私は家族の中で1人母の旧姓を名乗ってるんだけど、
○照 幸、って名前
合わせて読むと「ショウコウ」になる
地下鉄サリン事件を起こしたあの人と同じ読み方
小1と2のときに凄くニュースになってたせいで、
「サツジン犯と同じ名前だ」と言われて上級生にまでイジメられた
金属バットでランドセルの上からなぐられたり、
ジャングルジムの一番上から落とされたり
先生と相談して対応してもらうと言った矢先、
サツジン犯だから罪を償うためだと言われて、
ある日五年生から指一本ペンチで挟まれて、
右手の人差し指を失ったんだ
自分でもペンチに潰されてぐちゃぐちゃになった指が気持ち悪くて
自分の右手がいまも気持ち悪い
んでその事があったとき、私は母親に当たり散らしたんだよ
「こんな名前をつけやがって、タヒぬまで恨んでやる、
苗字も絶対に継ぐもんか」
って
後から知った話、私の下の名前は女イラネと言い切った
親父が母の反対を振り切って男の読み方をつけた
漢字も本来は高になるはずだったのを、
母が決タヒの覚悟で幸にしたくれた
母を恨んだのは私の見当違いだったのよ
んで来年辺り結婚する予定なんだけど、
私が指失って当たり散らした罪悪感から、
母が名前は捨てていいよという
私がもう恨んでないし、名前を継ぐと言っても、
母を気遣って継ぐと言ってるだけだと思い込まれてる
私は母に当たりちらした罪悪感もあって
名前を継ぎたいと思ったが、それって名前を継ぐと同時に
母が私への罪悪感をいだき続けることになるのか?と悩んでる
母親の立場からみてどうなんだろ
自分を責め続けることになるなら
母の旧姓はつがないでおこうと思うんだけど
父方の名前は元々父親の兄が継いでます
子供に母の旧姓を継がせることが結婚条件だと聞きました
母の苗字を継ぐことは母方のお墓と仏壇を継ぐことになるので、
簡単に「この苗字やーめた」は出来ないのです
本来母の兄が継ぐ予定でしたが、
母の結婚が決まる少し前に末期がんで亡くなってしまったそうです
まだ婿入りが珍しかった頃のことなので、
婿入り=周りの批判が強い、とのことで私が母の苗字を継ぎました
私がどう思っているか
昔から先祖代々のお墓をお世話してきたので、
その墓に入るものだと信じて疑わず、
またその墓が無縁仏になるのもイメージできません
ですが母はこの気持ちを義務感だと思っている節もあります
上手く言えませんが、私の価値観も母の考えも
凝り固まりすぎているのかもしれません
最近また地下鉄サリン事件やオウムの話をニュースで見るようになり、
その度母が気にするので、すぐに価値観を変えるのは難しそうです
私の指をペンチで挟んだ5年生からは
「オウム真理教なら修行しろ」と言われ、
最初は爪にホッチキスを刺そうとされましたが、
暴れてうまくいきませんでした
近くには工事現場があり、5年生がそこにあったペンチを見て
「爪を剥がそう」と言いました
暴れる私を押さえつけて力任せにペンチを握ったので、
私の第一関節の骨が粉々に砕けました
私の指先は軟体動物のようになりました
6年生の子たちはその指を見て逃げ帰り、
低学年の子は泣き始め、5年生は「お前が悪い」と
私に責任転嫁して逃げました
自分の一部が腐りゆく体験をしたことがありますか?
指先が黒色になり燃えるように熱いと思えば
無数の針に刺されたようなしびれる痛み、
常に叩き潰された感覚と痛みが残り、
治らないという絶望と向き合わねばならない心境
私はオウム真理教なんて無ければよかった、
なんて思った事は一度もありません
私はオウム真理教や麻原彰晃に苦しめられたのではありません
私を苦しめたのは、私の目の前にいた子どもたちです
私をイジメた奴らが全員両手足の指を一本ずつ潰されながら
腐りゆく絶望と共にタヒんでいけばいいのに
今でもそう思います
年齢や背景は関係ありません
やったことは本人にかえる
それだけの事です、情状酌量の余地などありません
もし情状酌量の余地があるとするのなら、
彼らは皆私以下の下等生物であり、酌量してやらなければ
対等にもなれない人権のない生物ということです
指を潰されてから直ぐに引っ越したので、
具体的に他の子達がどうなったのか解りません
引越前、クラスメイト全員からの
お別れの手紙を家に来た担任に渡されました
私にも皆に手紙を書いてと言われたので、
私をいじめた奴らはどんな手段を使っても
復讐に行く的なことを書いて渡しました
話が前後しますが、そもそも私、兄弟が同じ小学校にいました
なのに私と苗字が違う上、家族の中で私1人だけ苗字が違うので、
兄弟と同じ学年の人からも捨て子だなんだと言われ、
入学時点でいじめられっ子決定でした
おそらく、小学校入学前の三ヶ月間に母が過労で倒れて
親戚の家に私だけが預けられ、
1人入学が遅れたのも大きな要因でしょう
そこから「ハンザイ者だから捨てられたんだ」
「ハンザイ者が○○の兄弟になって学校に潜り込んでる」
「○○が可哀想だからコロさないと」
と言われるようになりました
まぁそんな生活でしたので、指を潰した5年生だけでなく、
当時の私は学校中の生徒にサツ意を覚えていたので、
指を潰されてからは容赦はしませんでした
法的なドロドロは大人の事情で私は知らされませんでしたが
ただ2年間担任だった先生は消えましたし、
5年生の担任も休職したとは聞きました
保護者からお見舞いという名の
やり過ぎを諌める訪問をテレビを見ながら聞いてましたので
多分これは確実です
あと引っ越しの日の早朝に朝一で教室に入り込んで、
クラスメイトからの謝罪文混じりの手紙を返却しました
これでみんなもりっぱなハンザイ者だね!
と大きく黒板に書いておきました
引越し先ですが、親が一千万以上するマンションの一室を
現金払いして2人で越しました
家具も家電も全部新品でした
車も500万くらいのものを現金払いで買いました
ランドセルその他色々ピッカピカになりました
大学を出て車の免許採るまで謎のお金で生活していました
5年生からは一度手紙が送られてきましたが、
受取拒否して開封せずにポストに入れました
その後保護者と一緒にマンションに来ましたが、
煩かったので誰かが通報して連れて行かれました
小学校の卒業式に合わせて
元クラスメイトから手紙が届きましたが
個人情報を勝手に不特定多数にバラされたと警察に行きました
高校の頃にハガキで同窓会のお知らせと同時に
謝りたいから来て的なメッセージが来ましたが、
封筒に赤字で送り先を書いてそのまま返しました
成人してから謝りたいと尋ねてきた人もいましたが、
義指をしてたせいか私とは気づきませんでした
そうか、顔すら覚えてないくらいの気持ちしか無いのか、
とも思いましたが
「謝りたいから探している」と言っていたのに
一生見つからないんだなと思うと哀れに思います