ひどいいじめにあっていたが担任は「いじめなどない」。小学校の同級生が担任に殴りかかって

当時中学三年生だった私は
高校受験のストレスから拒食症になり
見た目は骸骨かと自分でも突っ込んでしまうくらい
痩せてしまいました。

志望校の高校にはなんとか合格したのですが、
病気が原因で前期はほとんど高校に行けないほど
弱っていました

たまに学校に行ってもほとんど保健室にいたり
午前中だけで下校してしまいまた、
高校が進学校だったので授業にまともに
出れなかった私は一年留年してしまいました。

高校1年生の時の同級生は
たまに私が学校に来るとみなとても喜んでくれ、
毎回お祭りのように騒ぎ先生も注意は愚か生徒と一緒に
私を歓迎してくれていました。
私はそんなクラスメート達は先生が大好きだったので
是が非でも一緒に卒業したいと思っていたのですが
残念ながら出席日数が足らず先述通り留年してしまいました。

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高校2年目になり私の体調もだんだんと
回復していきなんとか学校に通えるようになりました。
私は1年目には学校行事には
一つも参加できなかったので今年こそは!
と意気込んでいました。
新学期が始まり私が留年したことは始業式の日に
担任から説明がありクラスメート達は全員しっていました。
クラスメート達は高校一年目で、
まだ友人関係が0の状態で新学期早々はみなギクシャクしていました。
私は元々自分から他社に関わりに行く
タイプではなく中々友達が作れずにいました。
1ヶ月もすればクラスにはいろんなグループが出来上がり
私はどのグループにも入れずぼっち街道まっしぐらでした。
そして私はクラスメートからいじめられるようになりました。
私は病気が少しづつ回復してきたとはいえまだ体型は骸骨のようで、
走ることすら危うい状態でした。
クラスメート達は私のことを骸骨などと言うようになりました。
私は言われ始めた初期は全てスルーしていたのですが、
たまにクラスメートに声をかけられたと思ったら
名前で呼ばれず骸骨と呼ばれだし次第にエスカレートしていきました。
このことで良くなっていた病気が次第に悪くなり始めました。

また少しずつ学校に行けない日が増えていきました。
私はもう留年はしたくないと思っていたのでずっと我慢していたクラスメート達
によるいじめを担任に打ち明けました。
これで改善されるとその時は思っていました。
しかし、担任は「それはあなたの体調管理ができていない
ことが原因でしょう。自分の体調すら管理できない人間がいじめられるのは当然。」
と言われ絶望しました。
その日体調を理由に早退しすぐに家に帰り、
その日は泣きじゃくりました。そんな私を心配した母に
その日の出来事を打ち明けると母は激怒し
翌日私と一緒に学校に行き、
学年主任に昨日のことを話しました。
私は学校についてからは保健室で待っていたのですが、学年主任の先生と
母が保健室にやってきて、
担任と私たち3人で4人で話し合おうということになりました。
そして応接室で4人が集まり、
昨日のことを話すようにと母に促され一通りいじめのことや担任の発言を話しました。
話し終えると学年主任は激怒し、担任に本当かと問いただしました。
しかし担任は「うちのクラスにはいじめなどない。よって○○(私の名前)
の発言は嘘である。」としらばっくれました。私は驚きを隠せませんでした。
自分がまるでドラマの中にいるかのように思えました。
担任の発言のすぐ後に母は激怒し「うちの娘が嘘をついているというのか!」
と今にでも掴みかかりそうな勢いで激怒しました。学年主任が
母を落ち着けてまた話し合いが始まったのですが、
担任は否認の一点張り。
困った学年主任はしばらくの間私のクラスを監視することにしました。

話し合いの翌日から私のクラスには授業がない先生が
一人ずつクラスを監視するようになりました。
監視先生方にはとても申し訳ないと思っていましたが
先生方のおかげで監視期間中は私に対するいじめが一切なくなりました。
そして1ヶ月ほどしたら学年主任から家に電話があり、「○○さんの学習環境
について異常と思われる点はなかったので監視を一旦やめることになった。
普段から先生方には私に対して気をかけるようにするのと、
またこんなことがあれば真っ先に私に相談して欲しい。」
とのことでした。 

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監視がなくなりまた私に対するいじめが始まるかと
思っていたのですが1週間ほどは何事もなく
暮らせていました。しかしまたしばらくすると
監視まえよりひどいいじめが始まりました。
以前は言葉によるいじめのみでしたが、
今度は弁当を隠されたり授業中に消しゴムを投げつけられるなどが始まりました。
私はすぐに学年主任に相談し今度は私、担任、
学年主任の3人で話し合いの場が作られました。
そしてまた私が状況説明→担任は否定→監視をつける
こんなことが最初のを含め3回もありました。
そして3回目のあとにもまだいじめがあり、
そのことでまた学年主任に相談したのですが
3回もして一度もいじめの場面が見つからなかったこと、先生方
から少しずつ不満が出始めていること、
そしてクラスメートの親達が自分達の子供達が
監視されることに対して文句を言い始めたこと。他にも色々問題が
ありしばらく学校側は動けないと伝えられました。
私はショックでその場で泣いてしまいました。
しばらくして私が泣き止むと学年主任の先生は「学校と
しては動くことができないが、私個人として○○のことを見守る」
と約束してくださいました。先生はとても忙しい方だったのですが、休み時間には私の
ところに来ては心配をしてくださったり、
相談に乗って下さいました。

