻や娘の目にどんな風に映っていたんだろ。今更ながら怖くなった。

さすがに千円ポッキリってことはなかった。
万単位ではちゃんと渡していた。
ただ、それを超える支払いがあって、
その超えた分を妻の収入でちゃんと賄えてると思っていたんだ。

娘、この書き込みも見てたようで、
コピペできる文章書こうかと言われた…。
自分がどんなだったか、分かってないでしょ?と。
どんなの書かれるか怖くて、まだ書いてとは言ってない。
需要有れば書いてもらう

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俺の実家は車で高速10時間の距離。電車の直通もない。
父は既に他界している。
正直、父との仲は最悪だった。
結構前に電話で大喧嘩してから全然関わりなくなっていた。
田舎の親戚には親を置いて遠くに行った
子供達ってことであまりよく見られず、
駆け付けた時には荼毘に付されててタヒに目にも会えなかった。
妻が言うには、俺と父は似た者同士だったらしい。
俺に自覚なかったが。

自営だが、だいたい手取りは30万くらいで、10万は住宅ローン。
妻には7〜8万。
その中から、電気、ガス、水道、携帯、家電、税金、
俺が事業の為に借り入れた分の返済(6桁額)、他借入を払って貰っていた。
妻の収入はふたつ合わせて10万くらだったと思った。
とりあえず支払関係は妻に一任していて、
払っていなくていきなり水とか止められて妻を怒ったこともあったな…

手取りから妻に渡した後の残額は俺の小遣いと貯金に回していた。
恥ずかしながら、年金は夫婦とも払って
いなかった(妻は正社員で昔働いて時期に一時期払っていた)ので、
老後のためにと貯金していた。
と言っても、色々あったり妻の治療費で使い果たしたが…。
携帯代は娘は自分で払っている。
俺と妻のはふたりで六千くらいだったと思う。

大まかな金額だと、12〜15万。
だいたいが12万代だったかな。
他借入は、全部で返済が4〜5万だった。

渡した金額に食費も含んでいた。つもりだった。
足りなければ、妻や娘の収入から出ると思っていたから。
保険…生命保険とかだろうか?俺が嫌いだから、
保険類には一切入れていない。
健康保険は払っている。

既婚男子板の「スレッド立てる程でもない
質問・愚痴・雑談など」より誘導されました。
あちらで袋叩きにあっている男の娘です。
あまりにも自己正当化している父に腹が立ったり
呆れたりなので、少し話させてください。

向こうの馬鹿な書き込みからはあまりイメージされないかもしれませんが、
父は外面だけは激しく良く、家庭内では無愛想、横暴な人です。
自分のしていることが間違っているとは露ほどにも考えない。
自己正当化するのが上手いのだと思います。
口だけは達者な人なので、母も私も何か言おうものならば
言葉によって圧せられ時には叩かれることもありました。
おかげで、母は本当に亡くなるまで父に逆らうことはなく、
私も今回爆発するまではある意味では従順でした。
逆らうと何をされるか分からなかったので…。
ちなみに、父の書き方が悪いので娘は私ひとりと見えますが、
下に妹がふたりいます。ひとりは既婚、あとひとりも家を出ておりますが。
下記は既婚男子板で父が書かない、父がしてきたことの一部です。

私が幼い頃、母は私を連れて一度実家に帰ったことがあります。
当時も今と収入・出費は変わらない暮らしをしていた
らしい(住まいだけは賃貸でした)のですが、「具のない味噌汁」を
作る惨めさに我慢が出来なかったのだそうです。後に母に聞きました。
母の実家は電車で3時間、車で2時間程の場所なので、
その日の内に迎えに来られて家に戻ったそうですが、
実家では頭を下げたりと愛想よくしていた父は、
車の中では「恥かかせるな」の言葉以外無言だったそうです。

更に、この人は小心者の癖にプライドだけはやたらと高く、
恥をかくことが許せない→恥をかいたのは家族のせいだ、
と変換する節があります。
外で呑んできて、何を吹き込まれたのか、帰ってきていきなり
家の中を滅茶苦茶にしたことがありました。
キッチンのコップなどをシンクに叩きつけて割り、
襖を蹴倒し、何故か2階の部屋から布団を放り投げ…。
酔っぱらいの話を聞いてみれば、ただの冗談で言われたことであろうものを
真に受けて(いわゆる風の噂的なもの)、そんなことを外で
言いふらしているのは誰だ、と血走った目で怒鳴ってました。

その後は俺は正しいと言わんばかりの
堂々巡りな主張を延々4、5時間…ということも。
その高いプライドが邪魔して、住宅ローンの遅れを
家族に相談することも出来ず、数か月溜めた上で
話し合いが決裂したのでしょう、
いきなり「家を売るから」と言い出したこともありました。

聞けば、翌日までに金額を用意しなければ家を売ることになる、と。
相談できなかった→家族が気に掛けないで聞いてこないのが
悪い、に父の中では変換されていたようで、
売ると口では言っても、
金策させることを目的としているのがありありと分かり、
当時二十歳になったばかりだった末の妹と、
正社員で働いていた私が金策に走り回ることになりました。
銀行のカードローンや消費者金融で希望額を融資してくれるところを
探し回り、何とか額を用意して帰れば、礼を言うでもなく。
報告は、「大丈夫だったから」の一言だけでした。

こんなことを4、5回繰り返し、その度に何とかしようと
工面してきた私も馬鹿だったのですが、結果的に私は自己破産に追い込まれました。
自分で所持していたカードだけならば全く問題なかったのですが、
上記の騒ぎで抱えた負担は7桁あり、正社員ながら薄給の身では、
とてもではありませんが背負い続けるのは無理でした。

ちなみにその時も父は暴言的に
「借り入れて貰った額よりも、お前が使った額の方が大きいだろ」
と言い、毎月お前に返すからそれで返済しろ、
と言っていたのを盛大に反故にしてくれました。
末の妹は、このあたりで父が嫌だと(建前上は職場が遠いからと)家を出ました。

父は俺様クレーマーな馬鹿なので、ベッドにほぼ寝たきりで動けない母を
看護・介護してくださった看護師さんにやたらとクレーム(ただの言いがかりに近かった)をつけ、
亡くなる1ヵ月前に、母は徒歩5分程の距離の総合病院から車で
20分程の距離の病院に転院させられるという迷惑も
被りました(間違いなく、クレームが転院の一因でした)。
それすらも自分が悪いとは思っておらず、ひとり勝手に(病院に対して)怒っていました。
ひとりで寂しいと訴えていた妻に対して、病院に泊まりに行くとかの
配慮を全くすることなく、看護師にクレームをつけ、
それなのに自分は良い旦那アピール。
本物の馬鹿だと思います。

まだ書きたいことは山とあるのですが、最後にひとつだけ。
母はずっと、この人と離婚したがっていました。
私もずっと離婚を勧めていました。
有りがちですが、経済的な方が心配だと離婚に踏み切れずにいたら、
病発覚で離婚どころではなくなってしまったという…。
何故もっと早く離婚させてなかったのか、
もっと早く病院に行かせなかったのか。
悔やむのは、そこばかりです。

お読みいただき、ありがとうございました。

あと半月ほどありますが、来月からは独り暮らしになります。
ようやく父から自由になれそうです。
母との思い出はしっかりと携えたまま、頑張っていこうと思います。
アドバイスの通り、こちらと元スレのほうは保存させていただきます。

ありがとうございました。
皆さまの健康を祈らせていただきます。

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