「おとーちゃんを選んでくれて嬉しかった」

私の父は無口で仕事人間だった。
建設会社に勤めてたんだけど、
休みの日でも出勤することも多かったし
出張も多くて時には10日以上も
帰ってこないこともあった。

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だからって冷たい人ではなく、
私が何か話かけると新聞読んでても
こっち向いて聞いてくれるし

おねだりとかすると
「算数で90点以上取ったら」とか
「お風呂の掃除を30回したら」とか
私には少々厳しい条件を付けてくるけど、
約束はちゃんと守ってくれた。

だけど母は父のそういう堅物的なところが
どうも嫌いだったらしくて、
父の悪口をよく聞かされた。

夫としては面白くない人、つまんない人、
お母さんが好きな人は
ああいうタイプじゃなかった、

そんなことを娘である私に時々愚痴ってたし、
母が電話で友達と話してるのが聞こえてくると
父の悪口のオンパレードだったから、
子供だった私は父って男性としては
魅力のない人なのかなと思ってた。

父を嫌いだったわけじゃないけど、
友達に自慢できるような父ではない
と漠然と思ってた。
恥ずかしいぐらい何も知らなかった。

ある時、学校で昼休みの時間に
教室のテレビを見ていたら
そこに父が映ってたんだ。

どういう番組だったか詳しくは覚えていないが、
瀬戸大橋の建設現場の映像で
現場の作業服にヘルメットをかぶって
作業員に指示を出してる姿、
大きなケーブルについての説明をしている姿、

そんな父の姿が真っ青な空と
大きな工事中の吊り橋とを背後に、
ものすごくカッコよく見えた。

その日、父が帰ってくるのが楽しみで楽しみで、
母からもう寝ろって言われても頑張って起きてた。

そして父が帰ってくると
昼間に見た番組の話をして、
お父ちゃん凄い!あんな大きな橋作ってるの凄い!
カッコよかった!ってものすごく
興奮して話したのを覚えてる。

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父は照れ臭そうに
「そうか、見られたちゃったのか」
って言っただけ。

それからは父との会話がすごく増えて、
橋の事とか、工事の事とかを聞くと
噛み砕いて分かりやすく教えてくれるのが
楽しくて面白くて、父は確実に
私の尊敬する人になっていた
それが母にとって面白くなかったらしい。

ずいぶん後になって知ったが、
この頃にはすでに母には別に男の人がいて、
父はその存在に気が付いていたらしい。

中学に入ってすぐに両親は離婚。
私はどちらについていくかと聞かれて
迷わず父と答えた。

そして父の実家で
祖父母と共に暮らすようになった。

母とはその後一度も会ってない。
結婚するときに一度だけ母方の
祖母経由で連絡を取ろうとしたが
既に再婚しているので関係ないと言う返答が
祖母経由で返ってきて、本当に一度も。

離婚の時の子供の親権問題はよく話題になるけど、
私の場合は親からどちらについていくか聞いてくれて
結果私の思う方に行かせて貰えたのは幸せだったのかも。

私の場合、あそこで
私の人生の大方が決まっていたと思う。

一昨年父が亡くなったが、
最後の2年間は悔いのないよう
しっかり介護できた。

痴呆が出る前に
「おとーちゃんを選んでくれて嬉しかった」
って言って貰ったし。

母は母でその何年か前に病シしてて、
叔母から連絡があったけど
お葬式にも行かなかった。

たぶん母も来てほしくなかったと思うし。

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