私の父には妾(めかけ)がいた

人を見殺しにしたこと

私の父には妾がいた
ある程度の財産や地位のある男には妾がいて当たり前、
という環境だった

母は内心面白く思っていなかっただろうが

「盆暮れ正月の挨拶と付け届けもきちんとなさってくださるし、
優しくしてあげましょうね、お可哀そうな方なのよ」

と言っていた
父は家を優先していたし、
正妻である母を一番に大事にしていたと思う
そのうち妾に男子が産まれた

妾は近所に子と二人で住んでいて、
産後の肥立ちが悪く困っていたらしい

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母の提案で一日おきに食事を届けてあげることになったのだが、
その配達人は私だった
風呂敷に包まれた三段のお重箱と、
バスケットに入れられた焼き立てのパン、
食べやすく切ってからタッパーに入れられた果物、
だいたいこれくらいの量を一度に運ばされていた

妾は私を毎回あたたかく迎えてくれて、
深く頭を下げてお礼を言い、
くれぐれも奥様に宜しくと何度も言った

赤ちゃんを抱かせてくれたとき思わず私が
「可愛いね」とつぶやいたら妾は泣いていた

そんな日々が2か月程続いたある日、
いつも通りに食事を届けたところ呼び鈴に反応がない
今までも何度かそういうことがあり(寝ていたり、お手洗いだったり、
縁側に出ていたり)、でも赤ちゃんの泣き声はするので
在宅だと思い家の中に入った

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赤ちゃんは居間のベビー布団で寝転がり泣いていた
妾は居間と続き間の台所で寝転がっていた
○○さん?と呼びかけても反応はなく、
大きなイビキをかいていた

妾はいつも顔色は良くなかったけど、
いつも以上に血色の様子がおかしかった
食卓の上にお重箱とバスケットを置くと、
私はそのまま帰った

妾のとこから帰宅するといつも母に
「○○さん、お変わりなかった?」と聞かれるけど、
その日もいつも通りに”うん”と答えた
次の次の日、母からお届けを頼まれなかった

妾と子の葬儀やらで父母が数日留守にした
その間にお手伝いさんから、妾は脳の血管が切れて死んでしまったと聞いた
赤ちゃんも死んでしまったと聞いたが死因は覚えていない
衰弱、低体温、凍死というような単語を聞いたことは覚えている
妾は田舎の親族から絶縁されていて、
遺体はもちろん遺骨の引き取りも拒否された

すぐに大人を呼ばなかったことは後悔していない
小さな子まで見殺ししたことは後悔というか、
申し訳ない思いがある

ずっと父母だけで法要を営んできて、
父母の死後は私が引き継いだ
先日弔い上げだったのでここに記させてもらいました

弟でした
あの後、父はがらっと変わって二度と妾を囲うことなく両親は添い遂げました
今では考えられない時代といいますか、環境だったなあと思います
両親と東京オリンピックを観戦した経験があり、弔い上げまで済ますほど年月が経ちましたので、私もずいぶん年を取りました

母は晩年
「私がお重を持って行けばよかった、何かに気付けたかもしれない、
二人に可哀想なことをした」と何度も言っていました

子は生後2〜3か月、あの日は今の時期で当時の住宅ですから
だいぶ冷えたんだと思います

私は一日おきに食事を届けていましたが、
私が行かない日に女中がお洗濯とお掃除に行っていたそうです(後になって知りました)
ですので、私が見殺した次の日に女中が冷たくなっている二人を
発見したそうです

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