きっと一方的に離婚話をされるんだA
落ち着かない
別れたくない
娘と会えなくなるのだけは嫌だ
先ほど、泣きながら離婚届に判を押しました。
ずいぶん時間が立ったけど、
ひとしきり泣いて落ち着いたので
経緯を書いていきたいと思います。
妻を非難するつもりもない。
自分が悪いことは理解ってるから。
誰になんと非難されても仕方ないと思ってる。
でも妻の行動は普通なのか、
突然の離婚話でその日に判をしてしまったことは
間違ってなかったのか、
みなさんの意見を聞きたいです。
予想通りの展開でした。
妻の両親が現れて、
「結論から言うと娘と離婚してくれ、
これは決定事項だ」
と離婚届けを突きつけられました。
妻は今朝早く、私がまだ寝ている隙に
自分と娘の荷物のほとんどをまとめて
出て行きました。
妻はペーパードライバーなので、
荷物を運んだのは妻の両親の車だと思います。
妻の両親は2ヶ月ほど前に、
以前住んでいたアパートから
少し広い市営住宅に引っ越していました。
自分たちの元に戻ってくる娘と孫を
一緒に住まわせる為だと思います。
私がそれを知ったのは、
8才の娘が私の前で
うっかり口を滑らせたからです。
妻はきっと私には内緒にするつもり
だったんだと思います。
私の知らないところで、
妻と妻の両親は離婚に向けて
しっかり準備を進めていました。
私のいないところで
離婚をもう決定していました。
私と妻の問題なのに。
家族の問題なのに。
妻が離婚を決めた一番の理由は、
将来への不安でした。
私は今、43才。
1年前に10年以上務めた会社を辞め、
それから働く気力を無くし
働こうともしないまま1年が経ちました。
妻は39才、娘は来年8才になります。
私が1年間働かなかったせいで財政は底を尽き、
もともと昼間のパートをしていた妻は
夜のアルバイトまで始めました。
そんな妻を横目で見ながら
私は何もしないで朝から晩まで
ゲームに没頭していました。
年頃の娘が側で見ているのに、
私は現実が受け入れられず、
こうなるまで逃げ続けていました。
そんな不憫な娘を救いたい一心で
妻の両親はこの計画を練り、
実行したんだと思います。
今、妻に居なくなられたら、
私は生きていけなくなる。
私は妻に甘えてばかりで、
妻を思いやることも忘れていました。
それに気づいていながら、甘え続けていました。
一家を支えなければいけない夫がこんな男では、
妻が逃げたくなるのも無理はないです。
妻の父親に決定事項だと
離婚届けを突きつけられ、
私は固まってしまいました。
妻と、妻の父親に人生で
初めて本気で土下座をしました。
やり直すチャンスが欲しい、
心を入れ替えて働くから
やり直して欲しいと訴えました。
ですが、もうやり直せないところまで来ていました。
私は妻からも父親からも信用を失っていました。
1年間も働こうとしなかった男が、
こうなって初めて改心すると言ったところで
信用されるはずがありませんでした。
私たち夫婦は、私の実家で
私の母と同居していました。
年老いた母をひとりにしたくないという理由で、
結婚当時に私から妻に出した条件でした。
母からたまに食費の援助を
もらうことはありましたが、
結婚してからは自立の為、
家にかかる生活費等は全て名義を変え、
私たち夫婦が払うようにしました。
最初はうまくいっているように見えた妻と母でしたが、
実際のところ妻は私の母を快くは思っておらず、
子供が生まれた頃から、家を出て
娘と3人で暮らしたいと言うようになりました。
時には泣きなが訴えていました。
私は最初の約束だからとそれを拒み続けました。
妻の気持ちも考えず、
わざわざ家賃の掛かるところに
移って生活しなくても、
実家であれば家賃は掛からないし、
その分生活は楽になる、私はそう考えていました。
そうして徐々に私たち夫婦の関係は
歪んでいきました。
狭い家に住んでいながら、
家庭内別居のような状態でした。
時間が合えば一緒に晩御飯の食事を摂る、
その時に少し会話するだけでした。
妻は、休日は家を出てどこかに出掛けたい人で、
私は逆に休日くらいは家でのんびりしたい人間でした。
だからいつも、どこかに行きたいと言われても
嫌がり出掛けようとはしませんでした。
いつしか妻はそんな私を見限り、
私を置いて実家の両親の元に向かい、
両親と出掛けるようになりました。
娘が生まれてからは娘を連れ、
私に声を掛けることもなく、
行き先だけを告げて出掛けることが多くなりました。
ある時は娘の誕生日パーティーは
実家ですると言われ、
ある時は身内での小旅行の計画に
私は初めから含まれていませんでした。
自分が蒔いた種でしたが、
私を無視する妻を見て私は寂しく思っていました。
