そして農家に嫁いだ

私、先々月義母を見送ったよ。
亡くなる前の日に

「ありがとね。あんたが娘になって良かった。楽しかった」

って言われた。
私も義母さん、大好きだった。楽しかった。

もっともっと一緒に旅行とかしたかった。
義母の前には義祖母、その前には義祖父、その更に前には義曾祖母、
みんな見送った。
みんなみんないい人だった。
義母だけは病気で亡くなったので、本当はもっと一緒にいれたのにと残念だけど
最後に言ってくれた言葉で、義母が幸せだったのなら良かったと思うことにした。

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私、子供の頃から引っ込み思案で友達もいなかった。
何か話しかけられても挙動不審みたいになって、
上手く話せなくて。

ひとりで黙々と何かを作るのが好きだったから
短大の家政科に進んでその方面で手に職を付けて
一人でも生きていけたら〜って思ってた。

自分の容姿にも自信がなかったから、
異性を好きになることもなかった。
はなから相手にされると思ってなかったし、
そんなだから、結婚なんて出来ないと思ってたし。
たぶん両親はそんな娘をどうにかこうにか結婚させるには
若さが武器になるうちにとでも思ったんだろう。
短大を出てすぐに見合い話をもってきた。

相手は一回りも年上の専業農家の跡取り息子。
車があれば不便ってことはないけど、
すごい田舎で遠かったのが
私にとっては逆に良かった。

あまり学生時代の同級生に会いそうにない場所だったから。
でも写真見たらどうせ断ってくるんだろうなって思ってたんだ。
ところが、あれよあれよという間にお見合いの日取りが決まって
会ってみたら、相手も大人しい人でモジモジしてて
途中からふたりだけにされたけど、
ふたりでモジモジ合戦みたいになった。

そしたら急におかしくなったらしくて相手がプッて噴出して
それに釣られて私も噴き出して、なんかお互い
「こういうの苦手ですね」って言い合った。

あ、なんかこの人と結婚決まるかもってその時思った。
そしてそのまま半年後には式を挙げた。

結納まで一ヶ月ぐらいしかなかったけど、
全然嫌じゃなくて
心地よく流された、って言う表現がぴったりくる感じ。
不安とか全然なくて、これが“縁”と言うものなのかなと思った。

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そして農家に嫁いだ。

義母、義祖父母、義曾祖母、そして一人っ子の夫。
両親はさすがにこの見合い話を貰った時、
苦労するだろうから断ろうと思ったそうだ。
結婚について娘がどう思ってるのかとか、
どんな理想を持ってるのかとか、私が全く話さないものだから
一度お見合いを経験させてみたかったんだって。
そしたら色々話せるかもって。
ちょっと無責任な気もするけど結果的には感謝してる。

農作業は最近まで殆どやってこなかった。
やるつもりで嫁いできたのに、すぐに子供が出来ちゃって
その後も1年おきに2人生まれたし、
手が足りない時期は人を雇ってたから私はいいって。

義母も義祖母も義曾祖母も楽しい人で、とても可愛がってくれた。
私って同世代とは全然おしゃべりできなかったのに、
年配の人とは大丈夫っぽいって発見してから
少しずつ自信がついて、ママ友とも普通に話せるようになった。
みんな田舎に嫁いできて寂しかったみたいで、すごく仲良くなった。

短大で学んだ特技を生かして、
義曾祖母たちに可愛いあっぱっぱーを縫ってあげたり
捨てられない思い出の洋服をリフォームしてあげたりすると、
とても喜んでくれた。
自分がこんな幸せな結婚生活を迎える日がくるとは思わなかった。

全員の介護に関わったけど、
普通に具合の悪い家族の看病をしただけって感覚。
決して強がりでもなく、“介護”と言う意識すら殆どなかった。
そんなことより、あんなに賑やかで楽しかった家の中から
ひとりずついなくなることの方が辛かった。

子供たちは都会の大学に進んでそのまま都会で就職するだろうと思ってたが
長男が高校時代の彼女とずっと付き合ってて、結婚して来年戻ってくるらしい。

夫婦ふたりになってこれから寂しいなと思ってたけど、
夫は「つかの間のふたりだけの新婚気分だな」なんて笑ってる。

この人も、口数は相変わらず少ないけど本当に真面目で健康で優しくて
この人の傍にいれば大丈夫って安心感が常にあるのは
本当に幸せなことだと思う。

ネットでは田舎の農家はとかく“膿家”と言われがちだし
私みたいに結婚してからずっと介護続きに見えるような女は
“奴隷”と見られるんだろうね。

でも私は実家にいた頃より、嫁いできてからの方が明らかに“生きてる”。

ここに嫁いできて良かったと心から思ってる。

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