母親がアルツハイマーになって出会った女の話

当時俺は20歳の社会人
母親は43歳

俺は母親と2人で小さなアパートで暮らしていた。
父親とは俺が子供の頃に離婚
親戚連中とも縁を切り、
母方の両親は既に他界している。

↑ここら辺は詳しくは知らないです。

母親と俺は2人で働いて生活していた。
なるべく母の負担を減らしたかったから
頑張って働いた。
それでも幸せだった
俺は友達も少ないし彼女もいない
男として母親を守っていきたかった
人生を捧げるつもりで生活していた

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母親は複雑だったのか
気を使って
「たまには遊んできな!」「早く彼女つくりなさい!」
といつも笑って言い、俺は誤魔化して
「いいから!」
なんて言ってたと思う。

母は元々身体が弱くてすぐに体調を崩してた。
その時の看病も俺がした。

年に1度だけ贅沢しようと母と決めており
高校卒業してからだけど毎年温泉旅行に連れて行っていた。

こんなに楽しそうで嬉しそうな母親を見るのは
とても嬉しかったし幸せだった。
今思い出すだけでも涙が出る

正直お金にはそんなに困ってなかったし
貯金もあった。
でも無駄使いだけはしなかった。

俺にも問題があった
友人と呼べる人は1人しかいない、
ましてや女の子となんか関わったこともなかった
限られた人以外心を誰にも開かない人間だった。

いつものように仕事から帰り母に声をかける
「ただいまー」
母「おかえりーご飯食べよ!」

いつものパターンだ。

俺は手を洗いご飯を食べようと思った。
そしたら母が来て驚いた顔で
「あらおかえり(‘A`) 帰ったなら言ってよ!」

俺は ??と思ったが
特に気にしないで「あーごめんごめん」
なんて言っていた。

今思えばこれが悪夢の始まりだった。

それからしばらくいつものように時は過ぎた
次に異変に気づいたのが2ヶ月後の朝だった
朝目覚めて俺は仕事の準備をしていた。

いつもなら俺より早起きな母が起きてこなかった。
あれ?と思い寝室を覗いたら
母が布団の上でブツブツ話しながら立ち尽くしていた

「母さん?」俺が問いかけると母は
ハッ!として「おはよー!」
いつもの母に戻った。
不安だった、こんなのが続けば病院に連れていこう
そう決めて仕事へ向かった。

ちなみにこの時はもう母親は仕事を辞めています。

昼休憩に入り携帯を見ると
母から不在着信が17件来てた
俺は何かあったのかと焦りすぐ電話した。
母は電話には出なかった。

すぐに家に戻った。家の鍵は開けっ放しだ
家に入ると母親はいつものように

「おかえりー!夕飯の準備ができたよ」

と笑顔で言ってきた。

本当にやばい状況と焦りで涙が込み上げてきた
すぐに上司に連絡して母親を病院へ連れていった。

診察と検査が終わり
医師に呼ばれた。
一言一句覚えてるわけじゃないがこんな事を言われた。
「俺さん、お母様はアルツハイマーです。」

それから色々説明を受けて
今後どうするか医者と話した。

正直何も頭に入っていなかった
今まで積み上げてた物が一気に崩れ落ちる感覚
絶望だった。

俺が決めるのは
・このまましばらく入院させるか
・家に帰って俺が世話をするか
・専用の施設にあずけるか。

今の医学ではアルツハイマーは治らない事は知っていたし
病院で生活させるのは可哀想に思い

自分の家で面倒を見る事を考えた。
仕事もあるし
つききっ切りは厳しい事もわかっていた。

だが母親はまだ初期段階だったので
日常生活にあまり不便はない。
でも、これから先進行していった時俺はどうすればいいのか悩んでいた。
一旦家に帰り何かあったらまた病院に行くことになった。

