私が愛する人が、 愛している人なんだから当然でしょう

自分語りごめん。
今、余命僅かな父がいる。

父と母は離別していて父は再婚、
私は母に育てられ、父の悪いところばかり
言われてきたから父の事をとても憎んでいた。

でも会いたいと哀願されて、
最後だからと会いに行った。

病魔に侵され骨と皮だけの姿の父を見、
頑なだった憎悪が嘘のようになくなった。

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父や父の再婚相手と話していくうちに、
私が母から聞かされていた父と、
等身大の父では大分印象が違うことに気づいた。

大人になってか気づいたことなんだけど、
母はかなりの直情型で酷いヒステリー持ち。
父はそれに振り回されていた。

母は父が他の女と交際して出て行ったと言うけれど、
そもそも母が父と会わせないように
私を連れて家出し、若い男と3人で住んでいた。

(詳しくは言えないけど、
当時は父と母はとても裕福だった)

幼かった私は、
「悪いお父さんよりは優しくて
若い新しいお父さんの方がいいや」と思って、
若い男を父と慕っていたけど、
そのうち母はその若い男と別れ、
新しい男を作っては別れを繰り返した。

そして私は、
母が再婚するたびに苗字が変わった。

年齢を重ねるうちに、
自分の母がおかしいことに気づいた。

父も問題が無かった訳ではないけど、
母から聞かされている印象とは大分違ったし、
とても私を好いていてくれた。

残された時間、大切にしようと思う。

先日、父を看取り、葬儀も終わりました。
実際、父は決して問題がなかった訳じゃない。

私の過ちは、大人になった時に
母の一方的な主張をそのまま鵜呑みにするのではなくて、
父の意見も元気なうちにもっと聞いて、
たくさん話しておけばよかったな
と今になっては思う。

端的に言えば、父はとある活動団体に
所属していて印象が非常に悪く、
母はだらしなかった。

当時、バブルの波に乗り自営業で成功していたし、
とてつもない財を築いていたから、
2人とも何でもできると思っていたんだと思う。

ただ、母は印象操作もうまかったから、
結果的に父を悪者と認識してしまった。
母が他の男性といるのは父親のせいだと。

母が言った父の悪口で、
一番古い記憶は当時4歳か5歳。

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8歳の頃2人は離婚し、母に引き取られ、
父に会うことも無くなった。

だが、中学生の頃から段々と
母に対して違和感を感じるようになってきた。

母の彼氏は年単位で変わる。
何度も家出を考えたけれど、
家出したところで頼れる大人は居なかったし、
末路がどうなるかも薄々知っていた。

高校卒業まで我慢し、
卒業と同時に寮付きの会社に就職して
母から離れた。

紆余曲折あったが、全ての事情を知り、
受け入れてくれた今の主人に出会い、
子供も生まれ、私もすっかりオバちゃんに。

父の余命僅かという連絡を貰った時
本当は行く気は無かったけれど、
「今行かないと後悔するかもしれないよ?」
と進めてくれたのは主人なんだ。

色々父サイドの話を聞くと、
色々な場面で私(と母)が困らないように、
色々助けてくれていたのは父だった。

たくさん(思い当たる節は)あるけれど、
長くなるから一つだけあげると…

母が、当時付き合って結婚した男性に
騙されて借金を背負わされた時、
母から助けを求められた父が、
代わりにお金を支払った事。

借金ができたと嘆いていた母が、
ある日突然ケロッと元気になったことがあった。

私はてっきり、どっかからお金を
工面したとは思ったが、
まさか父からだとは思わなかったし、
聞けばヒステリックになるから、
お金の出所は聞けなかった。

母の自業自得だとは父も思っていたらしいが、
何も知らない当時高校生の私の身を案じて、
色々工面して支払ったらしい。

そんなのがたくさんあったのに、
父は最後まで言わなかった。

父の再婚相手(キリスト教の外国人)は
とてもいい人で、今はほとんどお金がない父の事を、
最後まで介護し、看病した。

2人の間に子供はいないが、
私も、私の主人や子供もとても歓迎してくれた。

なんでそんなことするんだ。
嫉妬心はないのか?と黒い自分が理由を聞くと、
「私が愛する人が、
愛している人なんだから当然でしょう」
と言われ、それでまた泣いた。

まだ意識がしっかりしていて話せるうちに、
子供(孫)を合わすこともできたし、
主人を紹介することもできた。

最期を、父の再婚相手と一緒に看取ることができた。
母に対しては特になんとも思っていない。

色々あったけど、育てて貰った恩は感じるし、
ここには書ききれない、
母は母なりの苦労もあったと思う。

干渉されないよい距離で、
付き合っていこうと思う。

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