先生のおかげでいじめは少しずつですが減っていくようになりました。
しかし先生が出張で数ヶ月学校にいなくなり、鬱憤が溜まっていたかのようにまた
いじめられるようになりました。先生とは携帯のアドレスを交換していたので
電話やメールで学校の状況を連絡していて、いじめについて話すと
「学校にいる信頼の厚い人に話しは通してあるのでb先生に頼れ」
と返事をもらいました。私は翌日にb先生に相談をし、
先生も協力すると約束してください
ました。しかしその先生も部活の顧問や期末テストを作成されていたので、
中々話せる時間がありませんでした。
私に対するいじめも普段とあまり変わり
なく行われていました。

そしてb先生と話した数日後に私のクラスで暴力事件が起こりました。
事件を起こしたのは私の小学校からの付き合いの長い男友達のA君でした。
付き合いの長いと言っても、小学校のときはずっとクラスメートでしたが、
中学ではクラスはずっと離れてしまい同じ高校に進学したことすら私は知らな
かったくらいの付き合いでした。そんな彼がなぜそんなことをとその時私は困惑しました。
彼は私の担任がクラスで授業中にいきなり、一学年違うのに現れて
「○○(私の名前)をいじめてんのはてめぇらかぁ!!」といきなり怒鳴ったかと思う
と、近くにいた担任につめより「いじめがあるのになんで無視するねん なぁ!」
と担任に掴みかかりました。クラスメート達は私含めぽかーんとして
全く動けませんでした。そして担任は
「無視するもなにもこのクラスにはいじめはない!」
言い返しました。そしたらA君は担任をぶん殴りました。
担任は全く反応できず吹っ飛ばされました。
A君は担任に馬乗りになり何度も担任を殴りました。
担任をずっと殴っている思っていたら立ち上がり、近く
にいたクラスメートを次々に殴り始めました。
その時殴られていたのはここ数日私に対しいじめをしていた生徒でした。
男女関係なく殴り続け、隣のクラス
から先生や男子生徒複数に押さえ込まれてやっとA君はとまりました。
そしてA君は職員室に連れて行かれ怪我をした生徒は保健室に連れて行かれました。

後日先生に聞いた話ですが、職員室に連れて行かれたA君に暴れた理由を聞くと
「○○(私の名前)がいじめられていると聞いていてもたってもいられなか
った。」と先生方に話したそうです。A君は処分が決まるまで自宅謹慎が言い渡され、
しばらくの間学校に来なかったため私はなぜ彼が私のために暴れたの
かを聞けませんでした。
彼が暴れた日からしばらくは学校中が彼の話題でもちきりでした。
そして彼が暴れたことにより私に対するいじめが発覚し、
大きな問題として取り上げられ
連日私やいじめていた生徒、担任に対して事情聴取が連日あり、
流石に担任は隠しきれずいじめを認めました。
A君の処分は最初退学予定だったのですが生徒達の親から
「自分たちの子供のせいで起こったことだから
自業自得。A君の処分を軽くして欲しい」との声が集
められてA君は2週間の停学で処分が決定されました。
謹慎明けの放課後 私はA君のところへ行き暴れた理由を聞きました。

A君は最初はぐらかしていたのですが、
私が問い詰めるとA君は「○○ 俺が小学校のときに言ったこと覚えてる?」
と少し恥ずかしそうに話だしました。
A君は私達が小学校低学年の時に私に告白したことがありました。
私はOKをだしました。私が返事をすると彼はとても嬉しそうにはしゃいでいました。
そして少ししてA君は「○○(私の名前) 俺はずっと○○のことを守るから!」
と宣言しました。小学生なのでたぶん仮面ライダーとかの影響を受けたのかな
とその時は考えていました。小学生なので告白されてOKを出したとしても
少し仲の良い友達くらいの付き合いで、
高学年になるにつれて男女で別れて行動する
ようになり私たちの関係は自然消滅しました。
そのせいで私はA君の告白の時の事を忘れていたのですが、
A君はずっと覚えていてその通り私を守ってくれた
のです。私はその話をA君から聞き、涙を我慢できませんでした。
A君も「ずっと辛い思いさせてごめんな」と私を胸に抱き一緒に泣いてくれました。
しばらくして二人共泣き止むとA君が「○○ 小学校の時からずっと好きだった
もう一度俺と付き合ってください」とまた告白してくれました。
私もよろしくお願いします と返事をするとどこに隠れていたのか、
1年目の時の同級生達に祝福されました。泣いているところと告白を見られて二人とも顔
が真赤でしたがとても嬉しかったです。

A君のおかげで私に対するいじめは全くなくなり、
クラスメートで私をいじめていなかった生徒と次第に友達になっていきさらに、
私の病気もほとんど治り少し
ずつですが体重も増えて高校のうちに他の生徒と変わらない体型に戻りました。
胸は大きくなりませんでしたが・・・
A君は元々成績優秀だったので1年先に高校を卒業し某有名大学に行きました。
私にとって彼の大学は難しかったのですが彼が勉強を手伝ってくれたおかげでな
んとか同じ大学に行けました。
そして大学卒業後に結婚をしました。
私はとてもお世話になった学年主任の先生に憧れ、
先生になりました。
今は学年主任の先生と同じ職場で働いています。

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