しばらくは問題無く生活していた。
母親の症状も余り変わらず半年弱くらい過ぎた。
といっても明らかに物忘れは酷いし
会話が成立しないことも多々あった

そしてある日ついに母親がやらかした。
買い物に一人でいっていたらしく
会計を忘れて店員に捕まり
俺に連絡がきた。

幸いにもそのスーパーは母が何年も通っている所で
店員とも仲良くなっていた。
俺が駆けつけて、事情を説明し
商品のお金を払い無事何事もなく済んだ。

因みに母親にはアルツハイマーの事を伝えてあります。
本人は信じてなかったけど
何となく受け入れる気持ちを見せてくれました。

俺の決断は迫られていた。
母親が変な行動や言動が増えていた。
毎日の不安と恐怖で俺の精神状態は極限に達していた。
俺が狂っていったのもここら辺から。

再び病院へ連れていき
医者に話を聞く
「確実に症状は悪化しています、
このままでは日常生活すらもできなくなりますよ」

そう宣告された。
この時の母は既に自分の友達の事や
過去の事はほとんど覚えていなかった。
でも、唯一俺のことだけは忘れていなかった。

俺は渋々施設にあずける事に決めた。
でもできるだけ母の側に居たかった

母に相談すると
「ごめんね」と俺に何度も謝ってきた。

「母さん施設でも大丈夫だからさ、
いつも通り仕事も頑張ってお友達とも沢山遊びなさい!」

「家にも俺くんの大好きなカレー沢山冷凍してあるから
生き延びなさい!笑」

と冗談交じりの笑顔で俺に言った。
母が一番辛い事はわかっていた
でも涙は堪えた
同時に無力な自分に腹が立った

数日後手続きを終えて施設へ向かった。

その施設はそれぞれ自分の部屋があり
基本的に母親が自分で生活するスタイルで
何かあれば施設の人が手を貸してくれるそう。
もちろん重症の人はつきっきりで介護する

担当の介護士がつくそうだ。
担当になったのは
24歳の若い女だった。
彼女はとてもにこやかで優しい子だった。
名前は結衣

正直信用ならなかった
こんな若い人が大人を一人で世話できるのか。
不安がおさまらない。
それと同時に物凄い頭痛に襲われた

結衣は不思議そうな顔で
「担当をさせていただきます結衣です。」挨拶をしてきた。
母さんは嬉しそうに
「かわいいわねぇ 良かったわ!」
と喜んでいた

母さんが良いなら大丈夫かなと思った。
頭痛は収まり気にもしてなかった

それからは毎日俺も施設に通う日々
昼休憩抜けて行ったり
仕事が早く終わればすぐに向かったり。
俺の疲労も限界に達していた。

もちろん母親も症状が悪化していった。
結衣の事も認識してないし
辛うじて俺の事を覚えてる位。

ついに俺は仕事が手につかなくなり
食事も喉を通らなくなった。
唯一の家族が居なくなってしまう気がして

そして仕事をやめた
毎日の施設に行った。

結衣は母に付きっきりで世話をしてくれた。
俺が家にいる間は
結衣とメールをした。これは個人的な事じゃなくて業務的な事。
母の状態を聞いたり
何を食べたか聞いたり
どんな事があったか聞いたり
それと施設での会話が唯一の接点だった。

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ある日結衣が俺の顔を見てこういった
「随分げっそりしちゃいましたけど、ご飯ちゃんと食べてますか??」

俺は食事もまともに取れないくらい弱っていた。
「ああ大丈夫です。平気ですよ!」
と空元気で対応すると
結衣は「お母さん心配しちゃうじゃないですか!」
と少しムキになっていた。

不思議な事が一つあった。
偶然なのか結衣は職員の誰かと会話している所も見たことない
皆に避けられているように見えた
こういう職業は色々あるんだな何て思っていた。

この時点で施設に入ってから1年ほどたっています。
貯金を切り崩して生活してました。

あと結衣は正直可愛い。
でも俺は母親ばかり気になって何とも思っていなかった。

みるみるコケていく俺を見て
結衣は
「俺さん!今度お食事でもどうですか?」
とご飯のお誘いを受けた。
結衣が言うにはゆっくり話がしたいそう。
もちろん母親の事や今後のことを詳しく話し合うために。
あと多分全然食べられない俺を心配してたのだと思う。

※夜勤が無い時は違う担当が母につきます

母が施設に入ってから初めて外食をすることになった。

そして約束の日の夜
2人でレストランにいった。

何か落ち着いた
この人なら本当に大丈夫なんだと
本当に安心できた。
何か母親と会話するように素直に話すことができた。
母の話や俺の過去や家族の話
全部打ち明けた。
気づいたら俺は泣いていた