この家族に自分は必要ないんじゃないか、
お金だけ稼いでくれば私は要らないのではないか
と悩みました。
ですがそれでも自分の態度を
変えるとこが出来ませんでした。
そして根拠のない自信を持っていました。
どんなに冷めた夫婦関係のように見えても、
私は妻を愛しているし、
妻が私から離れるはずがないと。
一緒に生活していることに安心し、
安心の上にあぐらをかいていました。
全て自分のせい。
全て私が悪い。
働かなくなって稼ぎがなくなっても、
しばらくは妻は頑張っていてくれました。
いつか私が自分から行動して
働きに出ると信じてくれていました。
でも私は働けなかった。
働く意欲を無くしてしまった。
40を過ぎて会社を辞め、
特別なスキルも学歴もない自分が
働けるような場所が世間にあるのかと、
辛い思いはしたくないと、
ただ不安で逃げていました。
妻が大切だと思う気持ちはありました。
娘を愛する気持ちも人並み以上にあると
感じていました。
それなのにこれだけ妻に我慢させ続け、
挙句の果てには仕事を辞めて働きもせず、
妻にばかり生活の苦労を負わせて、
娘にも悲しい思いをさせ続けていた。
私はただ妻に依存していただけ
なのかもしれません。
夫としても娘の父親としても最低でした。
これじゃあ逃げられても仕方ない
今、この家はガランとしています。
私の物なんてほとんど無かった。
妻と娘の物が何も無くなってしまって、
寂しいくらい何もない。
ものすごく孤独を感じる。
寂しい。
目を覚まして、
そこにはもう娘がいないと思うと辛い。
後悔しかない。
情けなくて寂しくて涙が止まらない。
年老いた母にも申し訳ない。
妻との思い出や感情が溢れて、
話が逸れてしまいました。
後悔してもしきれない。
こんな大事なことを急に言われても
気持ちの整理が出来ない、時間が欲しい、
そう訴えてもダメでした。
私には急でも、妻たちにとっては
ずっと悩み考えてきたことで、今日ここに至っている。
だから今日、今、これで終わりにしてくれ
と言われました。
どんなに詫ても、離婚の決定は覆りませんでした。
妻にはもう、私への愛情はありませんでした。
私がここでどんなに拒否しても
後悔と懺悔を伝えても、
妻の決意は変わりませんでした。
元々妻は穏やかで臆病な性格でした。
自分の言いたいことを上手く言えず、
黙って我慢するタイプの人間でした。
だから私はいつも妻に私の意見に従わせてきました。
そんな妻がこんな大胆な行動をしてみせたんだから、
相当な決心だったと思います。
私がこれ以上離婚を拒んでも妻の決心は変わらない、
信用をなくし、愛情の枯れた人と形ばかりを残したところで、
話がこじれるだけで、結局上手くはいかないどころか、
私は今以上に疎まれ嫌悪されることになる。
そう思った私は離婚届に
サインをして印鑑を押しました。
妻をこれ以上苦しめたくなかったから。
自分がこれ以上嫌われたくなかったから。
私のしてきたことがどれだけ最低だったかと、
こうやって書きなぐってみて改めて再認識出来ました。
自業自得でしかない。
ですが妻の今回の行動や、私がとった判断に
おかしな点や間違ったところはなかったでしょうか・・・
離婚するしない以前に働かないと、
自分を何も変えられない。
生活も出来ない。
すぐにでも職探しします。
頑張って、もう一度娘に頑張ってる姿を見てもらいたい。
ありがとうございます。
年老いたとはいえ母はまだ元気ですが、
それでも妻に苦労かけ続けた自分が
クズなのは間違いないです。
だから逃げられた。
ありがとうございます。
妻についても娘についても
改めて真剣に考えました。
これからの自分はどうするべきか、
人生を真剣に考えました。
月曜日の朝、
久しぶりにハローワークに足を運びました。
求人欄からいくつかの企業を選び、
係りの人から紹介状をいただき、
家に帰ってすぐに履歴書を書きました。
職務経歴書を作り、伸びきっていた髪を切って
証明写真を撮り、応募書類を送付しました。
まだたったそれだけのことですが、
動き出したことでこれまでの腐っていた自分を
少しは変えられるような気が今はしています。
娘を思うとやはり涙が溢れます。
でも落ち込んで立ち止まっていては
本当に腐りきって価値のない人間のまま終わってしまう。
そうはなりたくないと思えるようになりました。
再就職までの道のりが険しいことは
充分承知しています。
ただ履歴書を送っただけで
満足するつもりもありません。
次の仕事が決まるまでめげずに頑張って、
仕事が決まれば妻と妻の両親を
見返してやれるくらい頑張って、
いつかむねを張って娘に会いに行きたいと思っています。