妹が亡くなり、旦那は逃亡。残された5人の子供を引き取ることになった。

我が家には子供がいなかった。
どちらが原因、と究明することが主流だった時代では
まだなかったので、どちらが原因かはわからずじまいだけど、
子供ができなかった。

もう夫婦ともども40代の半ばも過ぎ、
すっかり諦めきったころに、私の妹が亡くなった。
妹には5人の子供がおり、それぞれ、10、6、4、2、8ヶ月と、
どう扱えばいいのか検討もつかない年齢の子供までいた。

妹の旦那は、なんというか、こう、のらりくらりした感じのする狡猾そうな男で、
実際家にもあまり帰宅をしていなかったらしい。
ありえないことに葬儀の数日後に行方をくらました。

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子供をどうしていたかというと、
これがまた酷いことになんの準備も食料もなしに、こつぜんと消えた。

餓えた10歳が、自分は下の面倒を見ている間に
6歳を近しい親戚宅に向かわせたそう。
折りしもちょうど夏休みで、
学校には誰もいないと思ったゆえの行動らしい。

実際には日中は先生もいるんだろうが、
そんなことは子供はわからないからね。
その近しい親戚宅というのが我が家だった。
6歳は男児で、あまり親しいわけでもない
私たちを目の前にして、腹が減ってるのもあったのか、
何が言いたいのかわからない。

バナナとりんごを食べさせて、そうしてようやく、
父親が逃げたのだと知った。
そこからは慌てて食事やら掃除やら、風呂も着替えもさせてやり、
学校の先生、そして妹の旦那の親(私と妹の両親はすでに他界)を呼び、
子供のことを先ずは任せた。
ところが、妹旦那の親は、私たち夫婦が、
子供たちを引き取るのが筋だと言い張る。

いやいや、私たちは、家は近かったものの、
妹旦那の、あの少し卑しい感じの性格が苦手で長らく疎遠、
子供たちともほとんどが面識がない。
10歳と6歳だけ、かろうじて家くらいはわかる、程度だった。

自分たちは祖父母ではないか、しょっちゅう会っていたとも聞く。
なぜ先ず私たち夫婦なのかと聞くと、
子供がいないんだからありがたいと思え、と。

子供は確かにいない。だが、子供がおらず、
まったく接触も経験もない私たちが、
常識で考えて、いきなり小学生2人、幼児2人、
生まれてしばらくの赤ん坊を育てられるはずがないじゃないか。
それに、下の3人なんて名前さえも知らない。

そう言っても
「子供がいない、人間以下のお前らに、
子供を与えて真人間にしてやるんだ、ありがたいと思え」
とまで吐かれた。

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それでも、簡単にハイと言うのもまた無責任で、
考えた末にやはり断ると、子供らを家の前に置いていかれた。

昔の話とはいえ、真夏で、8ヶ月児はずいぶんぐったりしていたのを覚えている。
泣き出す4歳と2歳とぐったりした8ヶ月、母親が死んだこと、
父親や祖父母に捨てられたことをさすがに悟れる年齢の
10歳6歳は表情さえなかった。

結局どうしたかというと、引き取った。
戸籍は夫に任せた。夫にはもう、平謝りだった。
私の妹の旦那とその親のしでかしたこととはいえ、
私の血縁者のいざこざだ。

夫は、子供らをあわれんで、
より一層仕事に精を出してくれた。
私は0歳2歳4歳の子供を抱えて勤務のできる託児施設で働いた。
10歳は牛乳配達をしていた。
長男なりに生きることに必死だったんだろうと思う。
そこまでしなくてもいい、と言っても聞かなかった。

養子縁組をして、もう私たちの子供なんだから
遠慮はいらないと言っても聞かない。
上のふたりは学費も自分たちで稼ぎきった。
下の子らに自分たちのぶんを回してくれと。

そんなこんなで、上のふたりは国立大を出て、
下の3人もそれぞれ専門職に就いたころ、妹の旦那が転がり込んできた。

曰く、妹旦那の親の介護で呼び戻されたが自分にそんな甲斐性もなく、
結局実家も売り払われて親も亡くなり、いくところもない。
5人は自分の子供なのだし、自分の老後を見てほしい、とのたまった。

内心、恥知らずがとも思ったが、
私が子供らの本当の親のことに口を出していいわけがない。
勝手なことはできないので、先ずは長男に話をした。

長男は、下の4人には黙っておいてくれ、
と言って、アパートを借りる手続きと、最初の敷金礼金、
家賃3か月分だけを支払い、生活保護の手続きをしてやって、
そこまでで縁をきったそうだ。

曰く、住所を作ることは本当に大変なことだから、と。
住所さえあれば日雇いもある、
なんとか生きてはいける、とのことだった。
役場から連絡がきて、事情を説明し、父親の面倒はみない、
と言ってそれで終わったそう。

今年に入って、最後のひとりがようやく伴侶を見つけ、
全員が巣立っていった。子供を押し付けられたら上手に逃げる、
というのがネット界隈ではいいとあとで知りました。
私はきっと、祖父母からしたら、ていのいい押し付け相手だったかもしれない。

子育ての最中、何度も何度も、下の3人が反抗期や問題を起こしたときに、
殴りつけてやろう、捨ててやろう、
あのとき育てる選択さえしなければと後悔をした。

それでも、それも今では、いい思い出となった。
なんら後悔はない。

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