一生懸命でお客さんにも人気だった知的障害者の娘を嫁がせることになった。因果応報と言うより自業自得かもしれない。

これは母の遠縁の親戚の話です…フェイクがだいぶ入ってます。
因果応報と言うより自業自得かもしれない。

母の知人の女性(Tさん)と
その娘(R子さん)の話です。

夫を亡くしたTさんは
西日本の田舎にある町で飲食店を営んでました。
Tさん、R子さんとパートの人1人でやってた飲食店は、
田舎とは言え郵便局や役場の近くでやってたこともあり
平日昼間はなかなか混雑する定食屋でした。
Tさんは苦労人で、R子さんは可愛らしい女性ではあるのですが、
いわゆる知的障害者(軽度)でした。
と言っても実際に会えばただちょっとボンヤリしてるかな?程度の
天然気味でニコニコした人なのです。

TさんはR子さんにはお金の勘定や店にだす調理はさせず、
店前の掃除や皿洗いや片付け、自宅の方の家事をさせてました。
それでもすべきことは一生懸命こなすR子は常連さんにも人気でした。
店前で掃除をしてるところですれ違えば、
笑顔で元気に挨拶してくれると近所でも評判だったと。

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高校にあたる養護学校を卒業後、
R子さんが常時店で働くようになり
しばらくたった頃、
R子さんに結婚の話がもちあがりました。
営業のサラリーマンで(以下K男)
最近このあたりが営業地区になったらしく
よく食事をTさんの店でとるうちにR子が気に入ったとのことでした。
Tさんは娘が嫁にいけるとは思ってなかったらしく驚き、
むろん障害のことも含めて話をしたそうですがK男は強く申し込んだらしく
R子さんもTさんもその熱意に押されるまま話がすすんだそうです。

最初のほうはK男のみが出てきてたので
アラは見えなかったとTさんは言います。
いざ結婚、という段階になって
K男の母が難色を示すようになってきました。
Tさんに夫がいなくて片親のR子が知的障害があることを
チクチクと言うようになり、
両家の最初の食事会以降の雰囲気はあまりよろしくない感じに。
K男父は空気で頼りになりそうもないが、それでもK男は
熱心に守るようなことを言ってたから
R子を頼みますとTさんは頭をさげたとも。

端で聞いているなら
K男母が出ばってきた段階でとりやめて破談にしとけば?ですが
TさんはR子が嫁にいけるなんてもうないかもと思って我慢していたとか。
結局K男の懇願に押し切られた形で結婚が決まり
R子はTさんの店のある町から隣県のK男家に嫁いでいきました。

結婚生活は初めのうちからK男母が
有無を言わせず同居にしていたそうです。
K男家は専業ではないが田畑をもっていて後から聞けばK男母は
草むしりだ農薬散布だ肥料やりだ他にもきつい家事やらせたり
まるで女中か奴隷のようにR子をつかっていたと。

結婚後1年ぐらいたってお腹が大きくなりはじめても
かまわず炎天下でも作業させ、
ご近所の噂になりいつしかTさんの耳にも
話が聞こえてくるようになったそうです。

K男は最初のうちはK男母をいさめたり止めていたようですが
だんだん億劫になったらしく
母親に同調するようになり重労働させても
出産がなぜかうまくいったため
これで逃げないとでも思ったのかR子を見下したり
馬鹿にするようになったそうです。

K男母は調子に乗り
とうとうR子の産んだ子など孫とは
認めないと怒鳴ったそうです。

「カ〇ワの産んだ子など〇タワに違いない!
どうせそれも知恵遅れだろ!穀潰しが」

と。R子もさすがに限界になったといいます。
知的に障害があるとは言え
馬鹿にされてるのは理解できるし
言葉の細かい意味はわからなくても
丸ごと覚えて誰かに伝えることはできたので
近所の顔見知りの家に行き電話を貸してください
この番号にかけてくださいと
頼み込んでつながったTさんに
泣きながらこの言葉を一言一句言ったそうです。

あわてて駆けつけたTさんは
赤ん坊を連れ痩せた娘を抱きしめると
電話を借りた家人に礼を言い、
そのままR子と赤ん坊を自宅に連れ帰りました。

そしてそのまま離婚になったといいます。

K男もK男母も今で言う上から目線で
むしろご近所に悪い噂を広めるような行動をしたとR子を
非難するような口ぶりでTさんはだいぶ腹が立ったそうです。

今ほどネットが普及しておらず法テラスなどもない時代のことで
慰謝料だの財産分与だのよく理解していないR子はTさんがついていても
すぐに口で丸め込まれほんの雀の涙ほどしかもたされず、
離婚届に印をついてしまったといいます。

