母からは妹と差をつけられて育ちました。数年後、遺産相続も拒否するよう言われました。その結果

私は二人姉妹の姉で、
母からは妹と差をつけられて育ちました
といっても、虐待やネグレクトというわけではなく、
単に相性の問題なのですが
妹とはいわゆるピーナツ母娘で、
いつも賑やかにキャッキャしてるけど、
私とはソリが合わないという感じ。
私が二人が話しているところに加わろうとすると、
「え?」という表情で二人で顔を見合わせて黙り込んだり、
二人が出かける時に、母は一応私も誘うのだけど、
「行く」と言うとあからさまに迷惑そうにしたり という具合でした。
母と妹はよく一緒に出かけて、
そのたびに妹は服とか色々買ってもらってましたが、
私が何か買ってもらうことはありませんでした。
それを不憫に思った父が私に何か買ってきてくれると、妹は「贔屓だ」と泣き、
母は「お前は姉なのに、妹がかわいそうじゃないのね。
あんたはそういう子だから…」と嫌味グジグジ。

スポンサーリンク

妹の方は、家から仕事に通っていましたが、
こちらも縁あって結婚。
いわゆるマスオさん状態で、私の親と同居し、
家事全般全部母にやってもらい、
子供が生まれたら、子育ても全面的に支援してもらっていたようです。
このころは私もたまに子供を連れて実家に行っていましたが、
母は私の子と妹の子達とにも明らかな差別をしました。
文句を言うと、「自分で育てたような孫と、たまにしか来ない孫じゃ、
可愛さが違うのは当たり前」と切れられたので
ついに私もこれまで溜まっていた不満を全部ぶちまけ(なぜか母はショックを受けていました)
もうあなたたちを親として見られない、
自分は義両親を親と思って生きる、と言ってしまいました。

その翌年、父が定年になり、実家で食事会をするからと呼び出され、
さすがに無視するわけにもいかず出席したところ、その場で妹から
「お父さんの退職金を使って、二世帯住宅を買うことになった。
大きめの注文住宅だから、退職金使ってもローンが残るけど、
お父さんは手に職があるから年を取っても非常勤で働けるし、
私たちも共働きだから大丈夫。
ただ、そういう事情だし、親のことを罵って、
舅姑こそ本当の親だとほざいた姉さんに、
今後家のことに関わって欲しくない。
家も土地も、すべての財産は私が引き継ぐ。姉さんには何もやらないって、
お父さんもお母さんも言ってる。その代わり、
両親の面倒は私が見る」と言い渡され、

両親に何かあった場合の遺産について、
遺留分以外はすべて放棄する書面に署名するよう命じられました。
となりではウンウン頷く母、小さくなってる父。
私は逆らわず署名して帰りました。

その後、妹は夢のマイホームに住み、家事は母に全部やってもらって、
自分は好きな仕事をバリバリやってと、幸せな生活をしていたようです。
でも数年後、全てが変わりました。父が認知症を発症し、
悪いことに、母も怪我が元で体が不自由になってしまったのです。
私にはすぐには知らされず、あとになってわかったことですが、
母は不自由な体に鞭打って、父の介護や家事をやっていたようです。
しかしとうてい無茶な話で、父の失禁で家の中は汚れまくり、
食事はインスタントや缶詰、衣類は汚れたままだったようです

母は妹に家事や介護をしてくれるように懇願したそうですが、
これまで全てを母に頼ってきた妹は、全く家事ができず、
ましてや介護なんて無理。それだけではなく、
妹は毎日母を責め続けたそうです。
「私の人生はどうなるの? お父さんお母さんの通院でお金かかって、
ローンが払えない!家がこんな状態で暮らせない!
供達だってまだ手がかかるのに!
私が仕事辞めたら破産するしかない!
なんでこんなことになったの、お父さんお母さんのせいで
私の人生メチャクチャ!!」と。
妹から、「姉さんにも介護の義務がある!」
と電話があって駆けつけて、私は初めてこういう事実を知りました。

スポンサーリンク

「姉さんは家に通うか泊まりで来て親の介護をすべきだ」
と捲し立てる妹に、私は誓約書のことを持ち出し、
「両親の面倒を見ると言い切ったのはあなたでしょう。
言った以上責任を持って。私は財産は全部放棄するから」と言いました。
当時私は、仕事をしつつ、脳梗塞で麻痺の残った義母の介助をしていました。
だから実家に通うのは無理でした。それを言ったら母と妹に、
「実の親を助けないで、他人の親の世話をするのか」と責められましたが
「義母は本当に私に良くしてくれて、助けてくれた。
だから今、義母を助けるのは当然だし、全然つらくない。
助けてもらった人が恩返しするのが当然」と言いました。
妹はブツブツ言いつつも目を伏せ、母はボロボロ泣いていました。
冷酷ですが、泣く母を見ても可哀想とは思えませんでした。

しかし、さすがに親をその状態で放置できなかったので、
その後私は地域包括を通して両親の介護認定と、
ヘルパーさんの手配をお願いしました。
妹は、ヘルパーなんか頼んだらさらにお金がかかる!
とわめいていましたが、自分の夫と子供達にまで怒られて、
やっとシュンとなりました。

いろいろな手続きのために、その後何度か親元に行ったのですが、
そのたびに母は妹のいないところで、妹夫婦の愚痴をずっと言っていました。
妹は、進学を許さなかったことについても、母を責めているのだとか。
休日返上でバリバリ働いてきた妹ですが、昇進ができず、
後輩にどんどん抜かされていて、それは学歴が無いせいだと思っているそうです。
「私の人生は親のせいで狂った、どうしてくれる」と詰る妹に母は、
「お姉ちゃんは、自分で頑張って大学に行ったんですって。
あんたもそんなこと言うなら、自力で大学行けば良かったじゃないの。
自分で努力もしないくせに」と言って、妹は発狂したように泣いていたとか…

私はそれまで、子供の義務として淡々と母のための手続きをして、
愚痴も聞き流していたのですが、
そんな話を、『言ってやったのよ』とドヤ顔で言う母の顔を見た瞬間に、
なぜか突然頭が沸騰しました。
「お母さん気持ち悪い!さんざん頼ってきた親を、
使い物にならなくなったからといって責める◯子(妹)も気持ち悪い!
中学生にもなって、体が不自由になった祖父母を助けるところか
世話をしてもらおうとするここの子達も、もう本当に気持ち悪い!
とにかく私はやるべきことはやったからね!もううんざり!」
というようなことを叫んで、家を飛び出してしまいました。

以来一度も会ってないし、電話もほぼ拒否していますが、
ケアマネさんや親戚から聞くところによると、
ヘルパーさん達のおかげで、今はなんとか生活が成り立っているようです。
ヘルパーさんからたびたびクレームが出るほど悲惨な状態ではあるようですが。
大人しかった父は、認知症になってから怒りっぽくなって、たまに母を殴るそうです。
「おまえのせいで、お姉ちゃんは出て行った、お姉ちゃんと会えなくなった、
家が地獄なのはお前のせいだ」と言いながら。

親戚から、「子供なんだから助けてやったらどうだ、
お前は親に復讐してるのか?(親戚は姉妹・孫差別のことを知っています)
そんなことをしても良いことはないぞ」とたまに説教の電話が来るのですが、
良いことなくてもいいやと思ってる自分がいます。
母は「私が間違っていた」と悔やんでいるそうですが、
今更それを聞いてもスカッともしない。

スポンサーリンク