急に安心したというか心が休まったのか
辛かった事が全部吹き出してきた

その日はそのまま帰宅した。
俺はこの日から少し元気になった。
それなら何回が結衣と食事をした。
俺は完全に依存していたかもしれない。
恋心とは別の感情だった。

結衣といるととても楽しかったし辛いことを忘れられた。

しかし再び悪夢が訪れた。

母親が死んだ。
夜の見回り時間に違う担当が母の部屋に行った
母はうつ伏せで死んでいたそう。
事故なのか自殺なのかわからない。
すぐ駆けつけると母は搬送されていた

母の枕は涙でベチャベチャになっていた

俺の中で何かが壊れた
訳が分からなかった
生きていく糧を失った気がした。

ここら辺の記憶は殆ど無いです
ホントに追い込まれていて
何がなんだかわからなかった。
ここからしばらくは結衣と会うことも無くなりました。

余談ですが、母親の日記が後からでてきた。
最後のページには
「〇〇さんと俺には感謝!!みんなありがとう!」と書いてあった。
結衣の名前が無かったのは気になったが
今はそれどころじゃなかった。

葬儀など全てが終わり
俺も廃人になり
自殺を毎日考えていた。

1年ほど経ったある日家
でぼーっとしていると
チャイムがなった。

覗き穴から見ると結衣だった。
部屋に入れて
「どうしましたか?」ときいた。
結衣は「俺さんの事が心配でして、、」
何て言ってた。

今更何だ?
葬儀にも来なかったし連絡一つもくれなかったのに何でだ?

俺が伝える

結衣は泣きながら謝るだけ

なんか俺も呆れて「もーいいよ」と伝えた

それから毎日結衣は俺の家に来るようになった。
再び会話し 前のような関係に徐々に戻っていった。
結衣はよく手料理を作ってくれた
俺の大好きなカレー
何か母の味に似ていて
涙がでた。

そして半年ほど関係が続き
ほぼ同棲状態
精神的にも落ち着いた俺は
自分のこれからの未来を思い描けるようになった。
再就職もして幸せだった。

結婚を決意しプロポーズをしようと思い
婚約指輪も買った。
張り切って家に帰った。

「ただいま!帰ったよ!」

いつも聞こえる声が聞こえなかった。
不安になり
リビングへ行った。

結衣は首を吊って死んでいた
俺は母が死んだ時を思い出して悲鳴をあげた
心臓が飛び出そうになった
そして物凄い頭痛に襲われた。

急いで救急車を呼んだ

俺は目の前が真っ白になりなにも周りがみえていなかった。
救急隊員が駆けつけてきた

彼はいった
「いたずらはやめて下さい」

俺はぶち切れた
「人が死んでるのにいたずらってなぁあああ!!!」
殴りかかろうとした時にあることに気づいた。

さっきまで首を吊っていた結衣がいない。
何も無い
消えていた

俺はわけがわからなくなり失神した
目が覚めたら病室だった。

我を取り戻し全て医者に話した

医者は
「全てあなたが作り出した幻覚です。直ぐに入院が必要です」

俺はなにも信じられなくて取り乱した

つまり俺は母がアルツハイマーになった時から
幻想と現実の区別がつかなくなっていた。
全て自分の中で作り出したものだった
それを統一させる治療が必要なのだと。
原因は極限まで貯めたストレスと不安

急に嘘くさくなってすみません。
でも本当なんです。
人の精神って恐ろしい程不思議なんです

後から気づいた
結衣は存在しなかった
だから職員とも話すことはないし
見えることも無い。

俺が食べてたカレーは母の冷凍してたカレー
レストランへ行ったのも1人
メールも送信履歴があったが
送っていたのは母親のケータイだった。
母親は病気のせいでケータイを扱うことが出来なかった為
気づかなった

半年入院してやっと我に帰りました。
未だに現実に思えて仕方ないです。
でも矛盾がありすぎて
嫌でも現実に戻される

後、結衣が死んだのは恐らく
俺が新しい人生の第1歩を結婚という方法で踏み出そうとしたから
この幻想に終止符を打とうとした結果だそうです。

一応話はここまでです。

今は普通の生活を送ってるし
嫁も娘もいます。
幸せです。

嫁と娘は幻覚ではない、、はず^^;
職場の方の紹介で知り合った女性と結婚しました

嫁は今は専業主婦です
元々は事務職をしていました

今は介護の仕事をしてます
忙しいですけど
すごくやりがいがあります。

自分の母親は大切にするのが一番ですね。
必ず死んでから後悔することは出てきますが、

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