小6のときの担任の話。
私の心が修羅場だったのと母と担任が修羅場だった。
小6の頃の担任、常に化粧もバッチリで
髪も染めてて、いかにもギャルやってました感が満載。
生徒の社交性を重んじるって言ったら聞こえはいいけど、
要はクラスの中心にいる運動の得意な活発な子を完全に贔屓してた。
私は端っこで金魚の世話したり絵を描いたりしていて、
外遊びもリーダーシップをとるのも苦手だったから、
当時もその先生から嫌われているのは自覚していた。
言葉や対応が明らかに冷たかったからね。
まあいくら嫌いでもこれはないだろって感じだったの
が一学期の成績事件。
成果のわりにやたら低い評価をつけられたので
母が直談判に行った。
この件は私が完全に忘れてたので母から聞いた。
たぶん衝撃的すぎて封印してたんだと思う。
授業は静かに受けテストはほぼ100点、
宿題も欠かさず出していた私の成績がオール3(五段階評価)でつけられてた。
5年生のとき(体育4、それ以外オール5だった)と
全く同じ態度で授業を受けていた私は混乱して、
夏休み早々帰宅するなり通知票抱えて玄関で泣き崩れたらしい。
私が泣きながら言ったことを要約すると、
「『もっと頑張りましょう』って何を頑張ったらいいの、宿題も全部出したのに」
「テストも全部お母さんに見せたよ、全部いい点だったでしょ」
とかいう頑張ったから怒らないでアピール。
小学校の頃は勉強も好きで、それなりのプライドもあったから
ショックだったんだと思う。
今では単位があっただけで喜ぶ私が贅沢を
言っていたときもあったんだ(遠い目)
私を慰めた後、それなりに腹を立てた母が、ママ友に
「今年の先生、成績つけるの厳しいね。
うちの娘なんて4と5がとれてた教科が全部3にされちゃって」
と話したところ、
「うちの子は去年と変わらなかったよ」
「うちの子に話したら『○○ちゃん(私)が3なんて…』ってびっくりしてたよ、どうしたの?」
「それ、先生が点数の計算間違えてるんじゃない?」
と返されブチ切れる。
母、学校に連絡を取って乗り込み、担任と直談判。
5年生までの通知票(体育以外はほぼ最高評価)やテストを並べ、
「今までと同じ出来でこの評価はおかしい」と抗議したらしい。
担任の言い分は
「各項目の評価で総合して五段階評価を出していて、
その項目が全部少しずつ最高評価に足りないんです、だから3をつけるしかなくて」
「本当に、本当にもう少しで、惜しいんですけど…」
というもの。
(これ聞いたときはさすがに鼻で笑ってしまった。)
「では、娘の改善点を教えていただけますか?
娘に『もう少し頑張りましょう』と仰ったそうですね。
私の見る限り娘の学習態度に問題があるとは思えません。
親としてこれ以上何を努力させたらよいのかわかりませんので。」
と母が言うと、担任、さすがに口ごもったらしい。
母は担任が理不尽な理由で成績を下げたと判断。
ここで明確な理由が言えないのはおかしいと判断したらしい。
通知票を突き返して帰ってきた。
私は母が学校に行ったことも抗議したことも覚えてないし、
多分そもそも知らなかった。
冬にまた貰う頃には、「今回も頑張った!」と
実感できる評価で戻ってきたので、
私はそれをドヤ顔で母に見せていたらしい。
一学期の成績も体育以外は5になってた。
母がその年PTAをやっていて校長とも親しかったこともあって、
角は立てられなかったんだろうなぁとゲスってみる。
私としてはとりあえず頑張ったことを
正当に評価してもらえなかったのが悔しかった(はず)。
話聞いたときは「あの先生マジで私のこと嫌いだったのか…」
と再び落ち込んだ記憶。成績下げた理由は未だにわからないんだけど、
たぶん私のことを嫌ってたからだと思う。
もしそうだとしてもそれでも公私混同はしちゃいかんよなぁと。