ただR子の産んだ子の親権はTさんの監護込みでR子になったとか。

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K男母もK男もそんなカタ〇の孫(子)はいらない、どうせ知恵遅れの
金食い虫にしかならんからと、最後に会った時のK男母の言葉は

「これでK男チャンにはもっとふさわしい嫁がいる!」

だったとか。
やつれて笑顔もなくなったR子と赤ん坊を引き取り、
Tさんは前にもまして働くようになりました。

時間をかけR子はゆっくりと傷を癒やしたよう
で元通りではないけれど外に出て、
離婚が成立した頃には店の掃除や片付けをするようになり
昔のようにとはいかなかったけれどぎこちないながらも
笑顔を見せるようになりました。

常連さん達も大半はいきさつを知って口だけのK男に憤り、
R子と赤ん坊の様子を気にかけつつ店に通いました。

時は流れ、R子の赤ん坊(ちなみに男児、Sくん)が
幼稚園にあがるかあがらないかの頃、
ふたたびR子に結婚の話がもちこまれました。

さすがに用心深くなったTさんは
R子の障害と前の結婚のこと、
連れ子になるSくんのことも添えて後から
邪険にするなら先に断ってくださいと伝えたそうです。
それはない、と今度の結婚を申し込んだ男性は
言ったそうです。(以下Nさん)

Nさんも身体の一部が欠損した身体障害者だと打ち明けられたそうです。
ただ見た目にはわかりづらい(服に隠れる義手とか義足とか
内耳にセットする補聴器とかでご想像ください)ため
健常者に見えてただけで障害のある苦しみは知ってる。
常連として店に通ってR子の一生懸命さとSくんに対する
愛情深さをずっと目にしてきた。
ただお話ししてR子さんがもう結婚なんて嫌だと言われるなら
潔く引きますと、Nさんは穏やかで粘り強い人でした。

TさんR子さんSくんはゆっくりとNさんを受け入れ、
申し込みの翌年にNさんとR子さんは結婚しました。
2人は今もご夫婦として暮らしています。
Sくんはきちんと可愛がられその下には妹ができたそうです。
妹もSくんも知的・身体にも問題のない健常者で
K男母の嘲りは見当外れでした。

すっかりR子さんの前の結婚のことを忘れてたTさんが、
K男の話を聞いたのは先々月だそうです。
見たのは店の常連のひとりで国道沿いの
プレハブ小屋と自販機のある小さな駐車場にいたとか。
山中でカーブが多いため比較的ゆっくり車を走らせていたところ
薄汚れた格好でそのプレハブ小屋から何か小脇に抱えて出てきたところを見たと。

ところでそのプレハブ小屋は入口のガラスは目隠し黒塗り、
壁に店名をペンキで殴り書きの「おもしろ館(仮名)」。
田舎の国道沿いにひっそりと建ついかがわしいグッズやビデオが並べられ
奥で個室ビデオ鑑賞可能な…まあそういう店だそうです。

気になった常連が隣県のK男家の近所にいる親戚に
何げなく様子を聞いたところ現況がわかったとかで話してくれたそうです。

K男はR子と別れた後は嫁どころか女にほぼ縁がなかったらしい。
近所の人に鬼の住む家、嫁が泣きながら電話を借りて逃げる家と
ひそひそされ見合いの話などこなかった事。

ほとぼりが冷めるのを待っていたようだが
運悪くその頃K男父母が車の事故に遭った。
即死はしなかったが予後が悪く寝ついた2人とも
K男とその弟が介護したが数年して相次いで亡くなった。
K男はその介護のため違う職に就き給料が
がた減りし手つかずの田畑は草ぼうぼう。
相続が発生したが田舎の農地なのでたかが知れてるし
むしろ下手に貰ったら税金で赤字に。
何とか家だけは残ったようだが弟はK男に墓も家も押しつけて
どうやら都会に逃げたようでまったく姿を見ない。

ちょっと気の毒そうにその話をした常連さんは
最後になぜかニヤッとゲスな笑みを浮かべて

「K男があの山の店で買ってたのはたぶん…
空気入れて使うアレやろな…」

だったそうです。

以上、結婚しないのかと皆をやきもきさせてたSくんが
この春ついに結婚前提の彼女を連れてきたとTさんが当家に来て
母と歓談をして返った後にいろいろ併せて
聞いた今までのいきさつを書いてみました。

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