母親が生活費足りないってんで毎月1万下さいと父にお願いに行った。父親「年齢偽って夜の店で働かせたらどうだ」

ふと父の事を思い出したので
まだ20年も生きていない餓鬼だけど、
幼いながら感じた修羅場を投下。

父はキレると話もまともにせず
無視を決め込み、物に当たるような人だった。
だけどやっぱり子供には優しい父親で、
私と弟にはよくしてくれた。それは感謝してる。

ある時理由は忘れたんだけど、
小6の時に父親と母親が喧嘩した。
家庭内別居になってたけど、
そんな中でも私と弟にはやっぱり優しかったし面白い父親だった。

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両親が喧嘩をし、ろくに話もせずに
1年くらい経った時に私がちょっとした事で怒らせてしまった。
暇で確か父親にちょっかいを出したんだったと思うけど。
それで子供とも話さない関係に。
事ある毎に母親と口論し、
弟は父親がリビングに来ると
タヒ角になるところに身をひそめる位怯えていた。
私は堂々と寝っ転がって無視決め込んでゲームしてたけど。

私が高1の時に母親が
生活費足りないってんで毎月1万下さいとお願いに行った。
私は地元から少し離れた高校に通ってて
交通費も普通より高かったし、
部活も結構盛んな所でお金がかかった。
母親は休み無しで働いてて、
睡眠時間は1日2時間程度でやつれてた。
でも私がバイトをせずに
部活に打ち込めるようにとすごく配慮してくれてた。
それを知ってか知らずか、
お金を要求された父親の怒りの矛先は私に向いてた。

そんな遠い高校に行かせるからだ。
金のかかる部活に入らせるからだ。
バイトをさせろ。
年齢偽って夜の店で働かせたらどうだ、って言った。
ショックだったからそれはよく覚えてる。
今まで両親の口論には一切口挟まなかったけど、
さすがにこの時は口挟んだ。
部活が全国レベルで、
それがやりたいから中学時代は円形脱毛症になった位勉強した。
見事合格して帰ってくるのが遅くなりながら、
軽く欝になりながらも精一杯やってた。
それを母親はすごく応援してくれてた。
だけどその結果母親を苦しめてたんだって思ったら
すごく情けなかったから。

「じゃあ私が学校辞めればいいんでしょ?
近くの高校に転校すればいいんでしょ?
悪いのは全部私だから。だからママを責めないで!ごめんなさい!
ごめんなさい!」

ってひたすら泣き叫んでた。
お母さんに謝られながら
抱き締められた時も狂ったように泣き叫んでた。

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それがきっかけで、片親だとさすがに…と思ってた母親も
周りの友達に背中を押してもらって離婚を決意した。
「傷付けちゃってごめんね、ママが悪かったね。ごめんね」
って謝られた時また泣いた。

決してボウリョクはしなかったけど、
扉を大きな音を立てて閉めたり、ただ怒鳴ったり、
他にも弟を脅したり等ロクでもない父親だった。

それからはトラウマで男の人=父親っていうイメージが
自分の中にあるらしくて男性恐怖症になってる。
上の事件(?)の後は対人恐怖症になったりして
たいへんだったけど、今は男性不信で何とか過ごせてます。
ちなみに弟とは訳あって絶縁中。
同じ家に住んでるけど。
弟を見る度に血は争えないなと思うけど、
それと同時にあの人の血が流れてるんだと思ってしまい
嫌悪感が半端ないです。

この後の修羅場といえば、
役所の人に生活保護の話をした時に
勘弁してくれと言われた事。

「こっちだって金ないの、カツカツなの、勘弁してよ。
高校生の娘さん部活なんてやってないで働けば?」

だって。
言い方違うかもしれないけど本当にこんな事を言われた。
その後母親は本当に良い人と再婚したんで、
今は救われてる。
中学の3年間と高校1年の時は家=帰りたくない場所
だったから幸せです。
部活の方も全国に何回か行く事が出来て
母親には感謝してもしきれない。
これで終わりです。

文がはちゃめちゃでごめんなさい。
きっともっと酷い環境にある人はたくさんいるのは
分かってますが、私にとってはこれ以上の修羅場はないです。

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