正月には年末から親戚が20人くらいどっと泊まりに来る家に嫁いだ母

昔、父の実家が本家で、祖父が当主で、
正月には年末から親戚が20人くらいどっと泊まりに来て
元旦にはみんな盛装して当主からお屠蘇の盃をいただくってのを
やってた

親戚は三が日泊まって夜昼なく宴会
その間の、おせち料理つくって正月用の食器出して、
布団の用意して客間の掃除し出入りの業者さんに
正月のお菓子やお酒発注して、というあれこれは
「跡取りの嫁」である母一人でやっていた

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親戚の女衆も手伝ってくれるけど仕切りは母だから
四日になってみんな帰ると寝込むレベルに疲れていた
なのに六日七日まで居座る親戚もいて
つき合って遊んでる祖父や父に、サツイさえわいた

ちなみに「当主の嫁」である祖母は体が弱く、
私が物心ついた頃には寝たり起きたりの生活だった
祖母の世話は母がやっていた
だから正月は祖母+親戚の世話で疲れるんだ
私は私で、親戚が連れてくるガキどもの子守に
追い回されていた
大みそかの夜に夜泣きする赤ん坊をおんぶして、
除夜の鐘をきいたことは忘れられない

ところが私が中学2年の時、
父は「本当に好きな人と家族になって新年を迎えたい」ということで
母と私は12月に入ったところで追い出された
父は不倫してて、相手が妊娠したのだ
もちろん慰謝料も養育費ももらったけど
私は、なんで父の家にこんなに尽くしていた母が
こんな目に遭うんだとはらわたが煮えくり返った
でも母はあっけらかんと

「(自分の実家に)帰ってもいろいろ面倒だから、この際、東京に出ちゃおうよ

私びっくり「大丈夫!?」(田舎の中学生には、東京は外国レベル
母「大丈夫大丈夫」(今考えると、大丈夫という根拠はなかったと思う)
と、二人で東京に出てきた

そして私は転校した中学が冬休み中、
母は仕事が正月休みに入った日の朝
母が起きてきて、私が起きてきて、トーストをかじりながら

「今日は28日かぁ……何かすることあったっけ」

「うーん……ないんじゃないかな」

そこで顔を見合わせる母と私

「お正月に、何もすることがない!!??

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夢のようだ
大事なことなのでもう一度

「お正月なのに、何もしなくていい!」

母、ウキウキと手を握り合わせて
「ね、ね、そしたら年末だってのに映画とか行っちゃう?」
私「スーパー銭湯ってのにも行ってみたい!」

年末を遊びほうけて迎えた元旦
お屠蘇もおせち料理も何もなく、いつも通りに
トーストとハムエッグとサラダと紅茶の朝食

大事なことなのでさらに繰り返し

「お正月でも、何もしないんだー!」えいえいおー!

あんな楽しいお正月は初めてで、
「お正月は楽しい」ことが衝撃だった

今でも、年末は大掃除はするけど、おせち料理は作らない
私が就職してから家計に余裕が出たので、
母と二人で正月は温泉旅館で過ごしていた
今年はこのご時世なので出かけられなくて残念だ

田舎に置いてきた、父その他もろもろは今どうしているか、
全然知らない
私が大学生の頃、一度だけ、父が電話してきて

「お祖母ちゃんが認知症で、○○(後妻となった不倫相手のこと)を怒鳴るんで困ってるんだ」

と言うので「大変だねえ」(棒読み)と答えたらそのまま切れて、
それっきり

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